第2話 レベル上げ厨、不人気ダンジョンに挑む
「――ここが新宿ダンジョンか」
3月18日。
18歳の誕生日の翌日、俺は新宿駅構内に発生した新宿ダンジョンへやって来ていた。
ダンジョンゲートを入ってすぐに見える、黒のオベリスクと魔法陣、それから情報通りに「遺跡タイプ」のダンジョンであることを確認し、一つ頷く。
ダンジョンだ。
ここがダンジョンだ……っ!!
ダンジョンが出現してから、一日千秋の想いで今日という日を待ちわびてきた。
「長かった……!!」
長かったぞ、本当に……!!
高校時代はバイト漬けの日々だった。それに加えて探索者となった時のため、自分自身を鍛えることにも余念がなかった。
体力練成のために毎日走り込んだし、家の狭い庭で木刀を毎日素振りした。バイトのし過ぎで高校留年の危機にも陥った。一人だけ進学も就職もしない俺にクラスメイトたちが向ける白い目にも耐え、だが、俺は何とか無事に高校を卒業することができたのだ……!!
そして卒業式の翌日、俺はさっそく探索者資格を取得するため2週間の講習に申し込み、それから誕生日当日、探索者資格試験に見事合格することができた。
今日から俺のレベル上げライフが始まる。
事前の情報収集も、効率的なレベル上げのためのチャート設計も完璧だ。
「バイトして貯めた金で買った装備も万全……!!」
俺はざっと自分の体を見下ろす。
今日のためにモンスター革製の胸当てに鋼鉄製のロングソードも購入した。靴は鉄板入りの安全靴で、背中には登山用の大容量リュックサックを背負っている。そして頭にはカメラを内蔵したヘルメットを装着。
初心者探索者としては、十分に整った装備と言えるだろう。
ちなみにカメラ付きのヘルメットを被っている理由としては、それが「義務化」されているからだ。
というのも、ダンジョン内部では人の死体や人工物は長時間残ることなく、一定時間が経つとダンジョンに吸収されて消えてしまう。
すなわち、ダンジョン内には監視カメラの類いを設置することもできず、殺人事件などがあっても死体と共に証拠が消えてしまうのだ。
その環境は事実上の治外法権に等しい。
このような環境で何が起こるかなど、火を見るより明らか。
そこで政府――というか世界探索者機構(WEO:world explorer’s organization)は、全探索者のダンジョン内活動の撮影義務化を提案した。
カメラで撮影した動画はリアルタイムで探索者協会の用意したサイト「ダンジョンチューブ」にアップロードされ、何か事件・事故が起こった際には、この動画データが重要な証拠として参照される。
要はドライブレコーダーみたいな物で、これ自体が探索者同士のトラブルの抑止力になるのだ。
その他、ダンジョン内で遭難した場合や怪我をして救助を求める場合にも、探索者の位置情報を割り出すことなどに活用されている。
ちなみに撮影した動画は、任意で公開非公開を選択することができる。
探索者としては自分の手の内を協会側だけでなく、広く視聴者にも把握されるデメリットがあるが、「とある理由」から、自分の探索活動をダンジョンチューブで公開している探索者は多い。
それだけでなく、結構な高確率で流血動画となるダンジョンチューブは18禁のサイトとなっているため、全年齢版に編集した動画を別のサイトでも公開している者もいた。
このメリットについては、後で説明しよう。
俺は非公開組なので、特に気にすることはないけどな。
「行くか……!」
とにもかくにも、俺は意気揚々と新宿ダンジョン第一層を進んでいく。
新宿ダンジョン第一層は石造りの遺跡型構造で、壁面には四角い穴が等間隔に開いており、その中ではダンジョン構造物の蝋燭が、時間経過で消えることなく明かりを灯している。
所詮は蝋燭の明かりだから薄暗いが、等間隔で幾つも灯っているので、視界に困ることはない。
コツコツと遺跡内部に足音が反響する。
地下というのが影響しているのか、内部は肌寒い。
遺跡というよりは地下墓地とでも呼びたくなる感じの通路を進んでいくと、入り口付近には大勢いた探索者たちの姿が見えなくなってくる。
「評判通り、空いてるな」
これが、俺が新宿ダンジョンにやってきた理由だ。
有り体に言えば、新宿ダンジョンは「不人気ダンジョン」なのだ。
世界中に現れたダンジョンの一層では、必ずスライムともう一種類のモンスターが出現するようになっている。
このスライム以外に出現するモンスターの種類によって、ダンジョンの人気が決まっていると言っても過言ではない。
無機物系や虫系のモンスターが出現するダンジョンは、比較的人気が高い。次点で動物系のダンジョンだろうか。
逆に人型モンスターが出現するダンジョンは、人気がない。
というのも、探索者成り立ての人間が戦うのに、人型モンスターは心理的ハードルが高いのが理由だった。
考えてもみてほしい。
高度に分業化された社会において、生物の殺害という行為に耐性を持つ人間は稀だ。虫や魚はともかく、小動物となるともう殺せないという人が大半なのではないだろうか。
そして小動物どころか、人型の生物が相手となれば、その本能的忌避感は相当なものになるだろう。
虫系のモンスターは生理的に無理という人もいるだろうが、殺すことに罪悪感や忌避感は、それほど抱かずに済むだろう。しかし、動物型や人型モンスターは殺すこと自体に大きな忌避感が付きまとう。
つまりどういうことかと言うと、無機物系や虫系モンスターが出現するダンジョンは人気すぎて混雑しており、第一層だとモンスターを探すだけで苦労するのだった。
逆に人気のない動物、人型系モンスターが出現するダンジョンでは、第一層でもモンスターを探すのに苦労することはない。
