第一話 宴の夜
湯浴みを終え、宴用の衣を纏い、鏡台の前に腰かけ、乳母のエヴァに髪を結ってもらっていた。
「姫さま、次はお化粧を」
「ありがとう。そうね、あとどのくらい時間があるかしら」
「一刻ほどでございますね。如何なさいましたか」
「......四半刻ほどでできる?」
「可能かと」
「なら、もう少しあとにしてちょうだい」
「かしこまりました」
「今朝、わたくしの身に着けていた物はどちらに?」
「お持ちいたしますか」
「ええ、よろしく」
「少々お待ちください。......御前、失礼いたします」
部屋を出て行くのを見送る。戻りを待つ間、
旅の間、わたくしは黒髪に茶色い瞳をしていた。ごくありふれた姿をしていたにもかかわらず、厄介ごとにばかり巻き込まれた。
突然眼前に映されたその略奪の光景に、わたくしは吞気にも「あら......。煙は見えていたけれど、畑焼ではなかったのですね」などと思っていた。
屈強な男が武器をもって近づいてきて無造作に担ぎ上げたのだ。このときも「わたくしは人形でも荷物でもございません。担がないでくださいませっ」などとのたまっていた。
……おもえば終始あまりにも吞気に過ごしていたものね。置かれた状況を理解していながら「初めの体験ばかりです!」と楽しんでいたもの。なんて攫い甲斐のない子どもなのでしょう。
担がれて運ばれた先には、縄で縛られた女性や子供の乗せられた荷車があった。そこで思ったのだ。「わたくしの服、目立つのではありませんか?」と。そこでわたくしは女性が着ているような服を幻術で投影し、担いでいる男に「元からこんな服だ」いう暗示までかけた。そして気が付けば同じように乗せられ縛られていた。しかし、縛るのが強すぎて痛いと訴えるも聞いてもらえず魔力を纏わせた爪で切ってしまい、気づかれるのは流石によくないと幻術を重ね掛けしてやり過ごした。
扉をたたかれる音がした。
「エヴァでございます。姫さま、お持ちいたしました」
「ありがとう。入りなさい」
「失礼いたします」
エヴァは抱えていた布包みを机の上に広げ、今朝まで着ていた服や身に着けていた装飾品を並べてゆく。わたくしはその中から魔術に似てはいるが異なる術の掛けられた巾着を二つ手にとった。
「それはいったい......」
「こちらはお母さまの仰られていた『お父さま』からいただいたもの。もう片方はわたくしが真似て造ったものよ」
自作したほうをそっと撫でながらいう。
……こちらをしばし妹に預けられないかしら。主のもとにいたほうが良いと思うのだけれど。
「そういえばエヴァ。わたくしの妹はいくつになるのかしら」
「二の姫さまでしたら......」
「一歳七ヶ月二十八日ね。知っているわ。アウラではなくグラキエスのほうよ」
「......姫さまのご
困惑を示され、表情を変えずにわたくしも困惑した。
……妹はアウラだけ......?でも確かに憎く思う妹がいる、のに......。
「姫さま?」
「え、ええ。ごめんなさい。変なことを申しましたね。......忘れなさい」
口調が変わっていることにも気付かず、取り繕った笑みを返す。
「......今朝お戻りになられたばかりでございますし、お疲れなのでしょう。時間はまだございます。お休みになられては」
心配げな笑みとともにいわれる。
「ええ。そうさせてもらいます。......半刻程したら来て。それまではさがっていてちょうだい」
「はい、かしこまりました。御前、失礼いたします」
二つの巾着を持ち、ひとり寝室に籠る。防音の結界を張り枕もとに巾着を置くと、倒れこむように寝台にうつ伏せに転がった。
「正しくは『いた』ね。もしくはこれから産まれる。
自虐的な笑みを浮かべていることに気づかず、過去へと思いを馳せる。
遠い遠い昔、「わたくし」には妹がいた。対となる存在として生まれ、その在り方は対照的だった。そして、彼女の在り方に嫉妬しひどく羨み嫉んでいた。「わたくし」はいつも愚痴をこぼしていた。『寂しい』、『褒めてほしい』、『外に出たい』、『また
ある時、妹は「わたくし」の領域に踏み入り、侵略せんと乗り込んできた。当然だが「わたくし」は捕らえ問い質した。そしてその妹はいったのだ。『ここから出ればいい』、『わたくしのように自由に生きればいい』、と。
その言葉が着火剤となり、嫉妬は憎悪に変質した。「わたくし」は『やれるものならばとおの昔にやっている』と吐き捨てて、そして。
―――
それこそがわたくしと彼女の違いで、「わたくし」という存在を、「わたくし」の努力を、してきたことを否定するモノに違いなかったのだから。
先程も見た、よく見る夢。
そっと眼をひらく。そこにはやはり妹がいた。愛しく思うも、憎らしくも思いながらともに
……あと半年と少し。気長に待ちましょう、
しかし、あと半年ということは今お母さまは身籠っているということになる。さらに、わたくしが一年半と少しで産まれたのだから、それは一年近く前からということで......
