ナイト・クロール

ケスノイダー

第1話 魔王を倒して、俺は帰ってきた

 見上げると、たくさんの星が見えた。

 視線を落とせば、夜の地平線が見える。闇に包まれ、灯かりも所々にしかない。


「あんなおっかない世界でも、たくさんの人が暮らしてるんだよな」


 温かな心を持ち、互いに身を寄せ合って、明日に希望を持って朝が来るのを待っているたくさん人達がいるんだ。危険や恐怖に負けない強さを、俺はこの世界の夜に教えてもらった。


 今、立っているのはこの世界で一番空に近い場所。


 ほんの数週間前まで魔王城と呼ばれていたこの場所で、呑気に物思いにふける日が来るなんて誰が考えつくだろう。


「……ほんと、何が起きるかわからないもんだ」


 目の前にそびえ立つ巨大な石の門を見上げて、俺は大きく息を吐く。


「大きな溜め息だね、クロウくん。ここまで来たけど、やっぱり寂しい?」

「わからないです。上手く言葉にできなくて」


 振り返ると、杖を持って黒いローブを色っぽく着崩したお姉さんが微笑んでいた。


 結局、この人が何歳なんだろう。最後まで確かめられなかったな。


「でも、帰りたい気持ちは変わらないんでしょう」

「はい……その、すみません」

「いいのよ。帰りたくなる場所があるのは幸せなこと」


 確かにその通りだ。

 とても賢いこの人は、いつだって囁くように大切なことを教えてくれた。


「私も! 私も寂しいです!」

「あらら、こっちも相当きちゃってるみたいねえ」


 空気をビリっと震わせるような張りのある声に、お姉さんが困ったように頬に手を当てる。


「クロウ! あなたの姉弟子として最後に言っておきたいことがあります!」


 声の主はずんずんと大股で歩いてきて、俺の両手を力一杯握り締めてくる。


「いいですか! 平和な世界であっても健全な心を支えるのは健全な体です。日々の安寧を怠惰に受け止めるのではなく、研鑽に努めるのですよ!」

「えっと姉弟子、手が痛いです」


 お説教はいつものことだが、だんだん手に込められた力が強くなってきている。


「うるさい! 我慢なさい! つまり、何が言いたいのかというとですね……向こうにっ、もどっでもっ、わだじがおじえだこと忘れちゃっだらやでずがらねええ!」


 毅然としていた表情がだんだんと崩れ、目に浮かんだ大粒の涙がこぼれて俺の手に落ちてきた。たくさんのタコがある姉弟子の手の感触と、涙の温かさのせいで俺も口を開けなくなる。


 駄目だ。泣くな。

 俺は大丈夫だと伝えなきゃいけないんだ。

 あなたに鍛えてもらって強くなれましたと、態度で示せ。


「俺、向こうでも鍛えます。だから、みんなはこっちを平和にしてってください」


 声は震えていたかもしれない。だけど、泣きはしなかった。

 俺が詰まりかけた息をもう一度整えようとしていたその時。


「一番弱っちいまんまだった奴が、どさくさ紛れに偉そうなこと抜かすんじゃねえ」


 少し離れた場所からの低く、乱暴で厳しい叱責。

 それを聞いて、俺は何故か安心してしまう。


「平和にしてってくださいだあ? お前に言われなくてもわかってんだよ、アホが」


 俺を睨み付けながら鼻を鳴らすのは、身の丈ほどの大剣を背負った強面のおっさん。罵られはしたものの、この人はこうじゃなきゃ困る。変に優しい言葉をかけられる方が気色悪い。


