第9話 ファーストフードは嘘の味

 駅についた俺達は、ハンバーガーショップに入った。

 日本全国どこにでもあるチェーン店だ。ここなら俺でも全く抵抗がない。


「いい匂いだ。腹減ったな」

「だねえ」


 カウンターの向こうから漂ってくる、油の独特な匂いに懐かしさを感じる。


「ダブルチーズバーガ―のLセット。ドリンクはコーラで。あと、ナゲットも」

「お前……夕飯前に大丈夫か? 太るぞ」


 今だって決して細くはないんだから、少々心配だ。


「いいの! 食べた分、明日二倍動くから平気」


 その二倍理論に対する信頼感はどこからくるんだ?

 サボリの分も含めたら、単純計算で四倍だぞ。

 かけるのが運動の量なのか、時間なのかもよくわからんし。


「それに、久郎、これ好きだったでしょ? 分けたげるよ」


 にこやかに笑う店員さんが持ってきたチキンナゲットの箱をつんつんと突く妻崎。

 確かに俺は昔からポテトより、ナゲットの方が好きだった。

 五年も前のことだろうに。よく覚えてたな、こいつ。


「じゃあ、俺も同じのを、Mサイズで」


 俺と妻崎は、渡されたトレーを持って店内をしばしうろつき、やがて見つけた二人掛けの席に向かい合って腰を下ろした。


「よし、食べよ! いただきます」

「いただきます」


 律儀に手を合わせた妻崎に続いて、俺もバーガーの包み紙を開ける。

 かぶりつくと、口いっぱいに肉とチーズの旨味、ソースの酸味が広がった。


「美味いな。そう言えば、こんな味だった」


 この安っぽくてわかりやすい味を恋しく思った日があった。

 こっちに戻ってきて、もう一度食べたい物リストのトップに挙げていただけのことはある。


「いや、どんだけ感動してんのさ」


 チーズバーガーを見つめてしみじみと息を吐く俺を、妻崎が笑う。


「……まあ、久しぶりだからな」

「ふうん……ねえ、その、嫌だったら、答えなくてもいいんだけどさ」


 なんだろう。歯切れが悪いな。


「今まで、どこで何してたの?」


 相当迷ったらしい。露骨に視線が泳いでいるし、声ももにょもにょと小さい。

 こういう質問をいつか、誰かにされるとは思っていた。


 どう答えたもんかなあ。

 どこまで教えるか、どこまではぐらかすか。とても難しい線引きだ。


「どこで……ってのは、実は俺もよくわからないんだ。ただ、日本じゃなかった」


 これは本当のこと。

 こういう言い方をすれば、妻崎は俺が海外にでもいたのだと勘違いをするだろう。本当のことを言って、ほら吹き野郎だと思われたくなかった。


「毎日、ずーっと歩きっぱなしだったり、体を動かして働いたり、ちょっと危ないことがあったり、まあ、そんな感じだ」


 これもまた真実。でも、何のためにそんなことをしていたのかは言わない。

 言っても信じてもらえないだろうから。


「そう、だったんだ……」


 物を食べる手を止めた妻崎の頭の中では今、どんな想像がされているんだろうか。

 神妙な面持ちで黙り込んだところを見ると、明るい場面ではなさそうだ。


「少なくとも勉強は全然しなかったな。あと、ハンバーガーやポテトもなかった」

「大好きなチキンナゲットは?」

「もちろん、なしだ」

「じゃあ、これ、あげる」


 重くなりかけた空気を振り払うために言った軽口に、妻崎も快く乗ってくれた。

 差し出された箱の中のナゲットを一つをつまみ、どっぷりとソースに浸してから口に放り込む。


「そう、これだよ。この味が恋しかったんだ」

「なら良かった。安上がりで助かるよ、ほんと」


 さっきよりだいぶ柔らかい表情になった妻崎も、ナゲットをつまんで半分かじる。


「やっぱりさ、しんどかった?」

「ん? そりゃきつかったこともあったよ。けど、楽しいこともちゃんとあった」


 頭をよぎる記憶は暗くて、思い出したくもないことばかり。

 死ぬかも、ではなく、ここで死ぬんだと恐怖したことは一度や二度じゃない。

 それでも。


「いい人たちにも、出会えたしな」


 忘れたくない大切な思い出を作ってくれた人達の顔が、自然と浮かんでくる。

 その人達に教わったことも、言われた言葉も、離れてしまった今だからこそ、かけがえのない俺の一部だと思うことができた。


「いい人たち、ねえ。もしかして可愛い子もいた?」

「ああ、いたよ。年上の女の人の方が多かったから、美人って感じだったけど」


 可愛いというのは、姉弟子くらいのもんか?

