第8話
ソロソロと寮内を移動して所用を済ませつつ、訓練室に辿り着く。
この部屋は筋トレ用の器具が多数並べられた部屋で、使用はいつでも可。ただ、使っている人を見たことはないし、管理人さんの話ではこの部屋を使うのは数年に一人であり、今は私だけということらしい。
まぁ、筋トレしなくても戦っていれば強くなれるからねぇ。
さて、まずはこの辺に……あった。ランニングマシン。
ここで走るのは基本的に雨の日ぐらいだけど、操作方法は覚えてる。ササッと操作して歩き始める。
命力と魂力で周囲の状況を把握しているのはいいんだけど、早く動いているとズレが出る。
もっと早く感知して、反応できるようにしないと難しいか。
夢中になって調整と鍛錬をしていると、誰かが近くに立ってランニングマシンを止める。
ムッとしながら相手の方を向くと、素早く放たれるデコピン。
ほんの少し、ごく僅かだけど当たる瞬間に頭を後ろに反らしたから痛みはかなり軽減されるはずだった。
「ぴ」
結局、上に行った指が戻ってきて額に突き刺さった。穴が開くよ、これ。いや、開いてない? 不破先生、容赦なさすぎなんだけど。
悶えている間に首根っこ掴まれて引きずられていく。
辿り着いたのは、シャワー室。なすがままに汗を流して一息をつきたいところだけど、感知範囲にシャワーの水が来るとえらいことに。あまたがパンクしそう。
急いで感知の範囲を絞る。この辺は慣れるしかないのかなぁ。
しばし経過。
シャワーが終われば部屋に戻ってご飯の時間。今回はちゃんと机の上で食べることになったけど、そこに置かれたのは巨大な塊。形状からすると……西瓜サイズの塊。
不破先生、入りそうだけど、心が折れそうです。
それから数日。ようやく安定して五メートル範囲の感知ができるようになり、その範囲内であれば相手の声を感知、判読できるようになったし、それを利用して喋るのも問題なし。ストレッチや走っても問題なし。勿論細かい作業も大丈夫。
これで日常生活に戻って、バイトも再開になる。行き成り長期間休んだけど、首にはなってないはず。……たぶん。
後は、この数日お世話してくれた不破先生。正直な話、あの食育とデコピンがあるから素直にお礼を言いずらいけれど、何かしらのお礼は必要だろうなぁ。
そんなこんなで、バイト再開日。
久しぶりに店の裏口から入って事務室に顔を出すと、先輩が床でうつ伏せの状態で死んでいた。
いや、寝ているだけとは思ったんだけど、なんか細かい痙攣をしているような。
「おはようございます。生きてますか~」
返事はない。死んでいるようだ。じゃなくて。急いで電話をひっつかんで救急車を呼ぶ。
できることはしたので、店長を探して作業室経由で店頭へ移動。あれ、いない。店は開けているみたいだから、どこに行ったんだろ。
とりあえず事務室に戻り、先輩を踏まないように注意しながら探索してみると、先輩がよく使っていた机の上に大量の瓶を発見。
触った感じと命力っぽい残滓があるから、もしかして社畜シリーズかな。
所謂エナドリだけど、迷宮産の素材と魔法の付与を使って作られた特別性。ただの社畜、エリート社畜、限界の社畜、果ての社畜とあって、後ろの方に行くほど滋養強壮効果が高い一品。
ただ、反動も大きいから社畜シリーズは一番下の物でも一日に一本までとされている。もし用法容量を守らなかった場合、数日間意識が戻らなかったなんて事例もある。
そんな品物が大量に転がっている。心配になってきたから先輩を仰向けにした後、心臓の上に手を乗せて集中して先輩の命力を探ってみると、マッチの火みたいに今にも消えそうな感じのそれを見つける。
まじで死にかけだこれ。どうしよう。
焦っていると、事務室に近づいてくる人達に気が付く。同時に聞こえてきた音からすると、救護隊かな。救護隊だといいな。
「失礼します。患者はどこですか」
「ここです。あとこれ」
場所を救護隊の人に譲った後、早速状態を見始めた隊員に先ほどの瓶を見せる。
「え、果ての社畜⁉ まさか、複数使用ですか?」
「私が来たときはこの状態だったので知らないです。ただ、あそこ……」
私が指差した方を見た隊員の方が息を飲み込むのを感じた。
「果ての社畜が4本以上……薬中かもしれん! 急ぐぞ」
「はい!」
大柄の隊員が先輩を担ぎ上げると、他の隊員の後を追うようにものすごい勢いで走っていく。
唖然と見送っていると、また人がやってくる。
「こんにちは。あれ、佐世保さん?」
「失礼します。あ、紅葉ちゃんだ」
「えーと、事情があって目が見えないんで、誰か分からないんですが」
「どういうこと? ま、いいか。鬼瓦です」
「あらま。早瀬です」
やはり早瀬さんか。もう一人は……おにがわら、鬼瓦? あ、あの時の人か。
「お久しぶりです。お二人とも、どうしてここに?」
「偶然近くにいたときに救護隊が出動したから、状況確認に」
「私は、救護隊が呼ばれたから確認に」
警察は救急車が呼ばれたときは事件性の確認で確認に来るらしい。
早瀬さんは、探索センターの救護隊が緊急出動したから何事か確認に来たそうで。
もっとも、早瀬さんは興味本位の部分が大きいらしい。
「で、なにがあったの?」
「久しぶりに来たら先輩が死んでました」
まだ生きてるよって指摘されつつ、こういう状況でしたと伝える。
「事件性はなさそうだけど、勤務状況は分かるかな」
「その辺にタイムカードがあります」
指さした先を鬼瓦さんが調べると一言。
「10日前の出勤記録はあるけど退勤の記録なし。忘れたのか、勤務していたのか」
「後は店長に聞かないと分からないです」
ただ、店頭にいなかったのでどこに行ったのやら。
「ちょっと聞いてみたら、8日前に12本買っていたみたいね。ここには8本あるから1日1本ってことかな」
「え、早瀬さんどこに電話したんですか」
「ん? 薬局。社畜シリーズは劇物扱いだから、購入者の記録を取ってるの」
劇物って、エナドリの扱いじゃないよね。
ちなみに、鬼瓦さんが確認をしなかったのは、あからさまに事件性がないと個人情報保護法とかで迂闊に動けないからだって。
早瀬さんが確認できたのは、探索センターの副責任者だから。権力万歳だって。
「8日間、1日1本は死ぬかもな」
「非常に危険ね。助かるといいけど。店長は連絡取れないの?」
「店長は店にいる時ぐらいしか連絡取れないんですよ」
不思議そうにする二人を連れて店頭に移動すると、カウンターの隅に置いて行かれたスマホを叩く。
「携帯してない」
「意味ないわね。あら、店長さん」
早瀬さんの声の後、千鳥足で近づいてくる誰かは、カウンターにつくとそのままもたれかかって眠りにつく。
「酔っぱらっているようですね」
「え。鬼瓦さん、これ店長ですか?」
「そうです」
鬼瓦さんが頷いたのを確認して、カウンターの下からハリセンを取り出し、大きく振りかぶって、全力で店長の頭に振り下ろす。
うん。いい音。
「佐世保さん⁉ どうしたの?」
「うちの店長、けっこうな頻度で仕事中に潰れるまで吞むんですよ。しかも、回復には一日かかります」
つまり、今日はもう使い物にならないってことで。
そう伝えると、早瀬さんと鬼瓦さんが天井を見上げた。うん。事情を聴ける人物がこの状態ではどうしようもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます