第12話 五年前のこと

 夢を見ていた気がする。多分、嫌な夢だ。


 目を開けると、そこは薄暗い部屋の中だった。室内には床に固定された大きなサイズの机がところせましと並べられていて、一つにつき二つ回転式の椅子が備え付けられている。どの机の上にも椅子の数と同じパソコンが置かれていた。


 ここは、どこだ? 立ち上がろうとして気づく。


「動けない、か」


 椅子に座った姿勢で手を後ろに括られてしまっている。

 感触から察するに、細くて硬い紐のような物だろう。両手を動かそうとすると、親指と手首の二か所に食い込む感覚があった。


「いひひひひ、久郎くん、目、覚めたあ?」


 この声、聞き覚えがあるが、親しみを感じる相手のものじゃない。


「やっぱり、お前かよ」

「おはよお。あれえ、あんまし驚かないんだねえ」


 目の前に座っていたのは昼間に会った女、釘原だった。

 足を組み、にやにやとした笑みを浮かべながら、俺を見つめている。


「昼飯の時から誰かに見られてるのには気づいてた。尾行もだ。下手すぎなんだよ」

「下手だってさー」

「…………やな奴」


 ぼそりと、横で呟く声。

 見れば、俺を気絶させた犬女が不機嫌そうな顔で立っていた。


 もう普通の人間の姿に戻ってるな。

 明るい色のショートヘアーに、褐色の肌。そして目つきの悪い仏頂面。

 あんまり素行の良さそうなタイプじゃない。


「さて、久郎くん、問題です。私の名前は何だったでしょうか?」

「……病人みたいに色白で、やたらと髪の毛の量が多い女」

「ぶっぶー! それは名前ではありませーん。正解は、釘原い・ろ・は、でしょう? ひどいなひっどーい! 覚えといてって言ったのにぃ」

「呼ぶことがなさそうな名前はどうにも頭に入ってこなくてな」

「キッツいねえ、ゾクゾクしちゃう。あ、そっちの子は犬走健子いぬばしりけんこちゃん。私の数少ないお友達」

「手下、じゃなくてか?」

「ああーそうとも言うかもしれない」

「え?」

「うそうそ冗談だよー、ごめんねワン子ー」


 驚いた様な声をあげた犬走に、釘原がぺろりと舌を出して謝った。

 ワン子ってのは、あだ名か? 犬女だし。


「それで? 釘原、お前、何者なんだ?」

「やん、私、苗字じゃなくてえ、いろはって呼ばれる方が好きかも」

「さっさと答えろよ、鬱陶しい」

「い、ろ、は、だよ。ほら、呼んでみてー」

「…………いろは。ほら、これでいいだろ」

「よくできました。仲良くしようねぇ、久郎くん」


 絶対に無理だ。

 許されるんだったら、この時点で脳天に拳骨の一つも落としてる。


「さっきから妙な気配がすんだよ。隠してないで、正体を現したらどうなんだ?」

「……へえ、久郎くん、わかっちゃうんだ。そんな人、初めてだよ」


 俺の指摘に、いろはが初めて本気で驚いているような表情を見せる。


「犬走、だったか? こいつは毛むくじゃらになってた。あんたは一体どんな魔物になるんだ?」


 いろはから漂ってくるのは、犬走が変身した時に感じた気配を薄めたような何か。

 昼間は分からなかったが、意識してみるとこいつからも胸糞の悪い臭いがしてやがる。


「ねえ、ワン子。もしかして、あっちの姿、もう見せちゃったの?」

「ごめん。こいつ、その、すごく強くて。手こずっちゃって」

「わざと負けてもらったって、ちゃんと言ったらどうだ?」

「うっさい。噛み殺すぞ」


 うなだれていた犬走が、忌々しそうに俺を睨み付けてくる。

 事実だろうが。


「いひっ、マジ? もしかして久郎くん、大当たりの人?」


 それとは対照的にいろはは心底嬉しそうな様子で、にまあっと笑みを深めた。


「そっかそっかあ、もうバレちゃってるのか。じゃ、隠しててもしょうがないね」


