15話「矢印の方向」:夢乃side
不意に尋ねられた問いに一瞬固まった。どうしてこの子は、私がまた絵を描き始めたことを知っているのだろうと。
描き始めたことは家族しか知らない。
あの日、彼女が絵を完成させたあの時に、兄さんに頼んで画材の買出しに付き合ってもらった。
「大丈夫なのか?」
そう兄さんに尋ねられた。表情はあまり読み取れなかったけど、心配し絵¥ているのは伝わった。
私の世界に色が戻った。だけど、描かないとという意味でまた始めるわけじゃない。
「うん。描きたいんだ。この気持ちを、形にしたい」
あの瞬間に感じた、この感情をしっかりと形にしたい。
これはただの自己満足。何かコンテストに出したい、たくさんの人に見てもらいたい、褒められたい、評価されたい。そんな承認欲求は一切ない。
こつこつと描き上げている絵。まだ誰にも見せていないそれを、なんでこの子は気づいたのか。
「……どうしてわかったの?」
「あ……えっと……先輩から絵の具の匂いがしたので」
それを聞いて「あぁ……」と思った。換気はするものだな。描くのは夜だからいつも窓もカーテンも締め切っている。それに、作業部屋と生活スペースは一つの部屋になっているからどうしても匂いはつく。おかげで、制服にまで匂いがついてしまっていたみたいだ。それにしても、この子はどんな嗅覚をしてるんだろう。私も全然気づかなかった。
「……変態」
「なんでですか!!」
理不尽に、からかうようにそんなことをいえば驚かれる。でも、あながち間違ってない。匂い嗅ぐなんて、変態の他に何があるっていうんだろう。
「まぁ、お察しの通りまた絵を描き始めたよ。あ、勘違いしないで欲しいのは言われたからじゃない。私が描きたいと思ったから」
そうだ。昔の私もそうだった。誰かに言われて描くんじゃなくて、自分が描きたいから、感情の思うがままに思いっきりキャンバスに向き合ったんだ。
「できたら見せてください」
「いいよ。もともと見せるつもりで描いてるんだから」
口の中が甘い。なんだか少し胸焼けする。飲み物か、しょっぱいものが食べたい気分だ。
「完成させたら連絡する」
「……はい」
感激。涙を流しながら、嬉しそうな表情をする彼女の頭上にそんな言葉が浮かんでるように見えた。
まぁずっと楽しみにしててくれてたみたいだし、あえていつもみたいな対応はして上げないでおこう。そして、軽くサービスも。
「え、先輩?」
私が手を握ってあげれば、少しだけ戸惑った表情を浮かべる。そう、その顔が見たかった。
満足感で高ぶる感情を必死に抑えるが、それでも少しだけ漏れ出てしまい、彼女に満々の笑みを浮かべながら繋いだ手を視界の中に入れて上げた。
「サービスだよ」
パッと彼女が顔をそらして口元を空いてる手で隠した。だけどほんのりと顔が赤くなっているのがわかる。うん、その表情好きだな。
「次どこ回ろうか。叶恵はどこに行きたい」
さらりと名前で呼ぶけど、彼女が全く反応しない所を見る限り、今現在、気持ちに余裕がないみたいだった。
*
「はぁ……幸せすぎる」
私の隣、人が通らない階段に並んで腰を下ろしてる時、ふと彼女がそう口にする。その顔はどこかほうけていて、頭の中がお花畑け状態になっている。
「先輩と文化祭デートするなんて……」
「別にデートじゃないでしょ」
「デートです!」
断言するようにいうけど、別に先輩後輩で回ってる子なんてそこら中にいる。私たちが特別なわけじゃない。
「あ、そろそろクラスの方に戻らないと」
私はまだ時間はあるけど、海崎さんはそろそろ時間みたいだった。
一人で回るっても、特に行きたいところもないから見送りついでに彼女のクラスに行こうと思った。
「え、叶恵のクラスですか!?」
「うん。男子の女装も気になるし」
もちろん、その逆も然り。
実際は、同じクラスの子の彼氏が海崎さんと同じクラスらしく、女装することになったことは聞いているけどシフト時間がかぶってみにいけないからと写真を頼まれていた。
事前にメイドさんや執事さんの写真をお金さえ払えば撮っていいという風になってるらしく、クラスメイトに泣きながら頼まれた。
「ふむ、なるほど。事情はわかりました。それじゃあ行きましょうか」
階段から立ち上がり、私たちはまた横に並んで歩く。
お互いに手を繋がない。ただ並んで歩くだけ。
「戻りましたー!そして、お客さん捕まえたよー!!」
元気よく、クラスに向かって声をかける。
彼女のクラスメイトの視線が一気に注がれる。ふむ、意外と男子の女装クオリティは高い。女の子もなかなかクオリティが高い。
「評判いいでしょ、このクラス」
「おかげさまで。あ、窓際の席空いてるからあそこでゆっくりしてください」
不意に、海崎さんはちょっと意地悪っぽく私の耳元で囁く。
「パフェ頼んでくれたら、クリーム増し増しにしてあげますね。叶恵、デザート担当なので」
それじゃ。と軽く手を振りながら、彼女は調理スペースがあるであろう、布で仕切られたバックヤードへと消えていった。
そんな彼女の後ろ姿を見送ったあと、彼女に言われた窓際の席に腰を下ろして注文をした。
「すみません、いちごパフェひとつ。あと、そこのメイドさんの写真撮らせてください」
可愛らしい執事さんが「いちごパフェひとつ。それからメイドのご指名でーす」という声が教室に響く。
近づいてきたメイドさんに事情を話すと、顔を赤くしながら顔を覆っていた。小声で「必死かよ……」と呟いていたのは私にしか聞こえなかったみたいだった。
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