「厳しいっすね、最後まで」

「ああ? 何を期待してんだてめえは」


 おっさんは心底鬱陶しそうに吐き捨てて、くるりと背を向けた。


 やっぱデカくて格好いいなあ、あの剣。

 お別れ代わりに触らせてくださいって言ったら斬られるかなあ。


「……………………」

「向こうでせいぜい長生きしろよ、か。そういうのは大きな声で言えばいいんじゃないか?」

「あ! コラ、てめ、アイビス!」


 背を向けて、もにょもにょ口にしていた言葉を代弁され、おっさんが声を荒げる。

 俺もこの面子の中で耳だけは一番良いから、ばっちり聞こえてたんだけれども。


「余計なこと言うんじゃねえよ!」

「怒るな怒るな。おせっかい焼きなのは勇者の性分でね。知ってるだろ?」


 キレるおっさんに不敵に笑いかけ、その人は俺に歩み寄って来る。


 この場に居るバラバラだった四人を繋ぎ、共に戦い、導いてきたのが彼女だ。


 人間の敵、邪悪な魔族の王を討ち倒し、唯一無二にして最強の存在となった女性。

 この世界の勇者。優しくて、頼もしくて、格好良くて、たまにお茶目で、すごく可愛くて。


 そして、俺の命の恩人。


「準備は、いいな。クロウ」

「……はい。大丈夫です」


 彼女の目は嘘を見透かす。

 そんな力はないと本人は言っているけれど、真剣な顔の時のこの人を前にすると自分の正しさを確かめられているような気持ちになってしまうのだ。


 だから、今の俺の言葉に嘘はない。

 さんざん悩んだけれど、ちゃんと決めたんだ。


「門を開くわ。少し、時間がかかるから」


 俺の言葉を聞いて、お姉さんが目を閉じ、杖を掲げた。

 その体から薄っすらと青白い光が発せられ始める。

 魔法使いと呼ばれるこの人が、呪文を唱えようとしている証だ。


「キミとのこんなやり取りも、最後になってしまうんだな」


 集中し、力を高めているお姉さんを横目で見ながら、勇者様が息を吐く。


「感謝しているよ。キミが居たから、私たちはここまで来ることができた」

「そんな……俺は、その、弱くて迷惑かけてばっかりで」

「確かにな。私たちと比べれば、キミの力はささやかなものだったさ」


 ふふ、と勇者様がおかしそうに口元に手を当てる。


「でもな。誰よりも非力だったキミが、最後までついてきてくれたことに意味があったんだよ」

「意味、ですか」


 お世辞でないとしたら、その言葉がどんな意味なのか、俺には分からなかった。


「クロウくん、準備ができたわ。いつでも『重なりの天門』を開ける」


 魔法使いのお姉さんの声が、高い魔力が込められている時特有の不思議な響きで揺れている。体を包む光もさっきとは違って、はっきりとした輝きに変わっていた。


「お願いします」

「りょーかい。我が魔力に応えよ天門、っと!」


 掛け声と共に杖の先から巨大な門に向かって、真っ直ぐな光の線がほとばしった。

 肉眼ではっきりと確認できるほど高い濃度になった魔力に呼応して、門が小刻みに震えだす。


「開いたみたいだね。名残惜しいが、これでさよならになる」


 ふわり、と後ろから体を引く風が吹くのを感じた。


 さっきまでは何もなかった門の中央の空間が渦を巻くように歪んでいる。

 繋がった、ということなんだろう。


 こっちの世界と、俺の世界が。


「クロウ、魔王を倒した仲間の一人であるキミに、勇者から褒美をやろう」

「え? いや、そんなのもらえな……」

「遠慮するな。断られると、悲しいじゃないか」

「は?」


 手を引かれたと思った次の瞬間、俺は勇者様に抱きしめられていた。


「おー、大胆ねえ」

「ああああああああっ! 勇者様ズルい!」

「おいいっ! 何やってんだお前ら!」


 三者三様の声を聞きながら、俺は自分の体を包み込む温かくて柔らかな感触にどうしていいかわからなくなる。


 抱き返せばいい?

 そんな恐れ多いこと、許されるのか?


「……キミに会えてよかった。本当は別れたくなんてない。だから」


 とん、と勇者様が俺を突き放すのが分かった。

 押された体が、二歩、三歩と下がる。


 そして、そのまま門からの凄まじい引力に飲み込まれるのを感じた。


「勇者様……アイビスさん! 今までっ、ありがとうございました!」


 もう止められない。

 戻れない。それが分かってしまって、俺は叫ぶ。


 必死に手を振る俺を、勇者様は悪戯が成功した時の子どものような顔で見つめていた。


「クロウ、また会おう! 次に会ったら、その時は……」


 俺の耳に届いたのは、そこまでだった。


 目の前が光に包まれ、回り始める。

 自分と世界の境目が曖昧になり、どこまでも落ちていくような、のぼりつめていくような感覚に襲われる。


 そうだ、思い出した。

 あの日と同じだ。これに飲み込まれた後、俺は。


 何も知らなかった、この世界に辿り着いたんだ。


「う、ん……」


 頬に、冷たく湿った地面が触れているのを感じる。

 くわんくわんと世界が回っているような眩暈がおさまるにつれて、自分が寝そべっていることがわかった。


「ここ、どこだよ」


 身を起こして辺りを見回すと、葉が鬱蒼と生い茂った木々が見えた。

 地面は生命力の強そうな雑草と、水気を含んだ枯葉で埋め尽くされている。


 どうやらどこかの森か山の中らしい。


 仲間たちの姿は見当たらなかった。

 自分で望んだことのはずなのに、少しの焦りを感じる。


「えーっとだ、こういう時は」


 まず方角だ。


 立ち上がり、空を見上げて気づいた。

 雲が出ているわけでもないのに、星がほとんど見えない。


 さっきまではあんなに綺麗だったはずなのに。


 自然と視線が殺風景な夜空から、その下の世界へと移っていく。


「…………そうか」


 思わず目を細めてしまうほどに、夜の地上に光が満ちていた。


 自然のものではない、火とも違う、人工的な灯りが広がっていて、ビルや、マンション、道路、頭の中に浮かんでくる言葉に懐かしさを感じた。


「帰って、来たんだな」


 一人呟いて、俺が今立っているのは元の世界なのだということを実感する。


「この格好は、流石にまずいよなあ」


 俺は身を守る道具がもう必要なくなったことに気付いて、金属製の胸当てやら、手甲やら、腰元のナイフやらを外す。

 どれもこれも愛着のある品だったが、仕方ない。

 全てまとめて近くの茂みの中に突っ込んだ。


「まあ、これは、セーフでいいだろ」


 首元にぶら下げていたゴーグルをどうしようかと考え、持っていこうと決めた。

 丸い大きなレンズが特徴的なこれは、勇者様が似合うからと俺にくれたものだ。


 一つくらい、思い出を形にして残してたっていいよな。


「さってと、まずはこの山? 森? を抜けてだな」


 布地の服だけになって身軽になった俺は、膝の曲げ伸ばしをしながら街の灯りを見据えた。道らしい道はないが、歩き方は体に刻まれている。


 一人で、行くんだ。

 この世界に仲間はいない。でも。


「家に、帰るか」


 多分、俺を待ってくれている人達がいるはずだから。

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