第3話 死神の思惑
翌日、いつもより少し軽くなった体で職場へ向かう。
普段通りに仕事をしながら、昨日の彼の言葉を思い出す。
あんなこと言われたの初めてだったな…。
なんか少しうれしかったな…。思わず笑みがこぼれる。
物思いに耽っていると、咲坂さんに声をかけられた。
「松本さん、呼ばれてますよ」
昨日の余韻に浸っていたせいで、上司に呼ばれていることに気づかなかった。
しまった、と思い、すぐに上司の元へ急ぐ。
「さっきからずっと呼んでるのに、無視をするなんていい態度してるわね。
やっぱり昨日のは気の迷いでもなんでもなさそうね。」
上司が睨んでくる。
「す、すみません。気づかなくて…。」
私は頭を下げ、謝りながら彼の姿を探す。
しかし彼の姿は見当たらなかった。
休憩をしに給湯室へ向うと咲坂さんがいた。
「松本さん、大丈夫ですか?私、手伝いますよ。」
彼女は上司から仕事を押し付けられた私を不憫に思って助けを申し出てくれた。
「あ、大丈夫大丈夫。私が悪いから…。」
そういって、申し出てくれた彼女の手伝いを断り、席へ戻った。
「あ、あれ…?」
席に戻った私は混乱した。そしてひどく焦った。
上司に押し付けられた仕事のデータが見当たらない。
席を立つまでは開いていたのに、それがない。
「え、え、どういうこと…?」とパソコンを弄りまわす。
しかし見当たらない。
「どうしたんですか?」
いつの間にか戻ってきていた咲坂さんが声をかけてくれる。
「さっきまであったデータがなくなってて…」
とつぶやくと、
「なんですって!あのデータは来週の会議で使うやつなのよ!今すぐ入力し直して!」と凄い勢いで上司に責め立てられる。
咲坂さんが再度手伝いを申し出てくれたが、
「昨日からの反抗的な態度がそういう事態を引き起こすのよ。
誰かに手伝ってもらうの禁止。ひとりでやり直しなさい。」
と上司から釘を刺されてしまった。
咲坂さんを巻き込むわけにもいかず、
「一人で大丈夫だから」
と咲坂さんに精いっぱいの笑顔を作ってみせた。
半分程度までデータを入力し直し、へとになりながら帰宅すると、彼の姿があった。
「どこにいたの?すごく大変だったんだから!協力するって言ってたのに!」
と、大変な時にいなかった彼に怒りをぶつける。
「おいおい、何をそんなにわめいているんだ。
協力はするが、実際に行動するのはお前さんだ。
俺様は少しお膳立てしてやるだけさ。
で、なにがあったんだ?なにか楽しそうな匂いがするなぁ!」
「全然楽しくないから!」
目を輝かせている彼に、買ってきた中華料理を突き出し、
「今日はそれ食べて!私はお風呂に入ってもう寝るから!」と叫んだ。
「なんだなんだ、いつもに増して元気だなぁ。それにしても今日も旨そうだ。」
翌日、消えてしまったデータを黙々と入力していると、私はある違和感に気づいた。
「どういうこと‥‥?」
私は他の年のデータも遡って調べてみた。
やっぱり、渡された資料と本来の資料では渡された資料の方が金額が少ない。
これって‥‥まさか横領!?
そ、そんな…まさか‥‥。
私は上司の不正の証拠をつかんでしまったことに、焦り、そして戸惑っていた。
その日は表面上、何事もなかったかのように過ごし、定時で退社した。
はやる気持ちを抑えながら帰路につく。
帰宅すると、まだ彼はの姿はなかった。
カレーを作りながら、上司の不正のことを考える。
「これって事件だよね。え、じゃぁ捕まるってこと?
私が見て見ない振りしたら私も捕まってしまうってこと?ど、どうしよう‥‥」
カレーをかき混ぜながら、ぐるぐると同じことを考える。
「何がどうしようなんだ?」
急に聞こえてきた声に私は驚きの声を上げた。
「う~ん。今日もいい匂いだ。美味しそうだなぁ。」
いつのまにか彼が帰ってきていた。
彼に話すべきかどうか、どうしようか迷っている間にカレーは完成した。
カレーを頬張っている彼に、昨日と今日起きたことを話した。
「なんだ、あいつそんなことをしていたのか。魂の輝きがあんまり良くなかったもんなぁ。でも、やっぱり俺様のおかげだな。」
得意げな顔をして彼は言う。
「なにがおかげなの?昨日も今日も職場にいなかったじゃない。」
協力はどこに行ったんだと憤慨している私をよそに、
「ほら、データが消えたって言ってたろう?あれは俺様がやったんだ。
仕事そのものがなくなればいいと思ってな!」
と楽しそうに話してくる彼に、私は呆れて怒る気も失せていた。
「それで?何に悩んでいるんだ?」
と不思議そうに聞いてくる彼に
「不正を見つけてしまったから、それをどうしようかと思って…」
と不正を見つけてしまったことへの戸惑いを話す。
「そんなもの、あいつの不正の証拠をばらまく!それ以外にないだろう!」
と彼は身を乗り出してくる。
「そうなんだけど…いいのかな…」
「何を迷うことがあるんだ?なんだ?お前さん、その情報であいつをゆする気でもいるのか?」
と今度は私の目を覗き込んでくる。
「そ、そんなことはしない!けど、これで彼女の人生が終わってしまうと思うと…」
そう、告発してしまえば上司は確実に懲戒免職になる。
それどころか逮捕の可能性だってあるのだ。私はそれが怖かった。
「隠すなら、お前さんもあいつと一緒だ。いいじゃないか。
嫌な奴だったし、魂の輝きも良くない。
お前さんが告発することは会社にとってはプラスに働くんだ。
今じゃないか。お前さんが変わるときは!これは強烈なきっかけだ!
