第2話

 ここは、どこだっただろうか。部屋の中のようだけど。

 身体を起こして暗い中を見渡すと、扉がわずかに開いていて明かりが漏れている。その前に誰かがいた。

 私は何故か、その子を知っていた。

「ヘンゼル?」

 布団から出て、彼に近付いた。彼はビクッと肩を震わせて、こちらを見た。暗くて表情はよくわからない。

「どうしたの?」

「あぁ、グレーテルも起きちゃったんだ。僕もおなかがすいて眠れなくて。そうしたら・・・・・・」

 兄のヘンゼルは小声でそう言うと、再び扉の方を向いた。扉の向こうから声が聞こえる。

「もう食べるものがないよ。次こそは、なんとしてでも、あの子達に出ていってもらわないと」

 これは継母の声だ。それから、父の声が聞こえた。

「でも、やっぱり俺は・・・・・・」

「まだグズグズ言っているの? このままだと四人で餓え死にしてしまうのに」

「だって、かわいそうで・・・・・・」

「一度失敗しているんだから、今度は帰り道がわからないくらい、もっと森の奥であの子達を置いていくのよ。そうしないと、私達も先がないわ」

 そうだ。貧しいこの家には、食べるものがない。だから、継母は木こりの父に、こんな恐ろしいことを言っているんだ。

「どうしよう、私達」

 私が不安を吐露すると、ヘンゼルが私の手を握った。

「大丈夫。この間は帰ってこられたんだし、きっと神様が僕らを守ってくれる。だから、泣かないで」

 私はヘンゼルの手のぬくもりに、少し勇気づけられた。

「もうおやすみ、グレーテル」

 私はコクリと頷いて、布団に入った。ヘンゼルも音を立てないように扉を閉め、私の隣で眠った。



 私とヘンゼルは朝早くに継母に起こされた。

「さぁ、薪を拾いに行くよ。これは、今日のあなた達の昼ご飯だからね」

 そう言って、私とヘンゼルに一切れのパンをわたしてきた。

「グレーテルの分も僕が持っておくよ」

 私はヘンゼルが出してきた手の平に、パンを乗せた。私を安心させるかのように、ヘンゼルは私の目を見て頷いた。

 家族四人揃って、森の奥へ歩いていく。時折、ヘンゼルは父と継母に気付かれないようにパンをちぎっては地面に落としていった。

 来たこともないほどの森の奥に来ると、四人で近くの薪を集め、焚き火を起こした。

「お前達はここで休んでいなさい。疲れたなら、少し眠るといいわ。お父さんとお母さんは、木を切りに行ってくるから、終わるまで待っているのよ」

「・・・・・・行ってくるよ、ヘンゼル。グレーテル」

 そう言うと、父と継母は私達を置いて行ってしまった。

 私の不安が顔に出ていたのか、ヘンゼルは明るい声で言った。

「大丈夫だよ、グレーテル。さぁ、これを食べよう」

 ヘンゼルは残っていたパンを半分にちぎって、私に差し出した。

「うん。ありがとう」

 元気づけようとしてくれるヘンゼルの優しさが、沁みた。

 私は独りじゃない、ヘンゼルがいる。きっと・・・・・・きっと、帰れる。

 私はこみ上げてきた涙を拭い、ヘンゼルと並んでその場に座った。もぐもぐとパンを食べる。

「グレーテル、綺麗なフクロウがいるよ」

 ヘンゼルに言われて近くの木を見上げると、一羽の真っ白なフクロウが止まっていた。

 よく見ると、翠色の瞳をしている。

「あんな瞳のフクロウなんて、いるんだ。珍しいな」

 初めて見る瞳のフクロウは、見惚れそうなほど美しかった。



「グレーテル、そろそろ起きたほうがいい」

 肩をポンポンと優しく叩かれ、私は目を覚ました。どうやら、眠ってしまったみたいだ。

 空を見上げると、茜色に染まっていた。日がだいぶ傾いている。

 眠る前に見たフクロウは、まだ同じ木に止まっていた。辺りを見つつ、こちらにも視線を配っているように見えた。

 父と継母の姿はない。

「家に戻ろう。パンくずを頼りに歩いていけば、帰れるはずさ」

 私はヘンゼルと手を繋いで、来た道を戻っていく。

 しかし、途中からパンくずが見当たらなくなった。周辺を見回しても全くない。これじゃあ、帰り道がわからない。

「どうして?」

 私が呟くと、ヘンゼルはハッとした。

「まさか、動物達が食べちゃった?」

「そんな・・・・・・。それじゃあ、帰れないの?」

 ヘンゼルは私に力強く言った。

「諦めないで、グレーテル。大丈夫、僕がそばにいる。それに、神様はきっと僕らを守ってくれる」

