第二章 3

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 エルリックは一週間経ってから戻ってきて、ルイーゼが伝えた以上の物資を山のように持って帰ったばかりか、医者の卵だという男まで連れ帰ってきた。将来はどこかで会派業したいと思っているが、思わしい場所がないので困っているという話をしていたので、ちょうどいい、お誂え向きだと連れてきたのだという。

「まずは、ここがどんなとこか見てもらった方が早いと思ってさ。見てくれよ、みんなあんたみたいなひとを心待ちにしてるんだ」

 若い医学生は自分を取り囲む村の人間を一望し、かけていた眼鏡を直すと、なにやらごくりと唾を飲み込み、次いで、

「……診療所というのを見せてください」

 と小さく言った。そして施設を見て回ると、

「これはすごい。ちょっと古いけど、なんでもある。これだけあれば、じぶんで揃える必要がありません」

「だろ? 初期投資をしなくていいのは、あんたにとってもいいことだぜ」

「……」

 医学生は少し考えて、その次にルイーゼに向かって質問をした。

「あなたは、ここのひとたちを治したそうですね。医者なのですか」

「厳密に言うと、違うわ。でも、手ほどきを受けた。経験だけならあなたよりもあるわ」「では、質問に答えてください。敗血症の処置の方法は?」

「基本的には菌種の同定を行い、有効な抗菌剤抗生物質を選択して点滴静注するけど、症状が進行している場合は同定されるまで広域スペクトルの薬剤を使うわ。問題点は薬が効かない菌種だった場合だけど、時間との戦いになる。重症化して、脳炎、肺炎、多臓器不全を誘発した場合死に至ることもあるわ」

「狭心症の定義を言ってみてください」

「心臓を取り巻く血管・冠動脈が細くなって血液が流れにくくなった状態を言うわ。動脈硬化などを起こした冠動脈に沈殿物などが付着すると、血管が狭くなって血液の流れが悪くなる。そのため心筋が血液不足となり一時的に酸素が足りなくなって一時的に酸素不足の状態に陥って、胸の痛みなどの症状が現われる。これが狭心症よ」

「……よくわかりました」

 彼は眼鏡をはずして、ルイーゼに手を差し出した。

「どうやら、あなたは信頼に足る人物のようだ。よほどいい医師に指導を受けたのですね」

 ルイーゼはちょっとだけ戸惑って、それからその手を握り返し、弱々しく微笑むと、

「……そんなことないわ」

 とだけ言った。

「私はしばらくこの村に滞在してあなたたちを手伝って、それから学校に戻ります。卒業は秋です。そうしたら、必ずここに来ます」

「そいつはいい。俺も苦労した甲斐があったってもんだぜ」

 エルリックは得意顔で腕を組み、満面の笑顔になって山小屋に戻っていった。今や、三人をのけ者にしようとする者は少数だった。

 火事のときに助けた男が訪ねてきて、ルイーゼに言った。

「あんたの探してる本だがな、どうもあることはあるらしいんだが、所在が確かじゃないんだ。あっちにあるらしいとか、こっちにはあったとか、情報が不揃いなんだよ。もうちょっと待ってくれないかな。きっと探してくるから」

 どうせ、藁をもつかむ思いで来た道だ。ルイーゼはいいわ、とこたえ、それから毎日山小屋で薬草を摘んではそれらを選別する生活を送った。たまに、あの医学生がやってきて医学の質問をしにきたり、患家の面倒を見るのに自分ではわからないことがある、手を貸してほしいと言ってきりして、そういう時だけ出かけていった。

