18話「瓶に積もる粉絵の具」:叶恵side

その幻想的な世界観に、思わず声が漏れちゃった。

鼻を刺激する絵の具の匂いは、出来たばかりなのか、とても濃く感じる。あぁ、先輩の新作。なんて素敵なんだろう。

なんの花かわからないピンク色の花の上で楽しそうに踊る少女。頭上に広がる夜空に大きくその存在感を出す淡いピンク色の彗星。

伝わってくる……先輩の感情が、色や構図、形から、溢れくる。先輩はこれを……

その時、叶恵の思考は止まる。

伝わってくる先輩の感情は、とても淡いく繊細な……【恋】だった。

つまりこれは、先輩が誰かもわからない好きな人のことを考えて書いたことになる。

だれ?先輩の好きな人って……というか、先輩好きな人いたの?

さっきまで叶恵の中にあった【幸せ】な気持ちが、何か歪んだそれで塗りつぶされそうになった。

やだ……先輩に好きな人なんて……そんなのやだ。


「っ!」


気付いた先輩の肩を強く掴んでいた。本当はこんなことしたくなんかない。だけど、自分の中にある黒いそれが酷く気持ち悪い。

いやだ、嫌だ、嫌だ……

それがどんどん形になって叶恵に語りかけてくる。早く、早くこれをどうにかしたい。


「先輩、あの絵……すごくいいです」

「ぁ、ありがとう……」

「すごくいいです、すごくいいんですけど……」


あぁ、胸が苦しい。感情が込み上がってきて、涙が溢れ出てくる。なんで泣いてるの……別に先輩に好きな人がいてもいいじゃん。先輩が幸せならいいじゃん。どうして……どうして……


「先輩、好きな人いるんですか?」


その好きな人が叶恵以外は嫌だなんてわがままを思うのか。

誰なのか、先輩に何度聞いても答えてくれない。ずっと顔をそらして叶恵のことを見てくれない。あぁ、やっぱり叶恵じゃないんだ……。


「叶恵は、この絵が見れて嬉しいです。でも、苦しいです……先輩が、好きな人のことを考えて、想って描いた、この絵が」



大好きな人の絵が、酷く歪んで、くすんで見える。

そのくすみの原因を知りたい。先輩の好きな人を知りたい。


「教えてください先輩!好きな人って誰ですか!」


バイト先の人?クラスの人?先輩?後輩?