 ヘンゼルの言葉に応えるように、近くの木から鳴き声が聞こえた。あの白いフクロウだった。

「僕らを追ってきたのかな?」

 白いフクロウはじっとこちらを見つめてきた後、飛び立った。

「あっ、待って!」

「グレーテル!」

 私がフクロウを気になって駆け出すと、ヘンゼルも追いかけてきた。

 フクロウを追っていくと、開けた場所に出た。そこには一軒の小さな家があり、フクロウはその屋根に止まった。

「こんなところに、家?」

 家に近付いていくと、普通のそれとは全く違った。

「これ、チョコレート?」

 家の扉は板チョコの様相をしていた。甘い香りがする。

「こっちはビスケットだ」

 ヘンゼルが家の壁をまじまじと見ている。

「屋根はパンでできているし、扉のそばのベンチはマシュマロだよ」

「お菓子でできた家ってこと?」

「そうなるね。窓は・・・・・・砂糖かな?」

 ヘンゼルは透き通った窓を舐めた。

「うん、やっぱりそうだ。グレーテル、少しだけお菓子をいただいちゃおう」

「えっ、でもいいの?」

「少しくらいなら大丈夫だよ。お腹だって空いているし、こんなチャンスないよ」

 そう言うと、ヘンゼルは壁のビスケットをかじった。

「美味しいよ」

 私は我慢できなくなって、ベンチのマシュマロを一口食べた。口の中が甘くなる。

「私の家を~食べているのは~どなたぁ?」

 家の中から歌声が聞こえた。ヘンゼルがとっさに歌い返した。

「それは~風です~」

 そのまま気にせず食べ続けるヘンゼルを見て、私も屋根のパンをちぎって食べた。

 しばらくすると、チョコレートの扉が開いた。その音に驚いて私達が振り返ると、家から白髪のおばあさんが出てきていた。私達に気付いて目を丸くしている。

「あら、かわいい子供達ね」

「あっ、えっと・・・・・・」

 私達が見つかってしまって口ごもっていると、おばあさんはふわりと微笑んだ。

「お腹が空いていたのね。それなら、中へいらっしゃい。他にも食べ物があるわよ。お菓子ばかりじゃ、飽きてしまうでしょう」

 おばあさんは私達を招いてくれている。私とヘンゼルは顔を見合わせ、家の中へ入った。

 リビングの食卓につくと、おばあさんはミルクやジュースに、リンゴやくるみなど色々な食べ物を運んできた。

「こんなに、いいんですか?」

「いいのよ。まだたくさんあるから、お食べなさい」

「ありがとうございます!」

 優しいおばあさんに甘えて、私とヘンゼルは食べ続けた。こんなにたくさん食べられるなんて、夢のようだった。

「どうして、こんなところに来てしまったんだい?」

 ヘンゼルが頬張っていたリンゴを食べてから喋った。

「帰り道がわからなくなって、歩いていたらここへ来たんです」

「お父さんや、お母さんは?」

「迎えには来なくて・・・・・・先に帰ってしまったみたいです」

「そうなの。もう暗くなるし、ここに泊まっていきなさい」

 想定外の申し出に、私は食べこぼしそうになった。

「夜に森の中を歩くなんて、危ないもの。そうしなさい。ここは私一人で住んでいるから、部屋も余っているし、遠慮しないでいいのよ」

「それなら、ここに泊まらせてもらおうか、グレーテル」

 私は頷いた。

「それじゃあ、寝室に案内するわね」

 私達は食事を終えると、おばあさんに連れ立って、寝室に行った。気持ちよさそうなフカフカのベッドが二つ置かれていた。

「疲れたでしょう。朝、起こしてあげるから、それまでぐっすり眠るといいわ」

「ありがとうございます、おばあさん」

 おばあさんは寝室を出ていった。ヘンゼルと私はベッドへ飛び乗った。

「いつも薄い布団だったから、こんな良いベッドで寝られるなんて、最高だ!」

「お腹いっぱいで満足だし、あのおばあさんが優しい人でよかった」

「ここに来られてなかったら、大変だったな」

「白いフクロウさんのおかげかも」

「そうだね」

 電気を消し、私達はベッドに横たわった。しばらくするとヘンゼルの寝息が聞こえたが、私はこの幸運に目が冴えてしまって、なかなか寝付けなかった。

 ようやくウトウトしかけたとき、寝室の扉が開く音が聞こえた。おばあさんかなと思っていると、ヘンゼルの寝息とは別に、声が聞こえた。

「よく寝ているな。一度に子供が二人も手に入るなんて。こいつは上手い料理になりそうだ」

 私は耳を疑った。間違いなく声はおばあさんだったが、この人は何を言っているんだ?