 そうこうするうちに五番目の月、若草になって、いよいよ緑が青々しい季節となった。 それは、よく晴れた日のことだった。

「おい、見つけたよ。これじゃあないかい」

 あの男が一抱えもある分厚い本を持ってやってきて、三人に見せた。あまりにも重いので、彼はそれを袋に入れて持ってきた。

 テーブルの上に置かれたそれは、革の装丁がされていて、金属が嵌められていて、なにやら物々しい。表紙に『不死は不死たるもの、生は生のままに』と彫られている。

 ルイーゼは震える手でその彫刻に指をすべらせた。そして、

「……ありがとう。多分これだわ」

 と言うと、思いつめた顔でうつむいて、後は言葉が出ないようだった。

「ああよかった。じゃあ俺はこれで

 ヴィズルが礼を言って男が出ていき、山小屋は静かになり、ルイーゼはそこに座ってその本を読み始めた。

 夜になっても、その勢いは止まらなかった。灯かりをつけてやって、二人はそのまま彼女を放っておいて眠りについた。燭台の火は、遅くまで灯ったままだった。

 翌朝、赤い目をしたルイーゼがテーブルにいたままでいた時、エルリックは茫然として、「……寝なかったのかい」

 と尋ねた。

「ちょっと興味深い箇所が見つかったままだから、つい読み耽ってしまって」

「それで、わかったのかい」

「うん、わかった。この本には、載ってないってことが」

「えっ」

「でも、興味深いことが書かれていたわ。ここよ」

 ルイーゼは本の後ろの方の頁の一点を指差すと、ヴィズルとエルリックでは読めないその文字を代わりに読んでみせた。

「『この世のものではないものすら死に至らしめる最も恐ろしい毒草、ありき。それは北の地に生える紫の五弁の花なり。中央に青き雌しべを戴く』とあるわ」

「北の地といっても、色々あるな。リーズル大陸も北だし、オソヨンも北だ。それに、フェイも北の地といえるだろう」

「私もそう思った。でも、ここにこうあるの。『その毒草は三日月の湖のほとりにのみ咲く不思議のものなりけり』」

「三日月の形の湖……」

「リクキ湖か」

「そこに行けば、その毒草があるかもしれない。死ぬ方法が、あるかもしれない」

「じゃあそこに行こう。リクキっていったら、大陸を渡る。すぐに船に乗ろう」

 エルリックが勇んで言った、その時である。

「大変です」

 あの医学生が、突然扉を乱暴に開けて入ってきた。

「どうした」

「大変なんです。村の、村長さんが、大怪我をして」

「えっ」

「とにかく、大変なんです。すぐに来てください」

 三人は顔を見合わせて、村に走った。

 村では大騒ぎになっていた。

 初老の男が、手首から血を流して青い顔になって横たわっている。

「すぐに診療所に」

「なにがあったんだ」

「お孫さんが、猪の罠に手を入れようとしたのを止めようとして、それにはまってしまって。挟まれてしまって」

「そんなことをしたら手首が切断されてしまうぞ」

 見れば、村長の手首を押さえている白い布は見る見る血に染まり、出血はいっこうに収まりそうにもない。

「まずは止血を。それからすぐに手術の準備をして。あなたも手伝って」

「えっ、でも僕は」

「実習くらいしたことあるでしょう。いないよりましよ。いいから早く」

 ルイーゼは手術室に村長を寝かせて、患部を消毒した。

「ヴィズル、エルリック、チョウセンアサガオを探してきて。麻酔に使うの」

「どんなんだ」

「こういうやつ」

 ルイーゼは素早く絵に描いて、

「その辺に自生してるはずだから、急いで」

 と二人を行かせ、

「道具を滅菌するわ。お湯を沸かして。たくさん」

 と、ありったけの鍋に湯を沸かし、器具と部屋を消毒してから、

「全員出て行って」

 と野次馬を追い出すと、ヴィズルとエルリックが目当てのものを持って帰るのを待ち、そうして患者に麻酔をしてから、医学生と共に手術に入った。

 診療所の外で、ヴィズルとエルリックは待った。

「大丈夫かなあ……ゆうべ寝てないんだし」

「それくらいで失敗するタマじゃなかろう。平気さ」

 一方のルイーゼは、額に汗を浮かべて慎重に手術を行っていた。

 血が、見る見る出ていく。目がちかちかする。指が震える。

「出血が止まらないわ。もっとガーゼ」

「はい」

「出血点を見つけて、なんとか血を止めないと」

 ルイーゼは血が吹き出ている部分を探し出して、止血を試みた。

「……あった。ここよ」

 血が、止まった。

 神経の一つ一つを、繋げていく。ああ、めまいがする。これは骨? それとも皮膚?

「糸」

「はい」

 ルイーゼは針と糸を持って、患部を丁寧に縫っていった。

 これでいいはず。いいの? 本当に大丈夫? 何度も自問する。

 ほう、とため息をつく。

「お見事です」

 横に立っていた医学生が感嘆の声を上げる。

「現役の医学生に言われると立つ瀬がないわ」

 白衣を脱いで、ルイーゼは弱々しく笑った。そして表に出た。

「ルイーゼ」

 外では、大勢の村人が待っていた。

「どうなんだね」

「無事なのか」

「手はくっついたわ。動くかどうかは、本人の努力次第だけど」

「おお……」

 歓声とどよめきが上がる。

「とにかく、肉と栄養のあるものを食べさせて。後は、なかにいる若先生がやってくれるから」

 ふらふらと歩きながら、ルイーゼは言った。

「おいおいだいじょぶかよ」

「私はもうだめ。眠くて眠くて……」

 と言うなり、ルイーゼはふらりとなって、そこに倒れた。

「おおっと」

 すんでのところでそれを受け止めて、エルリックが抱き上げると、ルイーゼはすうすうと寝息をたてている。

「徹夜明けの上に、大手術だ。緊張の糸が切れたんだろう」

 寝かせといてやれ、とヴィズルが言った。エルリックが困ったように腕のなかのルイーゼを見ると、彼女は満足そうな顔をしていた。

 ルイーゼ、ルイーゼ。どんなに石を投げられても、君はあのひとたちを諦めなかった。

 ルイーゼ、よくやったね。君は立派な医者だよ。      

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