第30話(最終話) 長い話を語ろう

 互いに声を上げて笑いながら角卓を見ると、いつの間にか四宮ともいなくなっていた。向こうの円卓で話し込んでいるので、深宮が連れ出したのだろう。

 折宮はというと、座台に半分ずり落ちて眠り込んでいる。


 ――まだ子供だな。しかし今回は百二十里あまりの街道を通したのだ。それも二十日ほどで。


 ゆっくりお休み、と甘宮に向けたと同じ視線を注いだ。

 大君がまたも芝宮の心を読んだように言う。


「折宮は天の啓示を受けた。はっきりとは解らぬが、数年前から東の道を探っておった。やれる所はやり、やれぬ所も相当、構想を練っていたようだの」


「天の啓示、正しく然り。今年の書紀の第一項だな。神暦五百一年三月、折宮街道。

 ……フム、急ぐものでもない。ゆっくり文案を考えよう。半年くらい置いた文章が良い」

「楽しそうだな」


「そうとも。書紀に嬉しきこと、喜ばしきことを書けるのだ。地震や暴風雨の被害を書かねばならぬ時はつらい。

 先の君は竹林村に見舞いに行かれたとか。ひどかったのか」


「……一つ一つのことは、然程のことではないのだが……。

 竹林村は去年の夏は日照りに苦しみ、秋の暴風雨で家が倒され、流され、死者が出た。領主は大社に収容できぬ者には長屋を建てて、差し当たり冬を越したが……先日、その長屋が出火して全焼だ。

 今回は、幸い死者は出なかったが、水で家を失くし、今度は焼け出されたのだ。

 哀れだ。『災いが続くと気が萎える』と、先の君は心配されて」


 芝宮は眠り込んでいる折宮を見た。

 大君も頷く。


「折宮が昼から行くという。明日の夕には着く。先の君には戻っていただこう、お疲れの出ないうちに」

「書紀に水害や火災を記すのは確かにつらいが、先の君が見舞いに行かれたと、または折宮が出たと締めくくると、悲しみも半分癒されるような、いや、何もできないが、希望を捨てるな、といつも祈りながら書いている」


「この間、苦しきことのみ多かったな。

 二月八日に御子誕生の知らせが入った時は、どんなに嬉しかったか。先の君は御不調であられたが、急にお元気になられた。

 毎日、北殿に来られて公務を手伝ってくださり、竹林の火事の知らせに『まず行くことだ』と言われて、折宮が帰るのを待たずに自ら行かれた。

 御子は希望だ」


 ――御子は希望だ。


 芝宮は大君の元を辞し、奥殿へ寄り、希望である甘宮の寝顔をもう一度見てから、帰途に着いた。


 今日会った甘木等は十二名。院士の報告によれば甘宮の曾祖父、甘木コセトが里に残っているという。新たに正位を得る者は十三名だ。

 大学院に帰り着いて、さっそく籍簿を取り出した。神籍、補籍、付籍、の三冊である。


 ――久しぶりだな。


 芝宮は籍簿をなで、パラっと開いて閉じ、しばらく三冊の感触を楽しんだ。

 古くから続く神籍は、御子誕生の年月日しか記されておらず、その後、補籍が追加編纂され、内容もわずか増えている。

 さらに百年位前からは、新たに正位を得た者も書き記され残っている。これを付籍とし、昔からの名称、内容を踏襲し、形式を統一している。


 もう院士の報告を聞き、下書きもできているが、すぐに書いてしまうのも何やら惜しい。

「午後からに回そう」


 芝宮は院臣を呼んで、大君の言葉を伝えた。


「大君から礼を言われた。皆ご苦労であったな。応援に出た者も、残って大学を支えた者もだ。

 学生、教士、院士の質が向上したともいわれたな。院臣には宮からも礼を言う」



 遅くなった昼食を取り、庭を少し歩いてから芝宮はまず付籍を開いた。

 甘木キクカから順に、一人一人書き記す。続柄もだ。


 付籍は御子誕生の時だけ記される。これはこのまま北殿の正籍に加えられ、その後新たに生まれ正位を得る者、没する者はそちらで記録される。


 キクカとタカトは末子同士。正位を得たものは曾祖父母の代が甘木コセト一人しか残っていないが、叔父、叔母がすでに結婚しており、その配偶者が増えている。

 幸多かれ、と祈った。


 次に神籍と補籍を手に取り、しばらく考えてから、芝宮は補籍を開いた。

 窓に目をやると、この間の院士の報告の一つ一つが思い出される。


「大君様は『百二十里も東の里の御子だぞ』と喜ばれて……」


「大君様は『御子よ、御子。東の御子よ、里の御子』と……」


「折宮様が二月十二日に谷丘の里に入られたと。

 大君様は『御子は眠っている。今は起きているであろうか。眠っているであろうか』と……」


 ――御子は、ずっと御子であったのだ。名付けられていなかった。


 芝宮も喜び浮かれて、名の無いことなど気づきもしなかった。

 御子誕生の知らせが入れば、即刻その場で名を付ける慣例は忘れられ……。


 頬が緩む。苦笑すべきか大笑いすべきか。

 心を落ち着けて、補籍に向かう。


「神暦五百一年二月一日、神都より東に百二十里、早川を渡り、至る谷丘の里に御子誕生。同年三月四日、神宮に迎え入れられ、大君、甘宮と命名す」


 甘宮が大きくなり、補籍を読む時が楽しみだ。

 名が付けられたのが一月以上も遅れたのは何故かと聞かれたら、二月八日に知らせが入ってからの、長い話を語ってやろう。




 芝宮は最後の一冊、神籍を開いた。

 これが一番、古い籍簿である。

 初代大君が御子誕生を喜び、暦を改め、「神歴元年五月五日、天宮誕生」と書き記し、始まったものだ。

 この天宮が二代大君となっているが、初代大君の名はわかっておらず、その治世がいつから始まったのかも不明だ。


 神暦が始まり五百年が過ぎ、新たな五百一年を迎え、奇しくも天宮と同じ音である甘宮の誕生を記す。


 ……感慨深いものであるな。


 芝宮は筆をとり、連綿と続く神籍に、書式通りに簡素な一行を書き加えた。



 神暦五百一年二月一日、甘宮誕生




           「黒髪の御子」  完

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黒髪の御子 @sidaresigure

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