「さて、今度は私がご馳走になろう。まずは、こっちからにしようか」

 おばあさんがヘンゼルに近付いている気配がした。

 逃げないと、と思ったが、怖くて動けない。

 どうしよう、どうしよう。このままじゃ、私達・・・・・・。

 神様、どうか助けて下さい!

 その時、ドンドンと扉の向こうから音が聞こえた。

「何だ? また子供が迷い込んだか?」

 おばあさんの足音を聞きながら、寝室を出ていくまで私はベッドでじっとしていた。完全に聞こえなくなってから、私は物音を立てないようにゆっくりベッドを出て、寝室の扉に近付いた。静かに扉を少しだけ開けて、息を潜めつつ、様子を伺う。

 おばあさんがチョコレートの扉を開けた。

「・・・・・・どちら様?」

「どうも、夜遅くに申し訳ない」

 そう言って入ってきたのは、黒髪で背の高いお兄さんだった。

 この人も綺麗な翠色の瞳をしている。

「な、何かご用?」

「はい。大切な用があって来ました。本当はもう少し後のはずだったんですが、あなたが物語を無視して動き出したので、こちらも早めに来たんです」

「・・・・・・何の話かしら?」

「あなたが子供を食べようと動き出すのは、翌朝のはずですよ。今はまだ夜中です。子供達を食べられては困るので、早々に返して頂きたい。あの少女に宿る魂を」

 いったい、何のことを言っているのかわからず、話についていけない。

 すると、おばあさんが笑い出した。

「そうか。わざわざ、本の中に入って助けに来たのか。だが、この中はもう私のテリトリー。あの魂は私のものだ。ついでにお前も食らっておこう」

「魔女のために、ですか」

 おばあさんが黙った。お兄さんは涼しい顔で続けた。

「恐怖体験で対象の霊力を奪い、さらに魂を食らう。あなたは魔女に手なずけられた妖だ。物語の中の人物に潜んで、それを実行しようとしているのでしょう」

「なぜ、そこまで気付いて・・・・・・」

「僕はそれを阻止するために来たんですよ。あぁ、でも、この物語の中では、あなたが魔女でしたね」

 おばあさんが後退りした。

「お前、まさか」

「おや、主君の魔女から僕のことを聞いていましたか」

 お兄さんの翠色の瞳がほのかに光った。

 それを見たおばあさんは突如、奇声を発した。そして、白髪と爪が伸び、背中からコウモリのような翼が生えた。

 私は目の前の光景に震えが止まらない。

「あの方の邪魔はさせない。たとえ、お前のような者でも」

 さっきまでのおばあさんの声とは違う、低い声だった。

「そもそも、お前には関係のないことだ。魔女が何をしようが、誰が犠牲になろうが、お前に困ることはないだろう?」

「だからといって、そのままスルーというわけにはいかないですね。私の店を利用して下さるお客からの依頼なので」

 おばあさんは唸ると、お兄さんに飛びかかった。お兄さんは避けたが、おばあさんの身体から出た黒い靄のようなものがお兄さんに向かっていく。

 お兄さんは右の掌をかざした。その途端に視界が翠色の光でいっぱいになり、眩しくて私は顔を背けた。

 叫び声が聞こえて恐る恐る目を開けた。光が収まったようで、再び扉の向こうを覗き見た。

 そこにはお兄さんの姿しかなかった。

 おばあさんはどこへいったの?

 お兄さんがこちらに向かって歩いてくる。私は反射的に扉から離れた。扉が静かに開くと、お兄さんが柔和な笑みを浮かべていた。

「やっぱり、起きていたんだね。もう、おばあさんはいない。食べられる心配はないよ」

「あなたは誰?」

「僕は君を助けに来た」

 お兄さんは私に近付くと、目線を合わせるようにしゃがんだ。

「さぁ、ここを出よう。もう、ここにいる必要はないから」

「それなら、ヘンゼルも起こさないと」

 私が眠っているヘンゼルの元へ行こうとすると、肩に手を置かれた。

「帰るのは君だけだよ」

「えっ?」

「おばあさんはいなくなった。朝になったら、ヘンゼルはグレーテルと共に家へ帰れる。でも、この身体に宿ったままの君は、今のままだと帰れない」

 何を、言っているの?

