第2話 9月1日
9月1日は、福留が気を利かせてくれて学校まで車で送ってくれた。シルバーの軽自動車で。
シルバーというのは少し無個性な気がするけど、大人しく優等生タイプの福留には似合ってる気がする。
学校下の道路の路肩にハザードランプをたいて停り、僕を下ろす時、「転校までさせてごめん。がんばってね」と短く言った。どんな顔をしていいのかわからなかった。
カッカッカッと小気味いい音を立てて、担任が黒板に『福留日向』と書いた。まるでマンガのひとコマのようだ。
そしてお馴染みの「仲良くしてやってくれ」に続いて「お前の席は窓際のいちばん後ろだ」と言った。
ニヤけた男がその隣の席から小さく手を振る。
僕はなんでもない顔をしてその席まで歩く。途中で足をひっかけてくるなんてベタな意地悪はなかった。興味津々の顔で教室中が見つめてくることもなかった。なんとか席にたどり着く。
それだけでどっと、汗をかいた。教室の中の空調は緊張には向かないらしい。
「俺、
そして当たり前のように「こんな時期に転校なんて珍しいな。ま、いっか。仲良くしよう」と隣の席のヤツは言った。
担任の斎藤は淡々と出席を取り、トントンと出席簿を整えると教室を出て行った。
なんだか胡散臭い教師だ。何を考えてるのかちっともわからない。
「あぁ、斎藤? アイツ、進学と志望校の話しかしないから放っておけよ」
「化学の教師?」
「そう、化学。化学の必要な学校、受けるつもりなら仲良くなった方がいいな。受験校、もう決めてんの? 早いな」
嫌味ない笑顔で鏑木はそう言った。他意はなさそうだ。
「決めてないよ」
身の振り方を決めるまでで精一杯だったよ、とは言えなかった。この男が自分の友人になるかどうか、まだわからないし。
「そっか。受験なんてピンと来ないもんな。いいんじゃないか」
ニコッと形だけ笑った。すべてを曖昧にするように。これは僕がこの離婚から学んだ処世術のひとつだ。微笑みはいろんなものをまろやかにすることができる。
鏑木も笑った。
「俺たち、上手くやれそうだな」とそう言った。
その日の授業はどれも試運転みたいなものだった。
大体が課題の話で、課題のなかった僕は机に突っ伏して寝てたい気持ちでいっぱいだった。
でも転校初日でそういうわけにもいかないので、我慢して窓の外を見てる。あっちの方向が海だと、お節介な鏑木が教えてくれる。
潮の匂いもしない。波音は当然聴こえない。
天気のいい日は屋上からも見えるんだ、と言った。前の学校では屋上は立ち入り禁止だったので、俄然、興味が湧いた。
キラキラと光る水平線に思いを馳せる。
「ねぇ、キミ――」
「福留日向」
「福留くんさ、一応、授業聞いてるふりした方がいいよ。論国の
「あぁ、はい。気を付けます」
わざわざ貴重な昼休みを割いて忠告しに来たのは、
峯岸明日香は、黒いストレートの髪を肩まで伸ばし⋯⋯ここまではデフォだけど、右頬に片えくぼのある美少女だった。
「前、R高だったんでしょう? うちより歴史は浅いけど進学校だよね。勉強わかんないところあったら教えてね。じゃあ」
いいたいことを言うと、嶺岸さんはサッと自分の壁際の席に戻って行った。教室の女子たちがざわざわいう。
「嶺岸さぁ、笑えばかわいいんだけど、真面目っていうか、強気っていうか、つまり誰も陥落できないわけよ。福留、挑戦してみる?」
「いや、僕はそんなんじゃ」
「そうかなぁ? バッチリ見つめてたじゃん」
「⋯⋯それより、名前の方で呼んでもらってもいい?」
「いいよ、日向。合ってる? 福留ってちょっと古い感じするもんな」
「名前の方が気に入ってるんだ」
へぇ、と片肘をついた姿勢で鏑木はそう言った。福留が嫌い、というより日向に慣れてるんだけどそれは言わない。
「俺も京って呼び捨てしてよ」
「あ、うん、京」
「そうそう。遠慮なく行こうぜ」
京はとりあえず悪くないヤツに見えた。
1日目はなんとかやり過ごして、放課後になる。今日は半日日課だから。
京が友達を紹介してくれる。
「こっちがお調子者の吹野」
「誰がだよ?」
「こっちが吹奏楽部でホルン吹いてる武田」
「よろしくね」
「こっちが成績優秀、課題とテスト前は頼みの綱の山岡」
「そんなに真面目じゃないけど、わからないことがあったら力になれるかも。よろしく」
吹野、武田、山岡と暗唱してみる。まぁなんとかなるだろう。
「そんじゃ、マック行くか?」
おー、と吹野がやる気のない返事をした。
「でさ、日向はR高からなんで転校してきたわけ? やらかした?」
「違うよ、引っ越しだよ」
「親の転勤?」
「そうそう」
僕たちは昼マックで少々足りない昼飯を取った。高校生の小遣いなんてそんなものだ。⋯⋯僕はあの福留の、まだ真新しい黒革の財布から一万もらった。つまり今日のマックは福留のおごりだ。
親の転勤、というのはあながち嘘ではなかったのでホッとする。これからもそういうことにしておけば、余計な詮索は受けずに済むだろう。
「コイツさ、早速、明日香さんに特攻かけられてて」
京が笑った。みんな、どっと笑う。
「嶺岸明日香かぁ。きれいなのに勿体ない。無駄遣いだよなぁ」
「ちょっとキツい」
「嶺岸より嶺岸の友達の朝比奈さんの方が付き合いやすいと思うよ」
「なんだよ山岡ァ。朝比奈狙いだったのか。実際、朝比奈もよく見るとかわいいよな。髪はやわらかそうだし、目がパッチリしてる。盛ってない天然物だよ」
「おお? 京も朝比奈狙いなのか?」
京はふっと目を伏せた。
意味ありげだった。
「違うよ、一般論」
「まー、うちのクラスの女子で言えば結局、嶺岸なんだよな。高嶺の花だ、日向! 当たって砕けろ!」
いや、だからそんなんじゃないって、と繰り返しても吹野はそれをネタにして僕を散々からかった。悪い意味で、じゃなかったので、そんなに嫌な気分にはならなかったし、これが上手くやっていくための洗礼かなと思えばなんてことなかった。
「トイレ行ってくる」
「日向、ついでにナゲット買ってきて」
「あ、俺、アップルパイ」
ナゲット、アップルパイ、と口の中で繰り返しながらトイレに行く。初めて来た店舗だったから、キョロキョロして歩くことになる。
そこへ
「随分みんなに馴染んだわけね」
「お陰様で」
嶺岸明日香の口元は何か言いたげで、気になる。本人も言おうか言うまいか、かなり迷ってる様子だった。
「あのね」
「うん」
「福留くんのせいじゃないんだと思うんだけど、あんまり大きな声でわたしのこと話さないでほしいなって。⋯⋯トイレはそこ、右に曲がったとこだよ」
「わかった」
ありがとう、と言うべきか、ごめん、と言うべきか迷う。そうしているうちに彼女は自分の席に戻ってしまった。彼女の顔は赤かったかもしれない。
僕のせいじゃないにしろ、悪いことをしたような気になる。みんなが言うほど強気ではないのかもしれない。
僕の顔も赤かったかもしれない。
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