「半年ほど前からふくよかになられたとは思いましたが......。まさかお母さま、妹がいたなどとは思いも致しませんでした」
人間は十月十日で産まれるが、わたくしたちの場合は特に決まっているわけではないが、平均して十三ヶ月前後が一般的だ。......稀に九十日とせずに産まれてくるなんてこともあるが、その場合は相手がそういう種族だっということが多い。
音もなく溜息をつく。気をそらしたくて眼をひらく。
多くのひとが鍋や火と向き合い、人々が激しくい出入りする厨房。白いタイルに碧い蔦模様の描かれた壁、白い石の床に広い調理台。台の上には料理の盛られた金や石の食器が並べられている。その中に、いくつかの金製の大皿にカトラリー、石の杯や皿を人目から隠れるかのように抱える見知らぬヒト。
……混ざりものではないようね。誰かの使い魔かしら。
本当なら追い、捕らえ問い質すべきなのだろうが、忠告にとどめることにした。気づかれぬようそっと
寝台を降り幾重も重ねられた紗の天蓋を潜り、大窓の前に立ち空を見上げる。もうじきエヴァが来るだろう。窓の縁に腰掛け、空を眺めて待つことにした。
「さあ、姫さま。できましたよ。時間も押してまいりましたし、お急ぎになられたほうがよろしかと」
鏡の前に腰掛け、髪のほつれを直され、目尻に朱い線を引き唇には薄く紅をのせられる。化粧の施された顔を見ると、気の引き締められる気がした。
エヴァを振り返れば、しゃらりと装飾品の数々が音を立てる。わたくしはこの音が好きだった。
「ありがとう。急ぎましょうか」
部屋を出ると、等間隔に明かりを灯された長い廊下を進む。 突き当たった扉を抜け、中庭に面した渡り廊下を渡り宮殿の扉を潜る。しばらく歩けば人々の喧騒が聞こえてきた。
大広間の扉の前で足を止め、扉に手を掛けたエヴァが振り返る。
「姫さま、よろしいですか?」
「......ええ、大丈夫よ。お願い」
「はい」
ゆっくりと扉が開かれる。口元には薄く笑みを刷き、静まり返り注がれる視線の中を真っ直ぐに進む。
「おお、姫様だ......」
「......とても凛々しくおなりになられた」
「相変わらずお可愛らしい」
壇の前まで来ると止まり、ふわりと膝をつく。
「ご機嫌麗しく、
「ええ。わたくしも皆も、あなたの帰りを心待ちにしていたわ。......改めて。おめでとう。そしてお帰りなさい、ネヴュラ・グレース」
「はい、ありがとう存じます。ただいま帰りました、
優雅に頭を下げる。
「さあ、こちらに来て挨拶を」
「はい」
なめらかに立ち上がり壇を上りラグの上に立ち、果実酒の注がれた金の杯を受け取る。
「皆さま、この度はわたくしのためにお集まりくださり、ありがとう存じんます。今宵はどうぞお楽しみくださいませ」
いい終わると同時に杯を掲げ口を付ける。皆が杯に口を付けると、壁際に控え楽器を構えていた人々が楽を奏でだす。
いよいよ宴が始まった―――
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