第3話 平均的
「だーッ、お前、マスタードソースって頼んだじゃないか」
「吹野くん、ごめん」
「いや、呼び捨てでいいんだけどさ。大丈夫、BBQでも俺はイケる」
何がだよ、とみんなが笑う。
「俺たち、呼び捨てだから日向もそうしなよ」
アップルパイを受け取りながら京がそう言った。
「お前、下の名前、日向なんかァ。福留ってちょっと呼びづらいかもな」
「福を留めるんだから、縁起はいいと思うぞ」
山岡が真面目な顔で言うものだから、みんなニヤニヤ笑った。
「山岡はさァ、真面目クンだからな」
吹野の悪いところは言いたいことをスルッと言っちゃうところだよな、と僕は思いながらポテトを咥える。京がこっちを見ている。制服に何かこぼしたか慌てる。
「あ、さっき嶺岸さんに会った」
「嶺岸ィ? いいよ、もうアイツの話は」
「ううん、ここで話してること聞こえてるって」
バッと京を除く3人はそっちを見た。気になるなら大声で他人の話をしなければいいのに、と思いつつ、ここはマックだからなぁ。賑やかで当然だし、気も緩むよなぁと思う。
「⋯⋯朝比奈さんも聞こえてたってこと?」
「山岡!? お前、マジで朝比奈狙い?」
「バーカ。吹野の声がそうやってデカいから聞こえちゃうんだろう?」
「あー、ごめん、マジ悪かった。別に弄りたいわけじゃないんだよ」
そんなことは関係ない、というように山岡は真っ赤だった。
恋、か。
恋から不倫も浮気も始まるんだよな、と思うとげんなりした気持ちになった。
「ごめん、僕、そろそろ帰るよ」
「お、初日から悪かったな」
「ううん、これからも連れ回してくれ」
おう、と吹野が大きな声でやっぱり答えて、予想通り、と思う。予想に反したのは京だった。
「俺も帰るわ」
僕の肩に手を回して、ニッコリ、そう言った。
「なんだよ、鏑木。付き合い悪いな」
「せめてアップルパイ食ってからにしろよ」
「ダメ。日向と半分こするから。じゃあね」と軽快に吹野のカウンターをかわした。
それからは当然ふたりきりで、吹野がいなければそれはそれで会話を繋げるのに困る。何しろ相手は初対面で、お互い、何も知らない。
「友達が増えてうれしいよ」と呼吸をするようにするりと京はそう言った。僕も合わせて「京のお陰だよ」と答えた。ちょっと照れくさかった。
とんでもない悲劇からの転校だったので、当然不安だらけだった。
だけど、京が友達を紹介してくれて、そのハードルがぐんと下がった。
「僕は何事にもわりと否定的なんだけど、吹野みたいな友達がいると、そんなこと言ってられないよなぁ」
「吹野か、確かに素直と言えば素直だしな」
「⋯⋯助かる、ほんと」
「それは良かったよ」
京は微笑んだ。少し明るい髪色が、逆光で透けて見えた。
「嶺岸はどうだった?」
「え? まだ全然わかんないよ」
「それもそうだな」と京は笑った。
駅まで学校の豆知識を教わりながらふたりで歩く。
どの先生が細かいとか、信用におけるのは誰なのかとか、部活をやるならどこがいいとか、次の小テストがいつあって、何を勉強しておいたらいいのかなんて細かいことをひとつひとつかいつまんで説明してくれる。
間にちょっとした笑いも入って、話上手だとわかる。しかも聞いている方を嫌な気持ちにもさせない。気配り上手なんだ。
僕は久しぶりに気分よく他人と話をした。心地よかった。
「電車、どっち方面?」
「1番線」
「じゃあ一緒だ、急ごう」
昼過ぎの車内は空いていて、ふたりで並んで座る。僕はすっかり楽しくなってしまって、自分の好きなアーティストやマンガの話を、気が付くとペラペラ喋っていた。
喋りすぎたかと思って口をつぐむと、京が「ほら、黙ってないでもっと聞かせてよ」と言う。安心して僕は「京の話も聞きたい」と言うと、電車は僕の降りる駅の名前を告げた。
「残念。続きは明日。さて、降りるか」と言った。
