第2話 寝ててもいい朝って幸せだ
最近、危機感というやつが薄れてきている気がする。
「クロ兄っ、どーんっ!」
何者かが体の上に跳び乗ってくるその瞬間でさえ、俺は温かい布団の中で心地よい眠気に身を任せていた。
これも熟睡していい生活に慣れてきたってことなんだろう。
ぼすん、と体の上に落ちてきたそれを、俺は甘んじて受け入れる。
寝込みに刃物を突き付けられる恐怖に比べれば、そよ風みたいなものだ。
「朝だよー、起きるよー、クロ兄―?」
はしゃぐ声に合わせて、俺の腹の上に跨った我が妹がバウンドする。
テンション高いうえに、容赦ないなおい。
可愛いから許すけど。
「……
「あー、ねぼすけいけないんだー」
身を捩る俺の抵抗に、掛け布団の向こうの妹が倒れこんで抱きついてくるのを感じた。
「ぎゅーっだよ、ぎゅーっ!」
「ぎゅーっ!」
……あん?
鈴を転がしたような遠華ちゃんの声に、別の声が重なった。
というか、体に乗っかっている重さもさっきまでの比じゃない。
侵入者が明らかにもう一人、増えている。
「おはよー、クロ兄」
「おはよう、クロくん」
「ああ、おはよう、遠華ちゃん……おい、姉ちゃん、何してんの?」
布団から顔を出すと、抱き着いていた二人と目が合った。
コアラのようにしがみついている五歳児、笑顔が朝日より眩しい遠華ちゃんは全然そのままで構わない。
問題は、もう一人だ。
「重い。離れて。顔が近いよ、勘弁してくれ」
「ええー、遠華ちゃんだけずるいいいい、あとお姉ちゃんそんなに重くないいい」
「重いだろ、色々と」
十八にもなる姉貴に朝っぱらから抱きしめられる弟の気持ちになってくれ。
「起きるから、離れて。遠華ちゃん、今何時かわかる?」
暑苦しい姉を引っぺがし、俺は体を起こす。
よく眠れたおかげで、頭はすっきりとしていた。
「えっとね、もうすぐ七時だってお母さんが言ってた」
「つまり、クロくんも学校に行く時間」
ベッドの寝そべったまま、姉さんがにこにこしながら勉強机の横の壁を指差す。
そこにはピンとシワ一つないブレザーがかけられている。
あれは、俺が今日から通うことになっている高校指定の制服だ。
よくよく見れば姉さんは既に制服姿で、遠華ちゃんの髪の毛もしっかりと櫛で整えらている。
二人とも朝の支度は終わっているということなんだろう。
「ありがとう。俺も着替えるよ」
のんびりしている時間はなさそうだ。
立ち上がって、壁にかけていた制服に手を伸ばす。
「……着替えるよ?」
ベッドの方をふり返ると、姉と妹が、うつ伏せに寝ころんだまま頬杖をつく、という同じ姿勢でこっちを見つめていた。
なぜ出て行く意志が全く感じられないんだ?
「さ、着替えちゃって。私たちのことはお構いなく」
「なくー」
「うん、構うよ? 見世物じゃないからね」
「ええー、でもクロくん、ネクタイとか結べる? お姉ちゃんがやったげるわよ」
「それは後で頼むよ。とりあえず出てって」
「もう、いっちょ前に恥ずかしがり屋さんになっちゃってえ」
「やかましい、出てけよ」
ぶーぶーと頬を膨らませる姉を部屋から追い出して、ドアを閉めた。
昔はここまで過保護じゃなかったはずなんだが。
溜息をついて、寝間着の上を脱ぐ。ワイシャツに袖を通したところで。
「遠華ちゃん、まだ居たの?」
「いたよー? わあ、クロ兄のお腹ぼこぼこしてるー、かたーい! なんでー?」
背伸びをしてぺたぺたと腹を触ってくる妹の、無邪気な瞳と目が合った。
これは、追い出せないなあ。
「まあ、色々あったんだよ……」
毎日、死ぬほど体を動かし続けるとかね。
「ふーん。クロ兄、かっこいいねえ」
妹に出て行くつもりはさらさらないらしい。
諦めて、俺はさっさと着替えてしまうことにした。
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