叶恵の知っている限りの先輩の交友関係を思い出す。どれが、誰が先輩の。


「落ち着いて!」


グッと先輩が叶恵の肩を押して、顔を覗き込んでくる。

あれ、先輩の顔が赤い……どうして……


「はぁ……やっとちゃんと見てくれた」

「え……」

「私に言ってるのに、別の何かに意識向いてたから。まぁ、私も顔背けてたから気付いたのは途中だけど……」


スッと、上っていた血が下に落ちていく感じがする。高ぶった感情が冷え切り、気持ちが冷静になってくる。そして感じる恥ずかしさと、罪悪感。

ずっと、見たいと想っていた先輩の作品を目にしたのに、伝わってきた感情に嫉妬して、先輩を困らせた。叶恵はなんて傲慢で汚いんだろう。


「先輩……叶恵は……」

「海崎さんだよ」


呼ばれて顔を上げた。だけどそれは、別に叶恵のことを呼んだわけじゃないんだと、すぐには気付けなかった。

視線の先、叶恵のことをじっと見つめる先輩。じっと、じっと……叶恵の内側まで見るように。


「なんでそんな顔してるの?知りたかったんでしょ?」

「な、何がですか?」

「……私の好きな人」


先輩の言っている意味がわからなかった。

その好きな人を今から言うのか。でも、今の感じだともうすでに言ったみたいな感じ……え、だれ?別に先輩、誰のことも言って……


「私の好きな人は、海崎さんだよ」


先輩の綺麗な手が、優しく叶恵の手を包み込んでくれる。ところどころあるペンダコは、絵を描かなくなっていても残っていて、先輩の絵が大好きだと言う気持ちが伝わる。

優しく微笑むように、叶恵のことを呼んでくれる。

込み上がってくるそれは、初めて先輩に叩かれたときと同じ気持ち。そして、ずっと抱いてきた気持ち。


「ねぇ……どうして私がこの花を選んだかわかる?」


先輩の視線が絵に向けられて、釣られるように叶恵も先輩の絵に再び目を向ける。

花には詳しくない。ピンク色の、少しだけ変わった形をしたその花。


「なんて花なんですか?」

「オドントグロッサムっていうの」

「うわぁ、言いにくい」

「ふふっそうね」


上品に、ふわりと浮かべる先輩の笑みに胸がぎゅっと苦しくなる。

手は握ったまま。離れて気持ちを落ち着かせたいけど、このまま離れたくないという矛盾も生まれる。


「この花を選んだ理由はね、花言葉が【特別な存在】だからなの」

「特別な、存在……」

「私にとって海崎さんは、特別な存在よ。また絵を描き始めるきっかけでもあり……愛おしくてたまらない相手」


先輩が私の手を強く握ると同時に、叶恵の胸もぎゅっと苦しくなる。

あぁ、眩しいな……白とびするぐらい、世界が酷く眩しく感じる。あの時……先輩の絵を見る前の叶恵は想像していただろうか……こんなにも世界が、眩しく感じる日が来ることを……

こつりと、先輩の額が叶恵の額にくっつく。至近距離に先輩の顔がある……だけど、叶恵はそんなこと気にならないほど、気持ちが……込み上がる感情が苦しくて泣いた。苦しい……だけど、それは嬉しさと幸せの苦しさだった……





まだ、夢心地な気分だった。

先輩のベッドの上、一緒に横になって天井を見上げる。

お互いに、自然と手を取り合い、強く握って。


「まさか、ストーカーに恋するとは」

「先輩ひどい」



くすくすと笑う先輩は、いつも通りに見えた。だけど、そのいつも通りの奥に違う先輩がいる。とっても心が満たされる。


「眩しいな……」

「ん、電気消す?」

「あ、いえ。そういう意味じゃないんです」


世界がキラキラして見える。そのキラキラがたくさんで、思わず目を細めてくなる。だけどそんなことしちゃったら、隣にいる先輩の顔を見れなくなってしまう。


「ねぇ、叶恵」

「っ!は、はい……」


横を向き、叶恵の顔を見て来る先輩が、少しだけ悪戯っ子のような表情を浮かべながら叶恵の名前を呼んでくれたら。

正直急でびっくりしたけど、とっても嬉しかった。


「キス、しようか?」

「……うえぇあ!?」

「プッ!あははは!なにその声」


あまりのとんでも発言で思わず変な声が出てしまった。

だ、だって先輩がいきなり変なこと言うから。で、でも恋人同士になったし、キスぐらい普通、だよね……


「あ、あの先輩」

「まぁ冗談だけど」


そう言いながら、先輩がまた天井を見上げる。

あ、からかわれた。最初から、叶恵が戸惑う姿を見るためにあんなこと言ったんだ。意地悪な先輩は好きだけど、今のはちょっと酷かった。


「ん、どうした?」


叶恵は体を起こして、横になっている先輩を見下ろす。そして、ゆっくりと顔を近づけて、その柔らかい唇に自分の唇を重なる。

少しだけ顔を話せば、顔をほんのり赤くさせながら驚いた表情をするs年配の姿があった。あぁ、その表情はずるいな。


「先輩がしてくれないなら、叶恵がしますね」

「……それは……ずるい」


恥ずかしさせ顔をそらす。あぁ、先輩が自分の下でそんな表情をするなんて……かわいいな……。

込み上がる感情をどうにか満たすために、叶恵はそのまま先輩の上に覆いかぶさった。

肩口に顔を埋め、先輩を感じる。

すると、まるで子供をあやすように、先輩が私の頭を撫でてくれた。あぁ、すごく幸せだ。心の中に、何かがどんどん満たされていくようなそんな感覚……


「先輩」

「んー?」

「大好きです」

「……うん。私も好きだからさ」


先輩がぐっと体を起こすと、覆い被さっていた叶恵も自然と体が起き上がる。

先輩と向かい合わせになって、ちょっとドキドキする。

ニッコリとする先輩。先輩の手が、ゆっくりと叶恵の頬に触れる。


「明日デートしようか」


海崎叶恵。好きな人とお付き合いをして、初めてデートに誘われました。

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