6章 神籍

第28話 芝宮

 三月六日、朝から院士の報告を受けて、芝宮は慌てた。

 遠い谷丘の里から来た甘木等がもう帰るという。


 四日に神宮に御子が迎え入れられ、すぐに会いに行きたかった。それより、先に神宮に行き、到着を待ちたいとも考えていたが、数日して落ち着いてからの方が良いと、無理に気持ちを抑えていたのだ。

 まだまだ滞在する、と思っていた。


 ――宮は、甘木等にも会いたかったのだ。


「急ぎ神宮へ行く」

「はい」

 院士はさっと飛び出した。


 ――お通りの鐘を打ち鳴らすのであろう。好きではないが、この際、仕方ない。


 神都では馬も馬車も速歩程度で行き交う。

 先日、折宮は先触れの従士を次々と出して通りを押さえ、交通規制までして馬車の行列を神宮に入れた。

 折宮も先触れや先導を嫌うが、あの時は違ったようだ。


 ――いや、神宮中がおかしい。宮自身がおかしい。


 里の御子誕生、遠い東の里の御子誕生に心は浮き立ち、ふっと窓を見ると、東の方角はこちらであったな、と遠く谷丘の里を想うことも度々であった。

 ゆったりした道行を羽織りながら、馬に飛び乗った。

 

 鐘が打ち鳴らされる。


 グン、ゴン、ガン、コン、キン、カカーン

 グン、ゴン、ガン、コン、キン、カカーン


 響く低音から通る高音まで、音は悪くないが、その意味するところを思うと気が重い。


「お先、参ります」


 院士が二名、馬で飛び出した。

 ここは神都で唯一の大学所であり、併設された大学院である。神宮まで少し距離がある。

 芝宮が門を出るころには、遠くの鐘所からも打ち鳴らされる鐘の音が聞こえてくる。


 グン、ゴン、ガン、コン、キン、カカーン

 グン、ゴン、ガン、コン、キン、カカーン


 疾走しても良い。けれども芝宮は周りに注意しながら馬を走らせた。先導の二名も安全な速度を保っている。

 神宮まで鐘所は四か所ある。


 疾走しても良い鐘は他にもある。例えば早馬だ。

 滅多にないが、コンキンカカーン、コンキンカカーン、と忙しなく打ち鳴らされ、道が開けられる。


 その方がよほど良いと思うが、先ほどの鐘は宮が行くという鐘だ。

 通常は鬱陶しいので鐘なしでそっと行く。気づいた者は道の端に避けて両手を合わすが、たいした騒ぎにならない。

 だが、今日はそういうわけにはいかない。


「おお、学殿の芝宮様だ」

「芝宮様のお通りだ」

「大学院様、芝宮様」


 通りの両端に集まってきた人々に、心持ち左に、右に、視線を向けて馬を走らす。後方で歓声が沸き起こる。

 『今日は宮様に会った。なんて運が良いのだろう』、そう、神都の民は話すのだそうだ。


 ――少しは大君の政を手伝おう。


 芝宮は馬の手綱を片手でしっかり持ち直し、左側の人々に手を上げ、右側の人々に手を振った。


 宮は我が儘を言って大学院に引きこもり……まあ、どこの宮も我が儘だが……ややこしいことはすべて大君がやっている。

 現実には大勢の臣がいるが、哲学を持つのは大君だ。どの宮も専門に走るが、大君位というのも一種の専門、適性かもしれない。


 お通りの鐘に助けられて、神宮にはすぐ着いた。車門の門士たちは整然としている。今開けたばかりだという慌ただしさがない。

 甘木等はもう立つところだったのだろう。芝宮は車門を抜けて、石畳の道を急いだ。


 屋根馬車が四台用意されている。回廊に立つ大君に、まず挨拶した。

 本当に出発間際だったのだ。


 深宮がいる。折宮のすぐ下の弟宮だ。十六になったか、もう十七になるか――成人の儀を済ませたのも、つい先日のことのように思うが、南殿の下宮三人、霜宮、浮宮、玉宮を座台に座らせている。

 監督しているつもりであろう。

 三宮もおとなしく従っている。

 静かにしていると約束して、見送りの席に出してもらったのであろう。


 一人一人に視線を移して、頷いた。あいさつ代わりだ。

 若草の者に目を移すと、大君はおっとりと甘木キクカから順に、一人一人紹介してくれた。


「芝宮だ」

 自らも名乗った。


 ――会えて嬉しい。どの宮の親御であろうと、我が親御……。しかしこの年になると親御という気持ち半分、我が子のような感情半分であるな。


 ――フム、若草の上着の他に、今日はえらい黄が目につくな。


「大君に深宮。霜宮、浮宮、玉宮。それに宮、芝宮もいるのか」

「いや、八人だ」


 ほほほと大君は楽しそうに笑う。

「折宮が甘宮を迎えに行った。もう連れて来るであろう」


 奥臣笹舟を従えて、折宮が甘宮を抱いて来た。


「揃ったようだの。ではキクカ、タカト、甘木の皆々よ。望むように神都を見物し、帰途に着くが良い。息災でな。

 フム、霜宮、他の宮を代表して、別れの挨拶をするが良い」


「もっとゆっくり神都にいてほしい」

「それは挨拶になっておらぬな」


 大君は霜宮の頭をなでた。

 一の臣が甘木等を促し、皆は馬車の人となった。先導が二騎ゆっくり走り出し、四台の屋根馬車が静々と進み始める。その後から、幌馬車が一台続く。


「遠い谷丘の里へ帰るのに、伴うのは幌馬車一台で大丈夫なのか」

「その一台ですら、不要なほどだそうだ。宿も茶屋も完備している。折宮は手ぶらで良いと言っている。

 幌馬車は、ほとんど付いて行くマリカとハネトの引っ越し荷物だそうな」


 屋根馬車が並木の中に消えるまで見送った。


「さて折宮、甘宮をよう見せてくれ」

「はい、芝宮。抱きますか?」

「ウーン、泣かぬかな? 宮は大学院の芝宮だ」


 甘宮は声のした方へ顔を向けただけであろうが、頷いてくれたように芝宮は思った。


「お茶にしよう。芝宮の言う通りだ。今日はよう集まった。珍しい宮もいる。

 何より、新しい宮が加わった」


 中央殿でお茶か、久しぶりだな、と思う心を読んだように大君は笑う。


「奥殿に御子がおらんこの一年は、どの宮もろくに神宮に寄り付かん。顔を見せにも来ぬでな」


 本当に久しぶりに、宮が集まってのお茶となった。

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