「同じ駅?」
「ガッカリ?」
「いや、うれしい、かもしれない」
なんだよその煮え切らない答え、と京はくつくつと笑った。
シャッター街の続く緩い坂道を上る。
ちょっとだけ傾いた太陽が、爆発的な勢いで僕たちを熱に晒す。もう何日も雨が降っていない。ただ、暑いだけの日が続いている。
京はコンビニに寄ろう、と言った。暑くて倒れるよ、と。
それには僕も賛成して、ふたりでアイスを買って店を出る。アイスはみるみるうちに溶けていく。
「マジでヤベぇな、この暑さ」
「学校の方が涼しいとか納得いかない感じ」
「だよなぁ。⋯⋯日向って大人しいのな」
もっと吹野みたいにならないといけないかな、と思う。僕の顔には今、不幸が貼り付いているかもしれない。
「そうでもないと思うよ。ひとりっ子だからじゃないかな」
「そうか。ひとりっ子かぁ。うらやましー」
京は思いっきり伸びをして、危うくアイスが落ちそうになる。
「兄弟いるの?」
「下にふたりね。弟と、その下は妹」
「へぇ、そっちの方がうらやましいけどな。僕は家に帰ってもいつもひとりだし」
「共働きか」
「そうそう」
蝉の声が聴こえる。
シャッター街の裏手は林になっていて、そこで羽化したんだろう。短い夏の宴だ。
「今度遊びに行ってもいい?」
「いいよ、狭いけど」
「あれか、社宅っていう名の」
「そう、2LDKなんだ」
嘘をついてしまった。
京は「あるあるだなぁ」と何も疑わずに笑った。この男の笑顔は裏表なく信用できそうだと思う。まだ出会って1日目だけど。
「うちの両親、再婚でさ。で、引っ越してきたんだ、本当は」
京は驚いた顔をした。それはそうだ、重い話になる。
「お前、そういうのは無理して話さなくてもいいんだぞ。ちっともうれしくなさそうな顔して。向こうにだって友達もいたんだろう? 離れちゃって寂しいよなぁ」
「うん、寂しい。誰かに話したかったんだ、多分」
そうか、と言ったきり、蝉の声だけが僕たちの間に響いた。
◇
「友達できたの?」
「うん、まぁ」
「よかった! 心配してたのよ。日向、コミュニケーションスキル低そうに見えて」
「酷いな」
母さんはご機嫌だった。
得意のコミュニケーションスキルのお陰で、新しい職場でも上手くいってるのかもしれない。それはそれでいいことだ。ストレスを持ち込まれるより、ずっといい。
福留は夕飯の時間になっても帰ってこなかった。スーパーの営業時間は21時までで、精算業務がその後、22時までかかるそうだ。
毎日が遅番というわけではないけど、パートのオバサンがひとり休めば、代わりに出なければいけない立場であることは確かだった。
「そういう意味では福ちゃんは若いのにオバサンたちに囲まれてがんばってると思うわ」
麦茶のグラスを傾けながら、母さんは言った。
京のことを知る前に、僕は福留について全然知らないんじゃないかという不安に駆られた。
今まで流されるままに流されて、人のいい福留にいい顔をしないで来たけれど、養ってもらう以上、福留について知らないというわけにはいかないんじゃないかと。
僕も福留になったことだし。
福留の両親も相当、怒っていることだろう。
僕はまだその人たちに会ったことはない。つまり、そういうことだ。義孫の顔など見たいとはミリも思わないんだろう。
仕方の無いことと思われた。
かわいい一人息子を奪ったアラフォーの女と高校生の子供。鬱陶しい以外の何物でもないだろう。
その人たちもかわいそうな人に含まれると思った。
福留を、優しくて思いやりのある子に育てた結果がこれだ。不憫すぎる。
世の中は平等じゃないことが多すぎる。
みんな、もっと平均的に生きていけたら楽になるのに。僕も、みんなと変わりがなければ――。
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