君に手を引かれて

月波結

第1話 不倫と借金

 離婚というのはつまり、婚姻関係を解消すること。違う? 

 僕はそう教わった。

 父さんと母さんは離婚する。ふたりの疲弊ひへいした顔を見ないで済むようになると思うと、ホッとして心が軽くなった。

 もちろん、親の離婚が悲しくないわけじゃない。離婚調停の結果、僕は母さんについて行くことに決まった。親権というのは母親に有利らしい。

 母さんの不倫が事の発端だったのに、不思議な話だ。

 離婚の原因は、母さんの浮気と、父さんの借金だ。慣れ親しんだ家は抵当に入り、僕は母さんと引っ越すことになった。

 母さんと、その不倫相手の家に僕は同居する。


 母さんはスーパーのパート先で知り合った若い男と不倫していた。まだ相手は弱冠28才。僕と11しか違わない。干支が一回りする暇もなく生まれた僕の父親になる人だ。

 名前を福留恭一ふくとめきょういちという。福を留めて、いちばんうやうやしいなんて仰々しい名前だ。そして僕は自動的に福留日向ふくとめひなたになる。座りの悪い名前。後付けだから仕方ない。

 本当に仕方のない話だ。

 不倫した母親について行くなんて気持ち悪いけど、ギャンブルで借金まみれの父親のところにいても、きっと取り立て屋が来たりして、穏やかな生活は送れないだろう。


 だから僕は弱冠28才の、福留恭一の息子になる。福留はそれでいいのかな? 母さんはもうすぐ40になるアラフォーだ。

 小綺麗にしている方だと思うけど、生活の疲れは隠せないでいる。

 福留、やり直すなら今だぞ。

 でもアイツは母さんと入籍する。変に責任感が強いのは、気が弱いせいかもしれない。本当のところは知らないけど、僕に媚びへつらうようなヤツだ。


 この先、上手くやって行く自信はまったくない。

 見切り発車というヤツだ。

 すべてはそこから始まる。


 ◇


 福留が新しく借りた2LDKのちょっと手狭なアパートから僕の学校まで、電車で2駅だ。

 福留は不倫してたことが起因して店を変わらなくちゃいけなくなった。スーパーの惣菜売り場なんてオバサンたちの巣窟に投げ込まれるのは、僕から見ても悲劇でしかなかった。

 母さんは福留と同じスーパーでもう働くことはできず、昔、事務員をやっていた経験から近くのクリニックの事務をやることになった。もちろん不倫のことは秘密だ。再婚したという事実だけが知らされている。


 今まで戸建ての住宅にすんでいて、自転車通学だった僕はすこぅし、環境の変化に戸惑う。9月1日付けで転入する学校は元男子校だったそうで、女の子の数が少しすくないと聞いた。

 どうでもいい情報だ。

 歴史ある伝統校だと聞いたけど、夏休みの間、街中で、そんなお堅い高校生は見かけなかった。

 みんな、どこにでもいる平均的な高校生ばかりだった。

 それより電車通学だ。

 朝からおしくらまんじゅうしろと言われてもお断りしたい。遅刻するわけにはいかないから、もし我慢できないなら早めの電車に乗ろうと決めていた。あぁ、もう既にうんざりだ。


「日向、明日から新しい学校、通えそう?」

「なんとかなるよ、多分」

「何その投げやりな言い方は。日向ならなんとかなるわよ」

 母さんはリラックスした顔でそう言った。リラックス、リラックス。それがいちばんだ。

 せっかく再婚したのに鬼の形相でいられたんじゃ、こっちも堪らないんだから。いろいろ妥協して我慢してる分、笑顔くらいは見せてほしい。


「俺も通ってた学校なんだ。電車通学になっちゃったのは申し訳ないけど、気に入ってくれるといいな。春になると桜がきれいなんだよ」

 春。いつの話だ? 通り過ぎてきた季節が来るのはずっと先なのに、おめでたい男だ。

「俺の時は真っ黒な詰襟の学生服だったけど、今はお洒落でいいよなぁ。ブレザーにネクタイなんて考えられなかったよ」

 はは、と笑って福留は仕事に出かけていった。

「いってきます」と言ったその声は、転勤して1ヶ月経った今でも緊張している。その稼ぎに頼って生活することになるのかと思うと、僕にも緊張が走る。

 この時ばかりは思う。

 がんばれ福留。僕たちは二人三脚だ、と。


 母さんの方はお気楽だった。

「日向も大きくなったし、もう少し長い時間働きたいと思ってたのよね」

 スーパーの惣菜売り場に比べたらクリーンな職場でうれしいと言った。若い男も捕まえて、人生の中でも波に乗っている時だと本人は思っているのかもしれない。

 借金地獄に比べれば、世間様からの多少の非難は仕方がないと割り切っているように見えた。男より女の方が精神的に強いのかもしれない。


 僕はシャッター街に沿って緩やかな坂道を歩いて下る。立ち並ぶシャッターから、熱が発せられているような気がする。あぶられている。夏なのに真っ黒で重いリュックは、僕に止まるように指示する。

 でも僕は止まるわけにはいかない。

 歩くんだ。

 まだ17になったばかりだ。

 失った夏休みを取り戻すためにも、高校生活を楽しまなくちゃいけない。

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