第三章 窪手衆⑦

 窪手衆の彼らは山道を滑らかに登っていく。馬の通れない道を進むということで、別道を行く窪手衆に馬を預けてしまったラムラたちは徒歩で山登りをすることになった。イルㇽで足腰が鍛えられたはずのラムラであったが、苔むす岩をよじ登ったり道なき道を進むのに彼らの手を借りてやっとの思いでついてこられた。

 

 怪我しているはずのジュネクが道の険しさをものともせず、一人で彼らの背を追っているのを見たときは脱帽してしまった。骨張った老年の窪手衆も息ひとつ乱さずに登るさまにも感服してしまう。


 集落へは山脈のなかにある滝の裏の洞窟から向かうのだという。滝の裏の洞窟のなかに、またさらに流れが激しい滝があり、その奥へと進むと深穴がある。その深穴を降りると小さな小道があり先へ進むと渓谷への入り口へ行けるのだそうだ。ジュネクたち外の者が窪手衆の集落へと赴くのに死穢野を通過せずに済むのは、この隠し通路があるからに他ならない。しかし、その道のりは困難を極めるというわけだ。傾斜もあるし、油断すれば足許は滑るし、ぬかるんだ地面に足を取られる。道中親しんでいる者の助けがなければ、不可能なほど険しい道だ。

 

 ラムラたちは油単を纏っているものの、濡れ鼠になりながら暗い洞窟を進んだ。水滴がしたたり落ちる洞窟内で釣燈火の火を灯し続ける彼らの手際は見事だった。

長い洞窟を歩くと、どれだけの時を有したか検討もつかなくなる頃合に、ようやく目先に出口が見えた。


「足許をよく見るんだ」


 ジュネクの助言に視線を下ろしたラムラはひゅっと息を呑む。渓谷というより絶壁に近い岩場ばかりで足許が不安定だ。一歩踏み外せば落下して命を落としそうな上に、強風にあおられる。遠くから海の音がするので、海も近いのかもしれない。


「そう脅さなくても中腹まで我々に従っていけば大丈夫さ。今も昔も、ジュネクは一言多い奴だな」


「用心していると言ってくれ」


 窪手衆は笑ってジュネクの憮然とした反論を受け流した。


 ラムラは窪手衆の人たちはイルㇽの集落人のような憎悪の念がないことに気付いた。しきりに話しかけるし、なにより圧迫感を感じない。


「わかっていたつもりだったけど、想像以上に断崖絶壁だね。こんなところに窪手衆は棲んでいるのね」


 身体の弱い者や咎人が窪手衆になるのだと聞いてはいたが、こんな障壁だらけの土地に棲み着くのは遙かに難題だろう。


「私たちが貧弱に見えますかな?」


 窪手衆が口端をつり上げて訊ねた。


「まったく見えません」


 ラムラがぶんぶん首を振って否定すると、彼らは相好を崩して笑う。


「そうだろう、そうだろう。それもこれも、古代神の恩恵のおかげだ!」


 ラムラは謎かけをされているみたいで、眉根を寄せた。


「ラムラをからかうのはやめてくれないかな?」


「おお怖い怖い。ジュネクが怒ってらぁ」


 ジュネクの凄みさえ流して窪手衆は先に立って引率する。その間も彼らは底抜けに明るく、イルㇽの集落にある厳粛さと乖離があった。


「気障ったらしくて苛々するだろうけど、あとちょっと我慢して。シアハさまに会えば教えて貰える」


 ジュネクはうんざりとした顔をしつつラムラをなだめる。


 梯子をいくつかあがると、しばらくして切り開かれた小道があった。勾配の道を慎重に歩いて行くとひらけた場所へと出る。よく観察すると、人の手によって削り取られて出来た空洞がある。奥間には錆びた鐸があり、紐を引くと低い鐘の音が空洞に反響した。窪手衆が規則的にその紐を引っ張ると、鐸も倣って音を響かせる。


 ガコと蓋を開けるような音がついでしたかと思うと頭上から光が差し込んで、ラムラは急な眩しさに双眸をすがめる。ガラガラとおろされた縄梯子を窪手衆の後を追って脚を掛けてあがった。


 目が白々とした光に満ちた眩しさに慣れるころには、外界の風景が認識出来るようになる。ラムラは梯子をあがった先にある景色に釘付けになった。


「————わあ‼」


 ラムラたちは山稜に立っていた。空はより一層近く感じられ、雲は手が届きそうなくらいだ。山稜からは海も望める。


「ようこそお出でくださいました」


 そのとき、うなる風音を軽々と跳び越えて威厳と落ち着きをそなえた声が通った。


「絢爛な祀りをせず、粗末な私ども一族にお出でくださるだけでもありがたく存じます。建国の神さま、善なる神さま、悪なる神さま、ひとえに我々にお恵みをいただきましたこと、重ねて御礼申し上げます」


 蹲って拝むその老人の瞳は濁っていて、ラムラはどきりとした。


(目が、見えていない……)


 蓋をしていた記憶をこじ開けられたみたいで血が騒ぐ。


「老翁、彼女は現人神でも神さまそのものでもない」


「そうかい。あたしも勘が鈍ったかねぇ」


 老翁は間延びした受け応えをして、白濁した瞳をラムラへ向けた。


「あたしの名は老翁シアハ。おまえの人としての名を訊こう」


「わたしはラムラ。ラシエトン=ラムラです。悪神から授かった神威を返納する方法をさがしてここまで来ました。ジュネクがあなたたちなら智恵をもっているだろう、と」


「ラシエトン? 頓知のきいた家名だね、悟りの瞳〝ラシェ=トン〟だなんて。その家名を与えるのは宮廷内で考えられるのは榮卜官くらいさね」


 シアハは付き人に介助してもらうため、稜線の端まで先導してもらうよう耳打ちした。


「まずは二人とも、古代神の社におまいりしてゆきなさい。ここには山の神さまの恩恵もありますから、それが礼儀です」


「え……! 山にも神さまがいるんですか?」


 ラムラの驚きにシアハは鷹揚に頷いた。


「ええ、ええ。いらっしゃいますよ。山にも海にも田畑にも、はたまた道具にいたるまで神さまは宿ります。古代神のどなたかが海の向こうから起こし為すって、冥加を与えてくださるのですよ。日々恩恵に賜っている身ですから、畏敬の念と神恩感謝の気持ちを込めて祭祀を必ず行っているのです」


 古代神はどこにでも宿る。人間にもそれ以外にも。だけど都合良く使われているだけで、神さまたちは人間の人生の責任をとってくれないじゃないか。


 恩恵に賜る。その意味がラムラにはわからない。


 だってラムラの周囲の人たちは不幸ばかりなのだ。そんなことを言われても、簡単に納得なんてできやしない。


「かたちだけでいい。君は君の過去から判断をくだすんだ。ここにいる誰も咎めやしない。ぼくも、シアハさまも」


 ジュネクは立ち止まるラムラの背中をそっと押した。


 ラムラは小さく頷いて、見よう見まねで参拝をしたのだった。


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