第四王女 エレイア

 その日の夜、皆が寝静まった頃。

 カイゼルが眠るその寝室に、ある一人の人影が現れた。



「カイゼル君……寝てる、よね……?」



 ひっそりとカイゼルの部屋に侵入した彼女の名は『エレイア・ハルメシア』。このハルメシア王国の第四王女であった。


 緩やかにウェーブした黒い髪に、深い闇のように黒い瞳。身長や体形も年相応で、隅々まで手入れされたボディラインは芸術作品のように美しい。


 現在13歳の彼女はカイゼルと年も近く、例に漏れず彼の事を気に入っていた。



 それどころか、好きすぎて盛大に拗らせていた。



「あぁ、カイゼル君……可愛い寝顔、小さな唇、いい匂い……全部好き……♡」



 すやすやと眠るカイゼルを覗き込むようにグイッと顔を近づけ、鼻が触れそうな至近距離で見つめるエレイア。


 カイゼルの寝息がかかる度にエレイアはゾクゾクと身体を震わせ、恍惚の表情を浮かべて熱い吐息を漏らす。



 元々嫉妬深い性格をしていたエレイアは、3人の姉達に可愛がられながら育ったものの、それも数年の事。比較的すぐに妹のオルキス———第五王女『オルキス・ハルメシア』が生まれたことで、両親も含め家族の興味がエレイアからオルキスへと移ってしまったのだ。


 その後、承認欲求を募らせ続けたエレイアは、カイゼルが生まれたことで爆発。カイゼルがエレイアにも積極的にコミュニケーションを取りに行っていたこともあり、エレイアは全ての欲求をカイゼルへと向けたのだ。



 その結果が、今のエレイアの状態だった。



「はぁぁ……カイゼル君……。あっ———」



 間近でじっくりとカイゼルの寝顔を堪能していたエレイアは、その枕元に落ちていたものに気が付いた。それは、一本の髪の毛だった。


 金色の、細く短い髪は、確実にカイゼルのものだろう。その髪を摘まみ上げ、じっくりと確認してカイゼルのものと確信した彼女は———



「んっ……♡」



 躊躇うことなく、その髪を口に含んだ。



「んっ、あっ……♡ カイゼル君が私の中にっ……♡」



 熱い吐息を漏らし、熱に浮かされたような表情を浮かべたエレイアは、自身の肩を抱きゾクゾクと身体を震わせる。


 自分の中に入ったカイゼルの一部・・が、いつか自分の一部となる……そんな想像したエレイアは、歓喜に身体を震わせているのだ。



 一通り堪能したエレイアは、昂ぶる内心を抑えて再びカイゼルの寝顔を覗き込む。



「ありがとう、カイゼル君……♡ 私も何かお返し、しないと……何がいい、かな……?」



 自分も髪を……? でも、寝ているカイゼル君にあげても、上手く飲み込めないだろうし……



「あっ……私の血ならいい、かな……?♡」



 自分の身体を流れる血が、最愛のカイゼル君の身体に取り込まれて……私がカイゼル君の身体の一部に……あぁ、なんて最高なのだろう……!


 そうと決まれば、エレイアは即行動に移す。

 どこからか一本のナイフを取り出した彼女は、笑顔を浮かべたままカイゼルの顔の上に左手首を差し出し———



 夢中になっていた彼女は、別の侵入者の存在に気づいていなかった。



「きゃっ……!」



 突如として現れた別の侵入者に強く突き飛ばされた彼女は、悲鳴を上げながら床に倒れ込んだ。


 黒装束に身を包み、目元しか出ていないその人物は、明らかに暗殺者の風貌だった。狙いはカイゼルだ。エレイアを押しのけて真っすぐにカイゼルへと近づいた暗殺者は、逆手に握ったナイフを振り上げ———



「『動かないで』」


「っ!?」



 ———エレイアの“呪い”が発動する。


 ピタリと動きを止めた暗殺者は驚愕に目を見開く。どれだけ力を込めても、指先一つ動かせないのだ。



「あなた、どうして私を邪魔するの……? あなたも私とカイゼル君を引き裂こうとしているの……?」



 抑揚のない声が、暗殺者の耳に届く。


 エレイアの使う“呪い”ともいうべき魔法は、相手の魂や命に直接干渉する能力を持つ。今のように相手の魂を縛り付けて自由を奪うことも、それどころか命を奪うこともできるのだ。



 ただし、魔法のトリガーが彼女の感情に大きく作用される部分が欠点か。もし完全にコントロールできてしまったら……彼女の気分次第で即座に国が滅亡する可能性もあるのだから、自由に使えなくて良かったのかもしれない。



「そう、なのね……じゃあ、あなたもいらない・・・・


「ひっ……」



 動けない暗殺者の首に、エレイアの手が回される。すると、漆黒が漏れ出したような闇が暗殺者を包み込み……生気を失った暗殺者は、ドサッとその場に崩れ落ちた。


 暗殺者は、すでに死亡していた。それどころか、まるで泥人形を崩すかのように暗殺者の身体はチリとなって消えていき、後には暗殺者が身に着けていた服や武器しか残っていなかった。


 彼女が『不要』だと思ったら、その人物は死亡する。あまりにも危険すぎる魔法であった。



 暗殺者の失敗は、エレイアを怒らせたことだろう。彼女が『カイゼルの命を狙ったこと』ではなく、『自分とカイゼルとを引き裂こうとしたこと』に怒っているあたり、少しズレた認識をしているようであるが……。



 暗殺者が完全に消えるのを見届けたエレイアは、再び笑顔を浮かべてカイゼルに向き直り、左手首にナイフを当てる。


 が、



「それはダメだよ、エレイア姉様」


「あっ……カイゼル君、起きて……!?」


「そりゃ、こんな騒ぎが起きたら起きるよ」



 目を覚ましていた俺は、彼女の手に自分の手を添えて、そっとナイフを下ろさせる。なんでエレイアは、いきなり俺の顔の上で手首を切ろうと……? そんなことをしたら、俺の顔が血塗れになるんだが……


 もしかしてそれが目的……な訳ないか。



「とにかく、僕の前で自分を傷つけるようなことはしないでください」


「でも……」


「エレイア姉様も、僕の大切な姉さんだからさ……ね?」


「んっ……ふふ、分かった……♡」


「それより、こんなところにまで侵入者が現れるなんてね……エレイア姉様、姉上達を起こしてきてくださいませんか?」


「えぇ……待ってて、ね?」



 ふわりとほほ笑んだ彼女は、小さく手を振ってから俺の部屋を後にする。


 パタン……とドアが閉じてから数秒、俺はドッと冷や汗を溢れさせながらベッドに座り込んだ。



 危ねぇ、マジで危ねぇ……よくあの状態のエレイアを爆発させずに諫めたよ、俺……。ちょっとした刺激でも爆発する地雷を解除している気分だったぜ……。


 最後のあの笑顔……エレイアも普通にしていればめちゃくちゃ可愛いんだけどなぁ……。なのにこのヤンデレ具合……正直、性癖が歪む。

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