正しいことをして、今までの自分から脱却しろ!」
彼は両手を広げ、まっすぐ私を見ながら大げさな態度で演説した。
しかし、その演説が効いたのか、私は告発する勇気が出てきた。
私の表情が変わったのを見た彼は、
「いいじゃないか、楽しくなってきたなぁ!」
と喜んでいる。
無邪気に喜ぶ彼を見て、なんだか私もうれしくなった。
翌朝、私は上司の証拠を携え、監査室の前に来ていた。
監査室にはあらかじめ連絡を入れておいた。
緊張する私をよそに、彼は隣で
「わくわくするなぁ」
と楽しそうだ。
監査室を目の前にし、また迷いだす私に、
「おいおい、昨日言っただろう。これはチャンスだ。
自分を変えるチャンスだ。変わりたいんだろう。
大丈夫だ、お前さんは正しい。この俺様が言ってるんだ。信じろ。」
珍しく真剣な顔をして言ってくる。
言葉に背中を押され、私は目の前のドアを開いた。
その後のことはあまり覚えていない。
とにかく緊張し、胸の鼓動がうるさいくらいに響いていた。
昼からは、体調不良として早退させてもらった。
昨日のカレーに買ってきたカツを乗せてカツカレーにしている彼を見ながら、私はつぶやいた。
「これでよかったんだよね。私は正しいことをしたんだよね。」
彼は口に運ぼうとしていたカツを一度置き、
「そうだ。お前さんはよくやった。正しいことをした。
その証拠に、お前さんの魂の輝きがきれいになってきているぜ!」
と彼は綺麗な笑顔で答えてくれた。
翌日、職場に行ってみると上司が懲戒免職になったことが告げられた。
その日は監査の人が上司の机のものを段ボールにつめて持って行ったりしていて、せわしない日になった。
給湯室に行くと同僚たちが集まって話をしていた。
私はお邪魔と思い、その場を去ろうとするも、
「松本さん、何か知ってる?」と同僚に話しかけられた。
一瞬ドキッとしたが、
「い、いや何も‥」
と平常心を装って答えることができた。
今の受け答え、変じゃなかっただろうか…と思っていた時、
「でも松本さんってなんか雰囲気変わりましたよね。上司に反抗した時ぐらいから。」
と咲坂さんんが言った。
その発言に、皆が同調し、
「それ私も思った。というか、あの反抗、ナイスって思ってたんだよね~」
と口々に話し出した。私は照れ臭く思ったが、給湯室で和やかに話せていることがうれしかった。
その後の咲坂さんの提案で、みんなで夕食に行くことになった。
その日の夕食会はとても楽しかった。
上司の愚痴や、同僚の彼氏のこと、ペットのことなど他愛のない話で盛り上がった。
そして驚いたことに、咲坂さんも私と同じアイドルグループが好きだと知った。
大人になってから、初めて楽しいと思える空間だった。
同僚たちと別れ、心地よい酔いとともにふわふわとした足取りで帰宅した。
帰宅すると、彼がいた。
お土産のクッキーを受け取りながら、
「なんだか楽しそうだな~」
とニコニコして話しかけてくれる。
「すごく楽しかった。私の話を聞いてくれるし、誰も私を馬鹿にしたりしない。
私は今まで何を怖がっていたんだろう。」
少し酔っぱらっているのか、力の入らない話方になってしまった。
「それにね、咲坂さんも同じアイドルグループが好きみたいでね、びっくりした。
今日は恥ずかしくて言えなかったんだけど…。
明日思い切って私も同じアイドルグループが好きなんだって言ってみようと思う。」
とクッキーを食べている彼に身を乗り出しながら言った。
「いいじゃねぇか。初めに会った時とは大違いだ。
楽しいことがたくさんある。それでこそ魂は輝くんだ。」
彼が楽しそうに語る姿を私はどこか夢うつつで聞いていた。
「これだから止められない!!
人間が変わっていく様っていうのはどうにも堪らなく好きだ。
いいもの見せてもらった!」
そういう彼は、今まで見た中で一番優しい表情をしていた。
「俺様は約束通り楽しませてもらった。残りの人生、これからも魂を磨いていってくれ。」
そう聞いたのを最後に、私は心地よい眠りについた。
翌朝目が覚めると、そこには彼の姿がなかった。
姿がないことに少し寂しさを覚えた自分に驚きを覚えつつ、私は家を出た。
職場に着くと、先に来ていた同僚が笑顔で挨拶をしてくれた。
明らかに今までの環境と違う心地に少し照れ臭くなる。
昼休みは食堂に行き、同僚とご飯を食べた。
一人で食べなかったのは入職してから初めてだった。
同僚がトイレに席を立つと、私と咲坂さんの2人になった。
私は、今がチャンスだと思い、思い切って私も同じアイドルグループが好きなことを告げた。
咲坂さんは驚き、
「えー!知らなかった!もっと早く言ってくださいよぉ!」
ととびっきりの笑顔で答えてくれた。
それから私たちは休憩の度に推しの話をするようになった。
休日も予定を合わせて推しのコンサート映像をみたりした。
そして、もちろんコンサートも一緒にいく約束をした。
初めころは、彼の姿を探すことも多かったが、この頃にはもう、彼のことはほとんど忘れていた。
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