19話「白い世界と滲む色」:夢乃side
週末が開けての月曜日。通常であれば、今日はいつものように学校に行くところだけど、文化祭の振替休日でうちはお休み。
週末と違い、学校やお仕事が始めるため、外の人通は少ない。
もちろん、人手ごった返すショッピングモールとか大きな商業エリアも人が少ない。
「夢乃先輩!」
ちらほら前を通る人の姿を見ながら、ぼんやりと今日のことを考えていた。すると、聞き覚えのある声が私のことを呼んでいる。
「お待たせしてすみません」
「いいよ。集合時間前だし」
少しだけ息を切らして私のそばまで来た”叶恵”。
昨日も思ったけど、私服かわいいなぁ……。
「あれ、目の下クマできてる」
「えっ……そ、そんなことは……」
「化粧で誤魔化してるみたいだけど、すぐわかるよ。なに、夜更かし?」
少しだけ顔を近ずけて叶恵の顔を覗き込む。少しだけたじろいながら顔をそらす仕草は、熊を見られたくないのと同時に、きっと距離の近さに動揺してるんだろうな。まぁわざと近づいてるんだけど。
「きょ、今日のデートが楽しみで……」
「遠足前の小学生か」
「だって嬉しかったんですもん!先輩から誘ってもらえて!」
口ではちょっとだけ冷たい言葉を投げかけるが、内心では理由が可愛くて今すぐ抱きしめたいくらいだった。
「嬉しいけど、ちゃんと寝てね。デート中に倒れられても困るし」
くるりと背を向け、私はそのまま歩き出す。後を追うように、私の隣にくる叶恵。また少しだけ面白い反応が見たいという好奇心から、スッと彼女の手を握った。すると、最初こそびくりと体を震わせて驚いていたが、すぐにうつむきながらも嬉しそうな表情を浮かべた。取り乱すことをちょっとだけ期待していたけど、これはこれでいいものが観れたからよかった。
*
しんと静まり返った室内は、とても心地がいい。騒がしいショッピングモールよりも、こういうところにいる方が私は好きだ。
「意外です。先輩が絵の展示会にくるなんて」
「前に誘われたんだけど、断ってね。でも、また絵も描き始めたし、平日は人が少ないからいいかなって」
昔、お世話になった画家さんの展示会。誘われた当時はちょうど絵を描くのをやめた時期だったから、断ってしまった。
だけど、また絵を描き始めたタイミングで連絡を取り、チケットを二枚送ってもらった。もうその時には、叶恵に対する感情を自覚していたから。
「んー……やっぱり叶恵は先輩の絵の方が好きですね」
「そういうこと言わないの」
「うっ……ごめんなさい」
平日ということもあり、展示会にきてる人の数は少ない。
子供ずれでもカップルでもない。いるのは一人でただ、絵を楽しむような人ばかり。
「おや、来てくれたのかい?」
不意に聞こえた声に私は振り返る。
そこにいたのは50代後半ぐらいの男性。黒く染めた髪の毛の色が落ち、7割ぐらいが白い髪の毛になってしまっている。
「こんにちは。チケット、ありがとうございます
「いいだよ。夢ちゃんがこうやって来てくれて嬉しいよ」
この人が、この展示会の責任者というか、ここにある絵の作者さん。昔、中学生の頃に少しだけ絵を教えてもらった経験があった。その時の教えてくれたのがこの人だった。
とても物腰が柔らかく、いろんなアドバイスをしてくれる。
他の人は、ただ私が作ったものを褒めるだけで指摘なんてしてこなかった。だけどこの人だけが唯一私の作品にアドバイスや指摘をくれた。
「夢ちゃんのお友達かい」
「後輩の海崎叶恵。私のファンなんですよ」
「おやおや、それはそれは」
彼は軽く叶恵に会釈する。叶恵、少し慌てながらも会釈を返す。
この展示会が開始されてもう随分経つ。そろそろ終わりの日が近いことは知っていた。それもあって、チケットをもらう時に「まだ大丈夫ですか?」と確認をとってから受け取った。
「展示会は、わしの夢の一つでな。死ぬ前に一度はやりたかったことだったんだ」
ちょうど私たちが見ていた絵を、どこか懐かしむように見ながらそう話してくれた。
私は多分、展示会とは開かないと思う。開きたくないのかと聞かれたら嘘になるけど、私の名前が上がればいろんな人がお金を積んで絵を買おうとする。もともとそういう大人の汚い行動が嫌いだったから描かなくなった。だから、私はもう”描きたいから描く”を貫くと決めた。
「素敵な絵です」
「夢ちゃんに褒められると嬉しいのう」
「からかわないでください……評価、されるといいですね」
「……そうじゃな」
うつむき、地面を見る私。反対に顔をあげ、天井を見上げる彼。お互いに正反対の行動をとりながら、しばらく沈黙をする。
「さて、わしはまた一通り回るかのう」
「はい。無理はなさらず」
「ありがとう。後輩ちゃんも、楽しんでいってね」
「あ、はい!」
彼の背中を見送った後、私たちは別の絵をみる。だけど、隣では叶恵がソワソワした様子でこちらをチラチラと見ていた。
「なーに、さっきから」
「え、い、いえ……」
「気になるんでしょ、さっきの会話」
——— 評価、されるといいですね
——— ……そうじゃな
「あの人の、もう一つの夢だよ」
「夢、ですか?」
「そう、展示会ともう一つ。生前じゃなくて、死後に自分の絵が評価されること」
どんなに生前、無名だったり評価されなかったとしても、死後にその作者の絵が大きく評価されることもある。彼は、それを夢見ているのだ。生きている間の、自分が知るかもしれない状況での評価よりも、自分が知らないところでの評価。それは、ある意味夢物語のような憧れだ。
「それを聞いた時、私はロマンチックだなぁって思ったよ。私は、そういうたいそうな目的はないから」
衝動のまま、感情のまま。私はただ描きたいものを描くだけ。それで褒めてもらったり評価されるのは嬉しいけど、私が求めるそれは純粋なもの。隣にいる彼女が、抱いてくれるようなそんな評価。
「なんですか?」
「なんでもないよ。一通り回ったらご飯にしようか」
「そうですね。ちょっとお腹ならないか心配です」
「ここでなったら他人のふりするね」
「先輩ひどいですよー」
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