第29話 大君とお茶

 深宮が角卓に三宮を座らせ、自分も席に着いた。

 大君は円卓に芝宮を招いた。

 芝宮はしっかり座台に腰を下ろし、折宮からそろっと甘宮をもらった。


 こんな小さい御子を抱くのは何年ぶりだろう。孫は抱いたはずだが、それも十年も昔のことだ。

 甘宮は泣きもせず、ふわっと欠伸をして目を閉じた。

 折宮がそうっと座台を引いて座った。


 どのくらい見つめていたのだろう。芝宮が目を上げると、大君も折宮も甘宮を見つめている。


「ほほほ、見飽きぬな。けれども今、甘宮は眠るのが仕事。笹舟」

「はい」


 笹舟は甘宮を抱いて、下がっていった。

 少し残念だ。奥殿に寄って帰ろう。

 角卓の三宮はずいぶん大きくなった。神都内にいるのだ、時々は訪ねれば良かったのだが……奥殿が空っぽだと思うと、足が遠のいたのだ。


 深宮は角卓で三宮の面倒をよく見ている。

 大学院でも落ち着いて淡々と数字を扱い、積み重ねている。院士たちは各々報告する。


「面積と体積に興味を示されます」

「形状と強度の関係を学ばれております」

「木材、金属、特に鉄に関心をお持ちです」


 ――フム、深宮は深宮の思う通りに学び、進め。それが深宮の道だ。


 ――折宮は、フム、折宮が勝手気ままに外をうろつき回るから、深宮は慎重な性格になったのであろうか。


 お茶を飲みながら、谷丘の里が話題に上がった。


「折宮、どんな所だ? 活気のある里であろうか?」

「宮にとっては憧れの地であったから……美しい里です」


「代行広重は、穏やかに人々の暮らす里、という風な表現をとっていたな」

「しかし、こんなに急に立たずとも……里から来て、神宮は窮屈であったかな」

「それはない」


 大君は悪だくみが成功した時のような微笑を浮かべて、断言した。


「神宮中に、甘木等へ挨拶は控えよ、と指示した。

 来る道中、一緒だった選士ヤスカ、薬士ナベカと、もともと先に行っていたマリカだけ近くに置いて、他はヤスカを通じよと命じたし、甘木等は少々人数は多かったが、すべて奥殿の客として、笹舟に預けたのだ」


「ヤスカは苦労したようだが、笹舟もいる。それに、マリカが早々に甘木等に溶け込んでおり、助かりましたと言っていた」


 しかしな、と大君は角卓ではしゃいで焼き菓子を食べている三宮に微笑み、視線を戻すと、真顔になって声を落とした。


「こういう言い方は何だが……御子誕生の事例は少ない。里の御子となると、もっと少ない。

 御子は馬車に強いというのか、弱いというのか、動き出すとすぐに寝てしまう。個人差もあろうが、甘宮は特に四日間も馬車に揺られて、寝ぼけていたようだ。

 昼間揺られて、宿に着いて眠り、回復する間もなくまた馬車だ。

 四日に神宮に着いても、半分眠りこけていたようで、その日ゆっくり休んで五日の朝が、本格的な目覚めだったと――これは笹舟の推測だ」


 大君が真顔のまま続ける。


「朝からキクカが御子を抱いて笹舟に泣きついてきた。胸が全然張ってない。乳が出ないと。

 確かに月開け頃から乳は出なくなる。その時期と、御子が寝惚けて飲まなくなったのが重なったのだな。急に止まってしまったようだ。

 笹舟はキクカに三建湯を奨めた。産後の肥立ちに良い。がしかし、乳はすぐ止まる。

 キクカは飲むことを選んだ。笹舟はあと七日分ほど持たせたようだの」


 大君が芝宮に顔を向けた。

「芝宮、籍簿はしっかり記せよ。甘宮の親御は、神宮の親御だ」


「はい」

 芝宮は厳粛な雰囲気の中で頷いた。


 宮たちは一人称に『宮』を使う。大君も個人的には宮を使うが、公式には『神宮』と言う。普通に場所、建物の意味で神宮というのと、微妙に違う。

 大君が「神宮は……」と言えば、それは神宮の総意、黒髪の宮たちの総意である。

 臣、選士、民のすべてである。


「まあ、朝から大騒ぎしたらしいが……」


 大君は、またくだけて話し始めた。


「神都見物に屋根馬車を繰り出したのは良いが、車門からたかだか大門まで行って……止まってしまってな。

 ゆっくり大門を見ようということだったのだろうが、大門を見れば入りたい、入れば玉砂利の道を歩きたい。

 門士イワトが神宮内を案内して、北殿でお茶にして、中央殿で昼食だ。南殿で宮たちに捕まり、慕われておった。

 奥殿に帰り着いたのが夕方になって、一日終わりだ……と聞いた」


「もっとゆっくり滞在して、神都見物でも神宮見物でもしてほしかったが、もうお腹が一杯だ、と言うのだ。

 今朝のことだ、帰ると言い出して。

 それに、四日で帰れるなら甘柑の収穫に間に合う、と言う。

 笹舟が飛んできたが、フム、好きなようにしたら良い。

 神都見物しながら帰りたいと言うので、イワトを案内に付けた。谷丘の里まで送る」


 大君の長い話に耳を傾けていた芝宮は、ふうー、と息を吐いた。


「そうか、甘柑の里であったか」

「今年の甘柑は格別の味がするであろう。南都にも北都にも送ってやろう」


「大君、その必要はない。みな、食べに来るであろうよ」

「ほほほ、そうだな。北都から『神都郊外の北倉がカラになったろうから、補充を急ぎ送る』と言ってきた。

 木材だけではないな。宮が付いてくるのであろう」


「南都にも他の離宮にも、その格別な甘柑を用意していると連絡すれば良い」

「フム、いつも三月末には届くが、街道が出来たから……」

「何、届いてなくとも良いのだ。宮は今日はまだ届いてなかったか、と度々来たいと思う」


「毎日でも……。芝宮、いつも行事の時の院士の応援は助かっている。

 しかし、今回は本当に有難かった、礼を言う。

 人数にも驚いた。まさか院全部ではなかろうな」


「ほとんど全員だ。大学所の教士も出した。大半は実習の済んだ学生を連れて来ている。足手まといにはなっていないと思うが」


「とんでもない。どの臣の評判も良い。学生の質が向上したな。教士もだ。

 院士はそれこそ奥殿におれば奥士、北殿の都籍、正籍の仕事に付いておれば役士、南殿では南士の顔をしておった。

 そっちの方はどうしている?」


「大学所では急遽歴史の集中講義をしている。特別講義というのは効果があるし、教士が少なくとも出来る。

 宮も久しぶりに教壇に立った。あと一年次の学生を二年次が教え、二年次は三年次が教えるという手段も取った。実習代わりになるし、自分自身の復習にもなる。

 教えるということは、学ぶことでもある」


「芝宮は歴史にのめり込んでいると思っていたが、運営にも携わっていたのだな」

「院臣が運営しておるよ。有能でな、任せっきりだ」


「ここも補臣が運営しておるのだ。一の臣から九の臣まで、みな有能でな」


 互いに声を上げて笑った。

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