第3話 姫の誕生

 翌年、梅と山桜の花を同時にでることができた暖かい春に新たな生命が産声うぶごえを上げた。

 その日は村をあげての祭りのようだった。

 季節ごとにり返すだけの変化のない日常の中で、久方ひさかたぶりのめでたい出来事である。

 村人はこぞってその誕生を祝った。

 生まれたのは女子おなごだった。美世は吉宗の一字を取って『吉乃よしの』と名付なづけた。


 一月ひとつき後、美世は産後の肥立ひだちも良く無事にとこ上げをした。

 吉乃も乳をよく飲み、順調に育っていた。

 安堵あんどした道太郎は妻に書状をしたため村の若者に使いを頼んだ。

 帰りは城下に出て遊んでくるようにと駄賃だちんはずんだが、若者は金を浮かそうと何処どこにも寄らずに真っすぐ帰ってきてしまった。

 妻の実家を見張っていた間者かんじゃはその機会を見逃さなかった。


 一方、届いた荷を前にして満江はしばし手をつけずに心を落ち着かせていた。

 まず書状を手に取ると丁寧に開いた。そこにはなつかしい夫の文字が並んでいる。

(突然の出奔しゅっぽんにさぞ困惑したこととぞんずる。そなたたちに降りかかる難儀なんぎを思うと胸が痛く、まことに申し訳なくそうろう。されどわれは恥ずべきことはしておらず、これは密命みつめいである。但しこの役目はが一命をしてなすものにて再びそなたたちのもとへ帰ることかなわず、我を待つようもないことを申しわたす。そなたたちの安寧あんねいを願い金子きんすを送る。そして殿よりたまわった小太刀こだちは数馬に残すものなり。数馬が立派な武士に成長するようお頼み申し候)

 満江は書状を膝に置いて目を閉じた。ほおを伝う涙を袖口そでぐちぬぐうと悲しい笑みを浮かべた。

「わたくしが信じた通り、あなたはわたくしたちをてたのではなかったのですね」

 心にめていた思いが口から出た。

 安堵あんどと同時に密命という言葉が身を引きめた。

 他言たごんしてはならぬ言葉を使ったのは、その覚悟かくごを知らせたかったのではないか。されば二度と帰らぬ人であっても、いつまでも待ち続ける覚悟を持とうと満江は心に決めた。

 満江は書状しょじょうと小太刀を押入にしまい、金子は暮らしのたつきとして兄に渡した。



 書状を送った三日後、道太郎はき木を集めに山へ入った。

 背負子しょいこに焚き木をしばり付け山から畦道あぜみちに下りて来ると一人の若者が待っていた。公家くげの姿をしており、腰にはりの大きな太刀たちを下げている。

「半年ぶりよのう、このような里に隠れていようとは知らなんだ。貴殿きでん奥方おくがたに書状を送ったおかげでごじゃるよ」

 道太郎はその口調に城下から逃走する際におそってきた刺客しかくだと気付いた。

 そして妻に書状を送ったことを気のゆるみであったとやみくちびるんだ。

「貴殿の留守中に美世と赤子を殺してしまえば済んだものを、先にどうしても勝負がしとうて待っていたのだよ」

 若者は十七・八歳の美しい顔立ちで、腕に自信があるのか笑顔で言った。

「おぬしは何者だ、名乗られよ」

 道太郎は荷を下ろしながらいた。

麿まろ葉山はやま様のおい藤丸ふじまると申す。公家の剣法をあなどるでないぞよ」

 笑顔を残したまま太刀を抜いた。

 道太郎は肉厚の太刀を見て考えた。

(こやつはそれほど腕力があるようには見えない。重い太刀を振るうのは身体全体の回転と身のこなしからり出すしかない)