 いろはが組んでいた脚を元に戻して、立ち上がった。

 そして、長くて太いおさげの先端を結んでいたリボンをするりとほどく。

 三つ編みにまとめられ、捻じれていた黒髪が下から広がっていくのと同時に、その変化は始まった。


 紫色だ。

 いろはの長い黒髪が波打ちながら、淡い紫色の光を帯びていく。

 毛先が意志を持っているかのように重力を無視して揺らめきだす様は、まるで海藻だった。

 もともと白かった肌は、下を流れる血管が見えてしまうのではないかというほどに透き通っていく。

 耳の先端が尖り、細い指の先の爪も伸びだしていた。


「どう? 流石にびっくりした?」


 ずいっと顔を覗き込まれ、その瞳もまた紫に輝いていることに気づいた。

 瞳孔の形も変わっている。円ではなく、黒い星型だ。


 星、五芒星、それが象徴するものは確か。


「……お前、やっぱり魔族かよ」


「ワン子は魔物で、私は魔族。久郎くんは、そういう呼び方をするんだね」


 きしし、と笑ういろはの歯はさっきまでと違ってギザギザに尖っていた。

 肌が白すぎるせいか、口の中が毒々しいまでに赤く見える。


「でも、違うよ。私も、ワン子も、元々ただの人間だしね」

「そうは見えないけどな」


 言ってる傍からいろはの動き回る髪にあちこちをくすぐられてる身としては、信じられない。


「ま、君が知ってる何かとは別だと思うよ。私達はあることがきっかけでこうなっちゃったの」

「……あること?」

「五年前、って言えばピンとくる?」

「!」

「私の予想では、この不思議な姿と君が五年間居た場所には、繋がりがあると思うんだあ」


 普通と異常、日常と非日常の境目。

 俺の全てが狂いだしたあの日のことを、こいつは言ってるのか。


「その様子だと、ちょっと興味出てきたみたいだね」


 黙っている俺を見て、いろはは満足げに頷いて一歩後ろへ。


「まあ、まずはこれを見てもらおっかな」


 いろはが指を鳴らすと、部屋の前方に設置されていたスクリーンが勝手に降りてきた。


 リモコンは持ってないな。どうやって操作してるんだ?


「グレムリンって知ってる? これ、私の能力。機械を触らなくても操れちゃうの」


 そんな名前の魔物に心当たりはない。俺が出会わなかっただけかもしれないが。


 記憶を辿る俺をよそに、いろはの長い髪の先の何束かが、ぴっぴっと機敏に動く。それに反応して、スクリーンに画像が映し出された。


 何かの、動画か?


『ねえ、何あれ? 浮いてる? 人、浮いてるって!』


 どこかで見たことがある街並みと蠢く人の波、その上に浮いている黒い物体が映し出される。

 画像は荒くて、聞こえてくる音のノイズや手振れが酷い。

 おそらく携帯で撮影されたものなんだろう。


 何だこれ、と思った瞬間。


『うわあああああっ!』


 画面中央の黒い点から閃光がほとばしり、くぐもった爆発音が聞こえた。

 二度、三度と轟音が続く。画面の揺れが激しくなり、誰かの悲鳴らしきものが重なる。

 何もないところから突然発生した閃光と爆発音にも見覚えがあった。

 こういう暴れ方をする連中を俺は知っている。


 魔族だ。


 地面はアスファルト、ビルが立ち並ぶこっちの世界の街中で、魔法を使える化け物が力を振るっている。


 俺が今、目にしているのはそんな様を録画した動画だった。


『やばい! こっち向いたぞ、走れはし……』


 宙に浮かぶ赤い瞳の男がカメラの方に手をかざした次の瞬間、スクリーンが真っ黒になった。


「久郎くんが言う魔族って、こんな感じの人のこと?」

「……今のは、何だ?」


 いろはの予想の通りだ。

 人に近い姿をしていて、魔物たちを統べる上位の存在。


 そんな連中が、なんでこっちの世界で撮影されてる?


