第4話 吉乃の旅立ち

 残暑が終わり風が冷たく感じられる季節の変わり目に、風邪かぜをこじらせた伊助いすけがこの世を去った。

 道太郎たちだけでなく村中が悲しみに包まれた。

 伊助のとむらいは寿林寺でり行われた。その際、村人から以前道太郎たちが住んでいた周辺をさぐっている者がいるという話を聴いた。

 道太郎はいずれ山の炭焼き小屋にも刺客が現れることを予測し警戒を強めた。



 藤丸ふじまるの最後を聴いた葉山はやまは大いにくやしがった。藤丸の付き人は美世の子が女子であることも告げたが、葉山の恨みがうすれることはなかった。 

 城中では吉宗の嫡男ちゃくなん長福丸ちょうふくまる(後の家重いえしげ)に言語の障害が現れ、それに目を付けた葉山は計略を練った。

 長福丸の母方祖父そふである大久保忠直おおくぼただなおに、美世の産んだ落胤らくいん男子おのこであるとうそを告げたのである。

 葉山の進言しんげんまどわされた大久保は、障害のある孫より嫡男である落胤に世継よつぎの座を奪われるのではないかとあせった。

 大久保は早速かねてよりかげの仕事をさせてきた根来衆ねごろしゅうを呼び、落胤親子を殺害すべく刺客として放った。

 藤丸が死んで手駒てごまのない葉山はこうして刺客を送ることに成功した。

 道太郎たちの村を探索していたのは、このような背景はいけいで動き出した根来衆であったのだ。

 隠密おんみつ行動にけた根来衆であっても道太郎たちの行方ゆくえ容易よういつかむことはできなかった。

 ところが伊助亡き後、備長炭の商いにおいて道太郎自身が表に出るようになった。そのことが思いもよらぬ災いをまねいたのである。


 秋の長雨ながあめが降り続くある夜、雨音にまぎれて炭焼き小屋を囲む集団の気配に道太郎はそっと布団ふとんから抜け出した。

 かねてから備えていた床板を静かにはずすと床下を進み、小屋のはしまで来ると目の前に敵の足があった。

 道太郎は刀をはらいながら床下からおどり出ると敵の太腿ふとももを斬りつけ、そのまま林の中に走り込んだ。

 何事かと斬られた仲間のもとに集まった敵を尻目しりめ木立こだちの中を進み、小屋の入口にいた二人を後方から斬り捨てた。

 おそっては林の中に身を隠す道太郎の戦法に、すっかりおかぶを奪われた根来衆はふえの音を合図あいずに引き上げて行った。

 傷ついた者も残さず、引きぎわは見事である。すぐにあたりは何事もなかったように静寂せいじゃくに包まれた。

 雨のおかげで焼き討ちに合わなかったことには安堵したが、道太郎にはさらなる防備を固める必要があった。

 翌日より山に鳴子なるこを張りめぐらし、避難のための隠し通路なども作った。

 だが新たな襲撃しゅうげきもないまま年を越すことができた。


 吉乃は五歳になり、同年には吉宗に次男が誕生した。

 大久保としては長福丸から後継ぎの座を危うくするのが落胤だけでなく次男の存在も見逃せなくなった。

 そして享保きょうほ元年(1716年)、吉宗は八代将軍となり江戸城に入った。

 大久保は家督かとくを息子にゆずり、息子は旗本はたもとに取り立てられた。

 葉山もまた吉宗の側室そくしつたちが江戸城の大奥おおおく入りするのに伴い、世話役として江戸へ下った。

 かくして紀州徳川家の大きな変動で葉山も大久保も暗殺どころではなくなったのである。


 

 さらに八年の歳月が流れ吉乃は十三歳になった。

 今では道太郎と共に山に入り姥目樫うばめがし伐採ばっさい作業を手伝っている。

 村の娘たちとも親しくなり、遊びに行っては野菜などをもらって帰るという楽しい日々を送っていた。

 道太郎は村の若者たちに炭焼きの技術を伝えるために三年前から熱心に指導してきた。

 備長炭が村の産業になれば良いと思っていたのである。

 毎日が充実しており、このまま平穏へいおんな日々が続くと思われた。

 ところがある日、美世は若者たちのために昼餉ひるげ支度したくをしている時に眩暈めまいを起こして倒れた。

 それから身体のだるさを訴え、微熱びねつが何日も続いた。

 山間やまあいのため医者を呼ぶこともできず、町の薬屋で手に入れた薬を飲ませることしかできなかった。

 やがてき込むことが多くなり、激しい時は血もいた。

 倒れてから一年後、看病の甲斐かいなく美世は最後を迎えた。

「道太郎さん、今までありがとうございました。あなたの人生をわたくしがひとり占めをしてしまいました。あなたのご家族には黄泉よみの国からおびいたします」

 弱々しい声で言うと道太郎の手を求めた。道太郎はしっかりとせた白い手を握った。細くなった指は折れてしまいそうだ。

「何をおおせられます、わたくしは後悔こうかいなどしておりませぬ。お役目をえて楽しい日々でございました」

 道太郎は近づいて美世に聞こえるようにはっきりと言った。

 吉乃は母の臨終りんじゅうに直面していながら、長年の疑念ぎねんが晴れようとしていることを感じ取っていた。

「最後にお願いがございます。わたくしがいなくなれば吉乃は将軍の娘として上様にお会いできましょう。どうかお目通りが叶うようお頼み申します」

 美世は身分の低い自分がそのさまたげになっていることを知っていた。

「はい、命に代えてもお約束いたします」 

「かたじけのうございます。道太郎さん、わたくしはあなたのおそばにいられて幸せでした。いけないことですが、わたくしは夫婦めおとと思って暮らしておりました」

 道太郎の耳元でささやいた美世の最後の本心ほんしんであった。

 美世は初めて恋心を告げたことに満足してこの世を去った。

 その顔はき通るように美しかった。



 享保十年(1725年)の夏、美世の眠る寿林寺じゅりんじに参拝し墓前ぼぜんで別れを告げると道太郎と吉乃は下山した。

 山里やまざとこもって実に十五年になろうとしていた。

「寂しくなるがこれも御仏みほとけの導きじゃ、そなたたちのさだめなのであろう」

 円祥えんしょうはしみじみと言った。

「お世話になりました。お美世様をお願い申します」

「わかっておる、仏様をなぐさめるのがわしの務めじゃからの。ところで江戸まではどのようにして行くのじゃ」

 円祥は陸路りくろを行くと思っていた。

炭問屋すみどんやの船に乗せてもらえることになりました」

「おう、それならば姫様も慣れぬ旅をせずに済みそうじゃな」

 吉乃は美世が他界たかいした時に道太郎からすべての事情を聴いていた。

達者たっしゃでな」

 円祥は吉乃に向けて頬を緩め目尻めじりを下げた。

「はい、和尚様も」

 円祥は境内けいだいから見下ろし、いつまでも見送った。

 村人は集落の入口に集まった。

「備長炭を絶やさぬよう願います」

 道太郎から炭焼きを学んだ若者たちの顔を見回してそう告げると、

若衆わかしゅうは新しいかまも造ろうとしております。おかげさまで村はこれから豊かになって行くでしょう」

 庄屋しょうやが代わって感謝の言葉を述べた。

 吉乃にとっては生まれ故郷である。何度も振り返っては手を振り別れを惜しんだ。 


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