第6話 WEC ベルギー・スパ

 時差の関係があるので、月曜日の夜にはベルギー・ブリュッセルに着いた。そこから車で1時間ほどでチームの本拠地であるドイツ・ケルンに着く。ベルギー・スパはT社にとっては第2のホームコースと言える。年に何度かのテストもスパで行っている。

 朱里は時差ボケで眠たかったが、早めに体を慣らさないといけない。夜9時(日本時間朝4時)まで、頑張って起きていた。翌朝も朝8時には起きて朝食をとる。ドイツのホテルの朝食はいたって簡素である。コーヒーとパンしかない。それにハムが3枚あるだけだ。野菜サラダがほしいところだ。スープもあればいいなと思ったが、これがコンチネンタルスタイル。

 その後、ランニングとアスレチックジムに行き、汗を流した。運動をすると時差ボケが早めに解消できることを昨年の経験で修得したのだ。ただ、逆回りで日本に帰った時がしんどい。夜発の夕刻着なので、どうしても機内で寝てしまう。3日ほど時差ボケが続いてしまう。

 水曜日、スパに移動する。そこで小田と平田が出迎えてくれた。テストではかんばしくないようだ。BoPが予想より厳しいと小田が言っている。最低重量が1069kgと一番多い。前回優勝したF社はまだ1057kgとT社より軽い。出力も480kwともっとも低いし、バランスウェイトもT社は大きい。加速が鈍いと小田がぼやいている。チーム監督としては、レース本番の作戦をたてているようだった。

 木曜日、練習走行日である。朱里は時差ボケがすっかり治り、おもいきって走ることができた。スパのコースにも慣れてきている。特にケメルストレートで全速力をだし、その後のレ・コームのシケインでラインを守って走り抜くと爽快感を感じる。その後のリバースコーナーや左高速コーナーではスピードコントロールが強いられるが、スパならではの達成感が感じられる。ただ、第1コーナーのレ・ソースだけはいやだった。鋭角の右コーナーに集団でとびこむのは勇気のいることだった。できればスタートドライバーは避けたいと思っていた朱里であった。

 金曜日、予選。7号車はエースの小田が出ていったが、ハイパーポールにすすめなかった。15番手のタイムしか出せなかった。8号車も16番手である。うしろにはAM社の2台がいるだけだ。ハイパーポールでは相変わらずF社が強い。1・2・3を独占していた。

 予選後、チームミーティングがあり、明日の決勝のローテーションの発表があった。そこで小田が

「明日のスタートは朱里でいく」

 と言い出した。朱里は驚きの顔で小田を見た。今までスタートはニックの担当だったからだ。

「そんな顔をするな。オレは朱里の成長を認めている。練習走行でもそこそこのタイムをだしていたし、なんせ危機回避能力が高いと山木さんが言っていた。オレもそう思う。それとタイヤの本数は18本だ。ミディアムタイヤを使うつもりだが、スパウェザーで変更する可能性はある。ただ、朱里には予選で使ったタイヤで走ってもらう。後は、状況に応じて対処する。それと朱里はマイペースで走っていいぞ。今までは順位キープの走りが多かったけれど、今回は抜ける時は抜いていいぞ。燃費やタイヤの問題はミックとオレでカバーする」

 その言葉に朱里は笑みを浮かべた。最初の第1コーナーさえ抜ければ、後は自分の走りができる。WECではいつも我慢の走りをしてきたので、今回はのびのびと走れるお墨付きをもらったのである。

 その日の夜は、スタートのシミュレーションをしながら寝た。接近戦をどうするか、そのことで頭の中でいろいろなことが交叉していた。

 翌朝、スパの天気は快晴。心配されたスパ・ウェザーはないと思わせる天気だ。これは珍しいことだそうだ。

 午後1時。グリッドに並ぶと多くの女性ドライバーがスタートドライバーになっている。どうやらチーム監督の話し合いでスタートを華やかにしようという話になったらしい。主催者からもそういう意向が寄せられたということを後で知った。だが、優勝候補のF社の3台は男性ドライバーだ。スタートで他のマシンを引き離す作戦がありありだ。ある意味、女性ドライバーをバカにしているが、マシンの速さが違うので太刀打ちができないのも事実である。ただ、メディアからはそっぽを向けられていた。マシンは映るが、男性ドライバーはインタビューもされない。それよりは女性ドライバーの方にインタビューが集中していた。朱里も日本のメディアからインタビューを受けた。

「緊張していますか?」

 と聞かれたので、

「はい、緊張しています。でも、いい緊張です」

 と答えた。昨晩考えたシミュレーションどおりだったらうまくいく。と朱里は自信をもっていた。

 そしてスタート。1台ずつグリッドからでていく。2周のウォームアップランをして、いよいよスタート。

 朱里は他のマシンとの間隔に気をつけてアクセルワークとステアリング操作をする。ローリングスタートだが、1コーナーはスロー走行。そこを過ぎると直線の下りでスピードがのる。そして壁にしか見えないオール―ジュに立ち向かう。そこで右にいるマシンが寄ってくる。接触寸前だ。登りきるとすぐ左コーナーでコースにあきがない。朱里はコース外にマシンをもっていく。インカットだが、ポジションが上がったわけではないので、ペナルティはない。だが、もしかしたらタイヤにダメージをおったかもしれない。ゼブラゾーンのデコボコが結構厳しい。そこからケメルストレートの直線でアクセル全開。300kmを越す。そして急ブレーキをかけてレ・コームのシケインにとびこむ。朱里はこのシケインが得意で、ここで1台パスをする。その後のリバースコーナーや左高速コーナーでは、前のマシンについていくが、あまり近くには寄らない。スリップストリームに入れるメリットはあるが、反対に空気の層に邪魔をされて、マシンのバランスが悪くなる。ステアリングが利かなくなる時もある。