新宿駅内という、アクセスが非常に良い立地にありながらも、新宿ダンジョンの人気がない理由が、まさにそれなのでる。
ここに出現するのは「ゴブリン」だからね。
しかし、人気がない方がモンスターとのエンカウント率が高く、レベル上げには適している。だから俺はここに来た。
まあ、下の階層まで潜れるようになれば、エンカウント率という点では何処のダンジョンでも変わらなくなるのだが……初心者の間は新宿ダンジョンに通うことになるだろう。
――と。
「第一ゴブリン発見……!!」
つらつらと考えながら歩いていると、薄暗い通路の先、およそ20メートルくらいの場所に動く存在を発見した。
目をすがめて注視してみれば、小学校低学年くらいの身長の人影があった。とはいえ、それは人間ではない。
横に長く大きな耳と、鷲鼻に乱杭歯、満面に殺意を湛えた醜悪な顔。腰に動物の皮らしき物を巻き付けただけのほとんど裸体は、緑と茶色を混ぜたような体色をしている。右手には木製の粗末なこん棒を握っていた。
「……っ!!」
俺は腰に提げていた長剣を鞘から引き抜く。
――ゴブリン。
ゲームや多くのファンタジーフィクションでは、雑魚敵として名高いモンスターだ。しかし、この現実のダンジョンでは違う。
ゴブリンは強敵だ。
確かに第一層に出現するゴブリンは特殊なスキルを持たず、身体能力も動きは素早いが、筋力はそれほどでもない。
ステータス的に見れば、成人した大人ならば一つもレベルが上がっていなくとも、武器を持っていれば問題なく倒せる程度でしかない。
だが、ゴブリンたちは「本気」でこちらを殺そうとしてくるのだ。
少々の怪我やダメージでは怯まないし、こん棒の攻撃を防いだとしても、爪で目を裂こうとしてきたり、隙あらば頸動脈を噛み切ろうとしてくる。
あの矮躯に反して、奴らは人間を殺すのに十分な戦闘能力を持っている。
実際、ダンジョンが探索者たちに開放されてから、ゴブリンによって殺された人たちは決して少なくないのだ。
それに何より問題となるのが――。
「グギャァアアアアアアアアアアッッ!!!」
「……っ!!」
ゴブリンがこちらに気づいた。
明確な殺意の籠った雄叫び。直後、見た目にそぐわない、野生の猿のごとき俊敏さで、ゴブリンが距離を詰めて来る。
俺は剣を構えながらも、手のひらが冷や汗で濡れるのを感じていた。
――敵を絶対に殺すという覚悟の有無。
――敵を殺す時の躊躇いと容赦の無さ。
日々を安全に過ごす現代人が失ってしまった、野生で過ごすための心持ち。その違いが、僅かな身体能力の差など容易く覆して、ゴブリンに勝利を与えてしまう。ゴブリンに殺された多くの人たちがそうだったように。
――あと10メートル。
――5メートル。
あっという間に距離が近づき、もはや逃げられる段階は過ぎた。それでも心には迷いが――いや、不安があった。
恐ろしいほどの殺意を持って襲いかかって来るとはいえ、ゴブリンの見た目は猿やチンパンジーやゴリラ以上に、人間と近しい。
そんな生物を殺せるのか?
この先、探索者として活動していけるのか、その第一の分水嶺がここだった。
――やれるのか、俺に?
講習の時に一度だけスライムを倒した経験はある。しかし、一見して生き物にさえ見えないスライムとゴブリンでは大違いだ。それにゴブリンの方が強い。
俺はサイコパスでもなければ殺しに快楽を覚えるような異常者でもない。極々普通の何処にでもいる、命を懸けてでもリアルでレベル上げをしたいだけの一般人だ。
そんな俺に――――いや、もはや考える時間もなかった。
「ガァアアアアアアアアッッ!!」
彼我の距離2メートル。恐ろしい形相で叫びながら、ゴブリンがこん棒を振りかぶって跳躍した。
俺は震える両手で剣を振りかぶり――
「――ふんんんんんんんッッッ!!!!!」
思いっきり、全身全霊の力で、長剣をゴブリンの脳天に叩きつけた。
「ゴギャッ!!?」
「ふんっふんっふんんんんんッッッ!!!!!」
振り下ろす振り下ろす振り下ろす。
「経験値っ経験値っ経験値ぃいいいいいッッッ!!!!!」
殺しに対する忌避感も罪悪感も躊躇いも、全てを振り切るように一心不乱に剣を叩きつける。
無我夢中だった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
いったい何度剣を叩きつけたのかも分からない。気がつくと地面に倒れたゴブリンはどす黒い血を飛び散らせ、びくんっびくんっと、ちょっとお見せできない姿になって痙攣していた。
完全に死んでいる。
その死体が、飛び散った血も含めて光の粒子となって消えていく。後には親指ほどの小さな結晶体だけが残っていた。
魔石。
モンスターを倒すと必ずドロップするアイテムだ。
俺はそれを拾い上げてリュックサックに仕舞いつつ、ふぅっと息を吐いて安堵するように笑った。
「何だこんなもんか。ネットで散々脅し文句見てたから不安だったが、緊張して損したぜ」
やっぱりどう考えても、ゴブリンを殺す忌避感よりも現実で「経験値」を得ているという快感の方が勝っているだろ常識的に考えて。
ゴブリンだって「見せられないよ!」な死体が残るわけでもなく、ゲームのように消えるんだから大したことはない。
むしろゴブリン一匹殺すごとに俺のレベルアップが確実に近づいていると思うと、爽快感すらあるね。
「経験値っ♪ 経験値~っ♪」
俺は新たな経験値を求めて、スキップ混じりにダンジョンの奥へ向かって進み始めた。
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