「僕が君を本当の家に連れていくよ。待っている人がいるはずだ」

 お兄さんが手を差し出してきた。

 私に、不思議と恐怖心はなかった。

「大丈夫。もう、この世界から自由になるときだよ」

 私は首を傾げた。

「・・・・・・お兄さんは、神様なの?」

「当たらずとも遠からずってところかな」

 お兄さんの瞳は優しい翠色の瞳をしている。あの、フクロウのようだ。

 私は自然とお兄さんに手を伸ばしていた。



 外で待機していると、図書館内を翠色の光が包むのを窓から確認した。

「カイル、翠が戻ってきたようだぞ」

 光が収まってからカイルを連れて図書館に入る。二階に上がり、少年の姿の翠を見つけた。傍らにはカイルと同じ種族の少女が横たわっている。

「お帰りなさい、翠さん」

 カイルが声をかけると、翠は振り返った。

「ただいま。特に問題なかったよ。彼女も無事さ」

「ならば、連れて帰ろう。ここも、さっさと出た方がいいんじゃないか」

「じゃあ、オイラが運びますよ」

 カイルが少女を抱えた。私達は階段を下り、出入り口に向かう。

 だが、開け放していた扉が音を立てて閉まった。

「えっ、これって・・・・・・」

「閉じ込められたか?」

「やっぱり、タダでは帰してくれないみたいだ」

 私がため息をつくと、初めて聞く声がした。

「もうお帰りですか?」

 カウンターのそばに、見知らぬ男が立っていた。二本の黒い角に茶色の肌、腰まである長い髪、そして体格が大きく、魔女と同じ紅い瞳。

 こいつが魔人か。

「最低限の用事は済ませたから、一度帰ろうかと思ったんだけど」

「そんな、もったいない。せっかく、あなたが来て下さったんだ。もう少し、この図書館にある物語を楽しんでいって下さい。これだけたくさん集めたからには、やはり読む人がいないと」

「僕達も物語に引きずり込もうと?」

「いえいえ、あの妖はあなたが消滅させてしまいましたから、もうそんなことは起きませんよ。ただ、創造の力を持つあなたが、すでに創造されたこの物語達を新たに書き換えていくのも一興かと」

「あなた達の息のかかった創造物に興味はないよ。僕達を素直にここから出す気がないなら、この図書館ごと、あなたを消滅させなきゃいけなくなる」

「それはご勘弁頂きたい。まだ、我輩はあの方のために出来るだけのことをしたいのですから」

「だが、この図書館の実体を知った以上、今までのようにはいかんぞ」

 私が忠告すると、魔人はフフフと笑った。

「たしかに、ここはもうお開きですね。もっと、霊力を集めたかったのですが、残念です」

 魔人がそう言うと、黒い人型をしたいくつもの影が現れ、私達を取り囲んだ。

「あなた方の霊力を頂けたら、あの方も大変喜ばれると思うのですが」

 影が私達に迫ってくる。私は身構えたが、翠が自身をまとう翠色のオーラを強く放った。

 私は一瞬、目を伏せたが、光が弱まったところで顔を上げた。

 私達は外にいた。

「これは・・・・・・?」

 図書館の中にいたはずなのに、建物も本も一切なくなっていた。あの魔人の姿もない。

 私達の周りを覆うようにしてあったのは、翠の結界だった。

「消したのか、翠」

「いや、影は消して、結界でみんなを守った。あの魔人は建物ごと自ら姿を消したみたいだ。その時、僕らも魔女の元へ連れていくつもりだったんだろうけど、結界でそれは防げたよ」

「なるほど。私とカイルはともかく、奴が翠を連れていくのは無理だろうがな」

「た、助かりました、翠さん」

 カイルは安心したように一息吐いた。

「今は、これ以上のことをしない方がいいからね。せっかく戻ってこられたのに、また彼女を巻き込むわけにはいかない」

 カイルの腕の中の少女は気を失ったままだ。

「今回の本は、魔人が書いたものというわけではないのか?」

「うん。一冊の童話に宿った妖の力によるものだったね」

「そうか。またどこかで、あの魔人と遭遇することになりそうだな」

 翠は結界を消しながら頷いた。

「魔女を追っている限り、いやでも会うことになるね。ひとまず、魔人は去ったから、彼女を家へ送り届けよう」

「そうだな」

「この子の両親も喜びます!」

 私達はカイルの住む町へ向かう。

 この世界も、空が白み始めていた。


                               ー了ー

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