第9話 勘違い

身体が重い……


俺は眠っていたのか?


目を開くと、ぼやけた視界に天井が映る。 木目の斑模様を寝ぼけた頭で眺めていると、徐々に焦点が合い、意識がクリアになってきた。


だが、腹のあたりに何か温かいものが乗っているせいか、上手く身体を起こせない。


なんとなく億劫になり、バタリと布団へと沈み込む。


久々に──死線の聖女メリル・アリエスの夢を見た。 人形細工のように整った顔立ち。銀髪のショートヘア。


真冬の湖面を思わせる深い青の瞳に、薄く笑う口元。


『──ええ、生きてますよ。でも、死にたくなったら、いつでも言ってくださいね』


夢の中で聞いたその言葉と、あの顔が忘れられない。


上品な仕草と獰猛な猛獣のような立ち振る舞い。そのチグハグな言動に潜む狂気。


──夢でよかった。


メリルは、人の生死を間近で見て愉悦を感じる変態だ。絶対に関わってはいけない。


それに、俺のことを


『──うわぁっ。キモッ』


と罵ったクソビッチでもある。


──そんなことより、腹の上に乗っているのは何だ?


俺はもぞもぞと腕を布団から抜き出し、腹の上の何かを恐る恐る触れる。


……髪の毛? 丸くて、ほのかに温かい。人の頭か?


さらさらとした手触りの良い髪を、そっと撫でると──


「ん……」


微かに声が聞こえた。


……女の声? しかも若い。 慌てて僅かに上体を起こし、腹の上を覗き込む。


──そこには、長い赤髪の女性が俺の腹の上に突っ伏すように眠っていた。


「???」


誰だ、この女は? 俺はなぜベッドで寝ている? 昨日、俺は何をしていた?


疑問が次々と頭をよぎる。落ち着け、落ち着け……。


確か、俺はザンピー王に騙されて、残念の塔とかいうダンジョンに入ったはずだ。


──そこまでは覚えている。 だが、そこから先の記憶が白く霞んでいる。


叢雲で敵を斬り刻んだ記憶はあるが……その後がない。


この赤髪の女が現れるまでの記憶がミッシング・リンク状態だ。


…………。



思わず、ゴクリと唾を飲み込む。 ──まさか、……やっちゃったのか?


自分が裸であることに気づき、あり得ない妄想が頭をよぎる。


それにしても、この女……


蟷螂の魔女ばばあに似ている。


しかし、前髪の間から覗く素顔は、皺一つなく肌に張りがある。何より年齢が違いすぎる。もしかして、身内だろうか?


──いや、そんなはずはない。


クレアの一族は呪いをかけられ──子孫を残せない体にされたはずだ。



『その当時の王曰く「メディクル家の汚れた血を後世に残すことを禁ず……」だと。


メディクル家も、私が最後の一人さね。できるだけ長く生きて、メディクル家の歴史を永く刻んでやろうと思ってね──』



彼女はそう自嘲気味に呟いていたのをふと思い出した。


そんなことを考えている間に、赤髪の女が目を覚ました。 寝ぼけまなこで、目を細め、目をゴシゴシと擦っている。


ふいっと、顔を反らしたかと思ったら、腕を思いっきり伸ばして、伸びをしている。こちらの事などお構いなしだ。猫みたいだな。


「ふぁ〜、よく寝た。……あんた、名前は?」


「えっ、俺のことか? 」


「あんた以外、誰がいるってんだい」


話し方まで、ばばあにそっくりだ。


深紅の瞳に、気の強さを表すようなつり目、端正な顔立ちに、すらりと伸びた腕や足は傷一つない。


衣服は真新しく汚れ一つない。ベッドに魔道士の杖が立てかけられているところを見ると、若い冒険者なのだろう。


どことなくばばあに似ている。やはり血縁関係があるのではないだろうか。


「なあ、もしかして君の血縁に……」


「な・ま・え!」


「……ああ、失礼した。俺はブレ・イヤー。ザンピー王国で冒険者をやっているものだ」


顔を上げると、女性は目を丸くしてこちらを見つめていた。


なんだ?


「君の名前を聞いても?」


はっとしたような顔で、僅かに間を開けてから名乗り始めた。


「ク……クリシアだ」


「家名はあるか?」


「いや……ない。ただのクリシアだ」


彼女はそう言いながら、視線を反らした。


「プレ……さん、悪いことは言わないから、残念の塔からは手を引いて、静かに暮らすんだね。さっさと田舎に帰んな」


「そういうわけにはいかない。ザンピー王の命令でここに来ているからな」


ザンピー王に一言物申さないわけにはいかないし、叢雲の件がある。


クリシアはチッと舌打ちをする。


「面倒なことになったね……」


「面倒? 」


「こっちの話だ。あんたには関係ないよ」



面倒なのはこちらも一緒だ。それよりも確認しないといけないことがある。


「ところで、その……俺は……」


なぜ、裸なのかと聞きたいのにそこから先が出てこない、


クリシアは怪訝な顔をしている。喉が渇き、声が震え、手汗をかいている。俺は緊張しているのか?



「何がいいたいんだい? 」


「あ、その……」



クリシアは自分の太ももを人差し指でタンタンタンと叩いている。



「……イライラするね。言いたいことがあるならはっきり言いな! 」


「お……おれと、きっ、君は……やって、しまったのだ……ろうかぁ?」


「はぁっ?!」



俺はこの日、人生の1ページにまた黒歴史を刻み込んでしまったのだった。





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いのっちクエスト 残念パパいのっち @zanpinocchi

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