第30話 遂に君と同じところに立つ。

 前半から荒っぽい動きをしていた敵の10番が、宮本先輩がジャンプしてボールをキャッチしようとしたところへ、強引にヘディングをしようと突っ込んできたのだった。

 当然、二人は激しく衝突して倒れ込んだ。

 宮本先輩はボールを抱え込んで離さなかったが、敵10番の勢いでゴールポストとぶつかってしまった。


 ゴンっという激しい音がした。


「宮本!!!」

 DFディフェンダーの先輩が倒れたままの宮本先輩に駆け寄る。

 敵10番はその近くで四つん這いになって頭を振っており、その10番にも敵側の選手が駆け寄っていた。

 ゴール前に人が集まってくる。

「動かさないで!頭を打ってる」

 誰かの尖った声が上がった。

 宮本先輩はゴールの前で横向きになってボールを抱えたまま動かない。

 会場が騒然とした。

 応援席では林先輩が両手で口を覆って立ち上がっている。


 担架がゴール前に運ばれた。

 ピンと張られた糸が、切れる寸前まで引っ張られているような、そんな雰囲気だった。


「……ぅ…」

 小さな呻き声がして、宮本先輩が右手をゆっくりと上げた。意識が戻ったらしい。

「宮本!いいから、動かないで!!」

 原先輩の叫び声がした。

 先輩たちが丁寧にゆっくりゆっくりと、宮本先輩を担架に乗せる。

 その担架もゆっくりと立ち上がり、そろりそろりと動く。

 ピッチから出たところで、監督の大久保先生が駆け寄り、担架の動きに合わせるように動きながら宮本先輩に声を掛ける。ベンチにいたメンバーも先生の後ろから担架に近寄る。

「宮本?」

 担架の上で、宮本先輩が閉じていた目を薄く開ける。

「…まだ…やれ……」

 そう言いながら宮本先輩の目がわたしを捕らえた。


 薄く薄くその口角が上がった。

 頼むね、と唇が動く。

 頷くしかなかった。


 まさかの事態だった。

 一つのチームで2試合連続でキーパーが退場するなんて、普通はあり得ない。

 でも、今、目の前で、そんなあり得ないことが起きてしまっていた。


「長谷川!」

 大久保先生が涼を振り返る。

「行くよ!」

「はいっ!!」


 わたしが出るしかなかった。


 そのために、この朱色のユニフォームを着たのだ。

 ただの林先輩の代わりのお飾りとして、ここにいるわけではない。


 髪をぎゅっときつくしばり直す。

 スパイクの靴紐を確認してから、グローブを付けた。

 この1ヶ月で、ボールのキャッチとパンチングを繰り返して、グローブは柔らかくなって、わたしの手に馴染んだ。それは、宮本先輩と林先輩のお陰だ。


 ニシザーとゴトゥーが準備を終えたわたしに駆け寄ってきた。

「ハセガー」

 ニシザーの大きな目がわたしを見詰める。ゴトゥーもだ。

 ふーーっと長い息を吐いた。

 それから、グローブで一回り二回り大きくなった右の拳をニシザーに向けてゆっくりパンチをするように差し出す。

 その拳にニシザーが、左の拳の小指側を当てた。続いて、ゴトゥーが自分の左拳をぶつけた。それに気付いた、近くにいた先輩たちもわたしの拳に拳をぶつける。

「みんな、ハセガーを守る。だからハセガー、できるだけでいい。ゴールを」

「守る!」

 ニシザーの言葉を遮って、大きな声で守ると言って、ゴールの前に立った。

 ぴょんぴょんと軽く両足でジャンプし、それから膝を高く上げて、胸に当てるように数回ジャンプした。緊張して固くなった体をほぐす。

 敵の10番は、レッドカードが出されて退場になった。だから、敵チームは一人減って10人になり、人数的には自分達の方が有利になった。

 だからと言って必ず勝てるわけではない。

 実力が拮抗しているチーム同士の試合では、一人少なくても接戦になるし、下手をすれば10人の方が11人の方を圧倒することすらある。


 ゴールキック、わたしがボールを蹴って試合が再開される。

 DFの先輩が、手を挙げた。

「ハセガー、無理しなくていい、私に回して」

「はい!」

 ようやくできるようになった足の内側にボールを当てるという蹴り方で、ボールをその先輩にパスする。

「おっけ」

 ボールを受けて先輩が走り出した。みんなが敵ゴールを見て、その方向に向かっていく。

 わたしは、そのみんなの背中を見る。


 ピッチが広い。


 一瞬、背中が冷たくなって、ぶるっと震えた。

 武者震いだった。


 わたしたちのチームは、1点と、新米GK《ゴールキーパー》とを守る作戦を取る。残り時間は15分弱。無理に攻め上がらず、ゆっくりとボールを回すようにしながら、敵の隙をうかがう。とにかく、敵にボールを渡さないのが第一。敵は焦らされながらも、ボールを追ってくる。

 ボールがピッチから転がり出てしまい、サイドから敵がボールを投げ入れる。それが、巧くつながってしまい、敵が一斉にわたしの立つゴールに迫ってきた。


 来る


 足の指の付け根に体重を掛けるように立った。

 

 飛び出すか

 このままゴール近くに立って守るか

 ボールを持っている選手

 右から来る選手

 左から来る選手

 横にパスを出すのか

 自分で突っ込んでくるのか

 DFの先輩たちは、どう動いて防いでくれるのか

 多くの情報が、視覚を通して、脳に絡まりながら飛び込んでくる。その情報から、ボールががどう転がってくるのか、予測を立てる。


 予測する


 予測する


 予測する


 ボールが動く度に予測が変更される。

 わたしの脳がフル稼働する。


 刹那

 敵のFWフォワードが蹴ったボールがわたしの真正面に飛んできた。

 がっちりと腕で抱え込み、ボールが腕から転がり落ちないように、そのまま前傾して膝を着いて倒れ込む。ボールは腕の中だ。

 DFの先輩が背中を叩く。

「ナイスキャッチ、ハセガー。ごめん、防げなかった」

「大丈夫です」

 ボールを置いて、ゆっくりと立ち上がった。


「シュート打たせんなっ!!」

 ペナルティーエリア近くまで戻ってきていたニシザーが吠えた。

 その声にわたしも先輩たちも顔を上げてニシザーを見た。。

 ニシザーは、それをDFの先輩たちに言ったわけではなかった。

 拳を握って、下を向いていた。


 ニシザーは自分自身を叱咤していた。

 わたしのために。


 きっと睨むようにニシザーはわたしを見た。

 唇が、ご め ん と動く。


 謝らないでいい。

 ちゃんと守る

 守るから


 そう言う代わりに、ボールを一回二回と地面に打ち付ける。


「行くよー!!!」

 腹から声を出して、ボールを置いた。

 ゴールキックの蹴り方。

 宮本先輩と林先輩がちゃんと教えてくれた。

 だから、蹴れる。




 わたしの蹴ったボールが青空に突き刺さった。




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