 2周目、またもやレ・コームのシケインで1台をパスする。今日の朱里は気持ちよく走っている。

 5周目、GT3のマシンが見られるようになってきた。朱里はストレートで抜いていく。スピード差が大きいので、おもしろいように抜くことができる。ガソリンやタイヤの心配をしないでいいのは、スタートドライバーの特権だ。だが、スパには魔物が棲んでいる。

 7周目、オールージュを立ち上がり、ケメルストレートにつながる右コーナーで、その魔物が現れた。GT3の車両が2台、目の前にいるのだ。オールージュでスピードダウンしてしまって、まるでコースをふさいでいる状態だ。

(ぶつかる!)

 と、誰もが思った瞬間、朱里は左のコース脇の芝生を走っていた。ステアリングがぶれるが、しっかりとにぎり、まっすぐ進む。なんとGT3マシンを抜いて前にでた。

(危なかったー)

 と朱里は思ったが、事故らずにコースにもどれたことに安堵した。ただ、トラックリミット違反に変わりはない。複数回するとドライブスルーのペナルティだ。モニターで見ていた小田たちは、わけのわからないどよめきをあげていた。

 10周目、30分を過ぎたところで、ステアリングに異常を感じるようになった。まっすぐ走っていても安定していない。そこで、無線で報告する。

「監督、ステアリングがぶれています」

「今、確認すると、タイヤの内圧が下がっている。もしかしたら、タイヤトラブルかもしれない」

「そうですか、ピットインしますか?」

「そうだな。想定外だが、早めにタイヤ交換とガス補給だ。次、ピットインしろ」

 と、小田の指示がでる。

 朱里はピットインして、また出ていく。ハイパーカーでは一番最初のピットインだ。そこに無線で

「朱里、これから1時間半走れるか?」

 と、小田が聞いてきた。

「ガスは大丈夫なんですか?」

「燃費走行をすれば間に合う計算だ。できるか?」

「できないとは言えません。今まで、そればかりやっていましたから」

「そうか、それでは頼む」

 ということで、朱里はそれからタイヤ温存と燃費走行を強いられた。

 45分経過をした時、ほぼ同時に2ケ所でGT3のトラブルが発生した。特に1コーナーでグラベルにはみ出したマシンは重症だ。コースに小石をばらまいている。もう1台はケメルストレートの脇の芝生に止まっている。マシントラブルらしい。

 ヴァーチャルセーフティカー(VSC)が宣告された。前のマシンを抜くことはできない。10分ほどでマシンは撤去されたが、コース内の小石の除去に手間取っている。日本ならば、エンジン付きのブロアや竹ぼうきではきだすが、こちらのオフィシャルはブラシでやっている。なんか効率が悪い。後で聞いたら、レース中にコースをはくことは滅多にないということだ。レースが終わってからスィーパーというトラックみたいなマシンで清掃して終わりだということだ。日本でもレース中に清掃はしないが、レースの合間に細々とする。それさえも、こちらではしないそうだ。お国が違えばやり方は違う。

 おかげで朱里は、無理な燃費走行をしなくてすむようになった。VSCからSCに切り替わり、マシンは1列縦隊になる。

 1時間10分経過してSC解除。だが、朱里以外のマシンは続々とピットインしていく。なんと、ここで朱里がトップになった。だが、喜んではいられない。ペースを保って走ることが朱里に課せられた使命だ。

 1時間30分経過。ケメルストレートで後ろから赤いマシンが迫ってくる。明らかにスピードが違う。朱里は何とか耐えてレ・コームのシケインを抜けた。だが、リバースコーナーの立ち上がりで抜かれた。加速で負ける。BoPが違い過ぎる。無線で

「朱里、無理はするな。向こうは男性ドライバーで。しゃかりきに来るぞ。ペースを守れ」

 と言われたが、本気で走れない悔しさを痛切に感じた。その後、2台のF社にも抜かれ、4位に落ちた。

 1時間50分経過。あと10分と思っていたら、小田から

「ピットが混む前に入れ」

 と、指示がきた。

 午後3時55分。1時間55分で朱里のレースは終わった。でも、自分の仕事を果たすことはできた。2番手のニックは順位をひとつさげて5位で小田にチェンジ。小田も燃費走行とタイヤ温存策をとることになり、結果的に5位で終了した。だが、予選の順位(15位)から見ればオンの字である。

 レース後、小田から

「朱里、お疲れ。せっかくスタートでおもいっきり走れると思ったのに、悪かったな」

「そんなことないですよ。最初のピットインまではおもいっきり走れましたから、結構おもしろかったですよ。スタート直後の混雑も何とかなりましたし」

「あのオールージュでぶつかりそうになった時はヒヤッとしたけどな」

「ご心配かけました。ところでタイヤはどうなっていたんですか?」

「あれね。スローパンクチャーだった。なにかを踏んだのかもな。あのまま走っていたら危なかったな。よく気づいてくれた」

「1周目のオールージュですかね?」

「うむ、コース外を2回走っているからな。無理もないことだよ。あまり気にするな」

 というねぎらいの言葉で朱里はベルギーを後にした。


 次戦は1週間後のスーパーフォーミュラ・オートポリスである。今度こそポイントゲットをねらう朱里であった。だが、その前に時差ボケとの戦いが待っている。

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