「五年前のことなんだけどね、この町のショッピングモールで爆発事故が起きたの。たくさんの人が怪我をしたり、命を落としたり、犠牲になったんだよ」

「……事故? 今のがか?」

「そういうことになってる。警察や偉い人は必死で隠してるけど、今見たのが真実。あの男は突然現れて、町を滅茶苦茶に壊した。幸い、あいつを止めることはできたみたいだけど」


 魔族は恐ろしいが、無敵じゃない。

 一体くらいならこっちの世界の武器でも太刀打ちはできる……はずだ。手こずるのは間違いないが。


「そして、その後、この町に私達みたいなのが現れだした」


 いろはの怪しく輝く紫色の目が、こっちの目を覗き込んでくる。


「元々は人だったのに、人じゃない力を持つ人達がね、今はいっぱいいるの」


 機械を手で触らず自在に操作する女と、毛むくじゃらの犬に変身できる女、か。


「あいつがどこからやって来たにせよ、入り口はあったと思うんだあ。そして」

「…………」

「調べてみてわかった。久郎くんが行方不明になったのも、ちょうど五年前の同じ日だったみたいなんだよねえ」


 行方不明。五年前。いろはの言葉が記憶を呼び起こしていく。


 町を歩いていて妙な光を見たこと。

 その光に飲み込まれてしまったこと。


 そして、その先であったこと。

 この世界ではないどこかで経験した、長い長い五年間の記憶。


「君は、あいつがやってきた入り口みたいなものを通って、どこかに行ってた。人間じゃない何かがいる、この世界じゃない場所にね。私の予想ははずれかな?」


 いろはの言葉をただの偶然だと、否定することはできなかった。


 俺があの世界に行ったのと入れ違いに、向こうから誰かがやって来ていた。

 俺は望んで行ったわけじゃない。

 だが、誰かがやって来たのに巻き込まれたと考えれば?