 俺より背が低かったの、あの人だけだし。


「へえー、そーなのかあ」

「何だよ、その顔」


 妻崎の声色が下がり、じとっとした目で見られた。


「あたしは元からこんな顔だよ。悪かったね」


 言いながら妻崎はナゲットの箱を自分の方に向けて、一気に二個食べてしまう。

 もう俺にはやらんという意思表示だろうか。

 こいつが買ったもんだから構わないが、この険のある感じはなんだ。


「……そうだ」


 ぶすーっとした顔でナゲットの箱を見ていた妻崎だったが、何か思いついたのか、  にやあっとした笑みを浮かべる。

 どうした、突然。


「ねね、久郎、ナゲットの最後の一個、欲しいでしょ? あげるよ」

「ん? ああ、ありがとう」

「たーだーし」


 少し意地の悪い表情でナゲットを指先でつまむ妻崎。


「ほい。あーん」


 なるほど、そういうことしてくるのか。


「んー? どした、久郎? できないなら」

「いや、別にいい」


 お望み通り、妻崎の指先のナゲットを口でひょいっと奪い取る。


「な……!」

「くれるって言ったのはお前だろ?」


 一瞬きょとんとした後、妻崎は自分の指先とナゲットを咀嚼する俺の口元を見比べて唇を震わせる。


 大方うろたえる俺を見て笑うつもりだったんだろうが、そうはいかない。

 こちとら年上の女の人に囲まれてきたせいで、そういう辱めには事欠かなかったんだよ。対処の仕方も自然と身につくってもんだ。


「いやいやいや! 恥ずかしくないわけ⁉」

「まあ、多少はな」


 ただこういうのは躊躇ったり、恥ずかしがったりしたら負けなのだ。

 色々考えず、勢いで行動するに限る。


「でも、嫌じゃなかった。そんだけだ。ごちそうさん」

「嫌じゃなかったって、久郎あんた」

「慣れないことはやらない方がいいぞ? これで照れるんなら、なおさらだ」

「このっ……あんた、わかってて!」

「悪い。色々、あったからな」

「なんかムカつくんですけど!」


 仕掛けてきたのはお前からだ。

 バツが悪そうな妻崎を見るのは、実に気分が良かった。


 しかし、それも束の間。

 妻崎はすぐ別のことを思いついたらしく、ぱっと顔を上げる。


「ねー、久郎、あんたスマホとかもう持ってるわけ?」

「ああ、持ってるぞ」


 というか、持たされた。

 主に母さんと、姉さんが絶対に必要になるとゴリ押してきたのだ。

 ただ、こっちに帰ってきて半年間、まともに使った記憶がない。


「じゃあさ、連絡先交換しようよ。ほら、その、何かと便利じゃん?」

「そうだな、頼むよ。メールアドレスと、電話番号でいいのか?」

「うーん、いや、それもまあいいんだけどさ。もっと手っ取り早いアプリがあって」

「アプリ?」

「いいや、あたしがやったげる。ちょっとスマホ貸して」


 なんだろう、俺は機械に弱いじいさんか。


「お? アプリ自体は入れてあるね。じゃあ、簡単だ…………ほい、できたよ」

「ん、ありがとさん」

「ああ、今見えちゃったんだけど、誰かからメッセージが入ってたみたいだよ」

「そうなのか? 気付いてなかった」


 スマホを返す妻崎に指摘され、我ながらたどたどしい手つきで画面を操作する。

 ボタンなしで直接画面をいじれるとか、仕組みがわからなきゃ魔法と同じだ。


「…………すまん、姉ちゃんからだ。電話しろってさ。ちょっと席外すぞ」

「奈々子先輩からかあ。そりゃ、あたしがいないところでの方がありがたいかも」


 姉ちゃんから、と聞いた妻崎が少し困ったような表情を浮かべる。

 こいつが学校のバレー部に入っているなら、二人は同じ部活動の先輩後輩の関係になるはずだ。三年の姉さんが引退してることを考えても、気まずさはあるだろう。


 それ抜きにしたって、姉ちゃん、昔っから妻崎に対して厳しかったからな。


「行ってくるよ。荷物、見といてくれ」

「ほいほーい。行ってらー」


 妻崎は小さく手を振ってから、自分のポテトをつまみ始めた。

 俺の様子を気にしているふうでもないな。


 手早く、済ませてしまおう。


 そう思って俺は足早に店を出て、さらに駅の外に向かって歩き出した。

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