 道太郎が刀を抜くと直ぐに上段から打ち込んできた。

 思った通りであった。振り出したやいばを切り返すには体力がいるため、そのまま流して回転し別の角度から打ち込んでくる。

 道太郎は無理にはじき返すとそれが相手の切り返しを可能とするため、同じ方向にり合わせて流し続けた。

 だが思ったより回転が速く、身体に巻き付くように繰り出す刃は到達する直前まで見えない。刀身の長い切っ先は受け流す度に容赦ようしゃなく道太郎の腕や脇腹わきばらを切りいた。

 道太郎は痛みに耐えながら、傷を浅手あさでとどめながら時を待っていた。

 やがて藤丸は動き続けることで次第に息が荒くなった。もはや藤丸の顔から笑みは消え、額には汗がにじんでいた。

 速度が鈍った回転から刃が胴を払ってきた時、道太郎は初めて太刀をね上げ逆に胴を抜き胸まで斬り上げた。

 藤丸は「えっ!」とあり得ないというような眼差まなざしを向けたまま畦道にくずれ落ちた。

 藤丸の息がえると道太郎はその場に片膝かたひざをついて合掌がっしょうし、大八車を取りに帰った。

 道々、これから葉山のうらみはさらに深いものになると考えていた。


 道太郎は円祥と相談し、山中にある炭焼すみやき小屋に移り住んだ。

 そこでは伊助いすけという老人が一人で炭を焼いていた。

 伊助は紀州備長炭きしゅうびんちょうたんを製造する技術を持っており、道太郎は伊助から手ほどきを受けた。

 山には原材料となる姥目樫うばめがしの林があり材料には困らなかったし、備長炭は料理屋などで重用ちょうようされていたため暮らしのついえには充分であった。

 備長炭はかまに空気を送り込むのと炭を取り出し消火する頃合いが難しく、すべては伊助の感によるものであった。

 伊助は気の優しい人物であったが、炭のことになると妥協だきょうを許さなかった。

 道太郎はそんな伊助を尊敬し、従順じゅうじゅんに指導に従った。



 吉乃は炭を焼く道太郎を眺めながら四歳の誕生日を迎えた。

 道太郎たちは久しぶりに寿林寺を訪れ無事に育ったことへの感謝を込めて参拝さんぱいした。

 吉乃は物心ついた頃より道太郎を父だと思っていた。

 だがその父は母をお美世様と呼び、母は父を道太郎さんと呼ぶ。

 吉乃は武家の家庭というものを知らなかったが、百姓の家でも父親が威張いばっているのを見ると何か不自然さを感じていた。

和尚おしょう様、なぜ父上は母上をお美世様と呼ぶのですか」

 かれた円祥は困った顔で、

「それはじゃな、父上がそれだけ母上を大切に思っているからじゃよ」

 と、何とか取りつくろった。

 午後吉乃が昼寝をしている間、縁側に腰掛けて茶をきっしていると円祥が言った。

「いつか殿様に姫様のお目通めどおりを願うつもりかな」

「まだわかりませぬ。殿の血が流れている吉乃をこのまま炭焼きの娘として育てて良いものか悩む一方で、わたくしのような身分の低い湯殿番ゆどのばんが今さらお家をさわがせてはならないとも思うのです」

 美世は正直な気持ちを述べた。

「お美世様がどのような決断をされようとも、わたくしは生涯しょうがいをかけてお守りするつもりでございます」

 道太郎も胸の内を明かした。

「そなたたちのさだめはいったい何処いずこへ向かうのかのう。そのうち御仏みほとけの導きがあろうて」

 円祥は目を閉じて合掌がっしょうした。

 その時、三人の会話を回廊かいろうの陰で聴いている者がいた。

 昨日まで宿坊すくぼうに宿泊していた子連こづれの山伏やまぶし改元かいげん』である。子の名は『改行かいぎょう』といった。

 山伏は中腹まで山を登ったところで替えの草鞋わらじを忘れたことに気づき、改行をその場に待たせて戻って来たのだ。

 話を聴いた改元は気づかれぬようにその場を離れた。

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