「お前の予想が当たりだとしても、あの男のことなら俺は何も知らないぞ」

「うん? ああ、あいつのことはとりあえずいいの。それよりこの町は今、ちょっと困ったことになっててね。人手が欲しくってさあ」

「困ったこと?」

「実はねえ、私達みたいに力を持ってる人間が、調子に乗って色々悪さを始めちゃったわけよ」

「男子高校生を拉致する、とかな」

「それは言っちゃだぁめ。私達はノーカンでいいの」


 そんなわけあるか。

 こちとら現在進行形で健全な社会復帰に大きな影を落とされてんだぞ。


「久郎くん、何か色々知ってるみたいだしさあ。協力してくれないかなと思って!」


 ぱん、と軽く両手をうって、いろはがギザギザ歯のスマイルで提案してきた。

 ただ、極太のわかめみたいな髪をふり乱したその姿に部活動の勧誘のようなさわやかさはない。


「ねーねー、早速だけどさ。久郎くん、君に一体何があったの?」


 言いながら遠慮なく顔を近づけてくるいろは。

 自由自在に動く髪の毛に、座っている椅子ごと包まれながら、俺は少し考えて結論を出した。


「答えるつもりはない。そう言ったらどうするんだ」

「言わないよお。君、家族を大切にしたいでしょお」


 いひひ、といろはが笑う。


 そう。これだ。

 こういう態度を取るなら、俺の答えは一つ。


「ありがとな。お前がおしゃべりなおかげで、色々とわかったよ」


 こいつが白か黒か、ここらではっきりさせておこうか。


「わかったって、何があ?」

「良し悪しは置いといて、お前らは大して危ない奴らじゃない、そこは間違いなさそうだ」

「なにそれ? どういう……」

「こういうことだよ」


 不思議そうに首を傾げたいろはに最後まで言わせず、俺は立ち上がってその腕を掴んだ。

 元々隙だらけだったからか、そのまま後ろに捻り上げて机に押さえつけるのは難しくなかった。


「動くな!」


 血相を変えて襲い掛かってこようとする犬走を一喝して、牽制する。


「教えといてやるよ。誰かを生け捕りにしとく時は、いつでも殺せる準備をしとくんだ」


 相手だっていつ隙をついてやろうかと狙いを定めてるわけだからな。

 抵抗する意思は削いでおかないと、手痛いしっぺ返しをくらうことになる。


「あ、あれれ? 久郎くん、手、縛ってたはずなんだけどなあ」

「あんなもの、お前が勿体つけてる間に外した。ぼさっとしてたお友達を恨むんだな」

「うあっ! いったあ!」


 腕に力を込めると、いろはが悲鳴をあげた。

 まずにやけ面を引っぺがしてやるとしよう。


「俺の話の前に、お前らのことを喋ってもらうぞ。正直に話せよ」


 いろはの耳元に顔を近づけて低く言う。


「耳がくすぐったいよお。久郎くん、脅しなんて怖い事したら女の子に嫌われ……」

「どうでもいい。目的だ。釘原、お前らの目的を言え」

「いひっ、さっき言ったじゃん? 悪い事をしてる奴らを止めたいっていたたた!」

「……いいか、あと一回しか訊かないぞ。この腕が大切ならよく考えて、答えろ」


 グッと、いろはの腕を靭帯に負担がかかる方向に捩じる。

 このまま力を込めていけば簡単に千切れるだろう。


「お前の、本当の目的だ。言え」

「ほ、本当だよお! 信じて! 私は本当に街を守りたいだけ! 君の家族に手を出す気もないから! こうでもしないと、君の力を借りられないと思ったの!」


 念を押すように区切った俺の言葉に、いろはは泣きそうな声で訴えてきた。

 嘘を腕一本犠牲にしてでも突き通そうとしているなら恐ろしい根性だが、これは違うな。


 本気で怖がってる。


「……そうか。だったら、別にいい」


 もう新しい情報は何も出てこないだろう。手を放し、自由にしてやる。


「大丈夫⁉」

「ういい、すっごく痛かったよぉ」


 俺を押しのけるようにして犬走がいろはに駆け寄った。

 めそめそとすすり泣き、腕をさするいろはを、犬走が心配そうに見つめている。


「悪かったよ……流石に骨を折ったり、腱を切ったりはしてない」

「そういう問題じゃない!」


 顔を上げて凄まじい形相で俺を睨んできた犬走の目には、涙が浮いていた。

 胸の底からじわりと湧いてきた罪悪感に耐え切れなくなって、俺は二人から目を逸らす。


 本当にここまでする必要があったのか。

 明らかに、やりすぎた。


「わかっただろ。これでもまだ、俺に力を借りたいか」

「絶対に嫌だから! あんた、何なの! 頭おかしいんじゃない?」

「かもな」


 犬走が敵意もあらわに歯をむき出して怒鳴ってくる。

 先に脅してきたのはそっちだ、とか、人を誘拐したことを棚に上げやがって、とは、言わない。そんな言い訳で正当化できるようなことじゃないからだ。


 やらなきゃよかったと思うようなことを、躊躇なくできてしまうことが問題なんだ。


「まともじゃないと思うなら、もう関わってくるな」


 いろはを気遣う犬走をできるだけ見なくてすむよう、俺は背を向ける。

 後ろから襲い掛かってきたらどう対処しようかと、勝手に考え出す頭が恨めしい。


「帰るぞ。出口はどこだ?」

「ドアなら向こうについてるでしょ! 勝手に出てけバカ!」


 犬走の言う通り部屋の前方と後方に二か所、普通の引き戸がついていた。

 そもそも。


「……ここ、学校じゃないか」


 ドアを開けると、そこは俺が今日から通い出した高校の廊下だった。視線を上げると『第二視聴覚室』と記されたプレートが見え、俺は深く溜息を吐く。


「げ」


 時間を確認しようとスマホを見たら、メッセージが山のように届いていた。


『遅くなるの?』に始まって『今どこにいるの』と続き、延々と俺を心配する文面を送り付けてきている姉ちゃんはまあ、まだいい。だが、その中で一つ。


『大丈夫? まさか道に迷った?』


 妻崎からの文面に目が留まり、自分が鞄すらほったらかしでここにいる事実を思い出した。


「…………やっちまった」


 ハンバーガー屋にいた時から、既に三時間、か。

 せっかく再会できた気のいい友達も、流石に激怒していることだろう。


「なんて説明すっかなあ……」


 明日が怖い。

 脅しなんてやってるうちは、普通の高校生に戻るなんて到底無理そうだ。

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