第31話 永遠の15分の果てに君が微笑む。

 長い


 長い


 15分が過ぎた。



 ホイッスルがようやく高く鳴り響いて、審判が腕を高く上げた。

 約15分間、ゴールネットをボールで揺らさずに済んだ。

 1ー0の0点を守り切ったのだ。宮本先輩が守ったものを守ることができた。


 何回か、敵が攻め込んでくるシーンはあった。DFディフェンダーの先輩やニシザーが蹴散らしてくれたので、結局、シュートは1本しかなかったけれど、コーナーキックになったときはどうなるかと心底焦った。コーナーからは高いボールが上がったので思いきりジャンプして捕った。フワッと上がる高いボールを手だけでキャッチするのは比較的得意だ。

 ボールをキャッチしたのは、1本目の真正面からのシュートとコーナーキック、その2回だった。

 2回で済んだ。


 それでも、緊張の糸がぶっつりと切れてしまい、ゴールネットの前でがっくりと膝を落とした。それからへなへなと両手を前に着いた。肘が体重を支え切れなくて、崩れる。

 膝が砕け、膝を曲げたまま、半端な姿勢で地面に伏せて、腕に額を乗せた。土下座してそのまま崩れて額を着けたような姿勢だ。鼻先を芝生がくすぐり、草の匂いのする空気を思いきり吸い込んで、それをゆっくりと吐いた。

 そこでようやく、初めて、自分がどんなに怖かったのかを感じ取った。足と腕のがくがくとした震えが始まった。もう試合は終わったというのに、体はまだ怖くて仕方がないらしい。

「ハセガー」「よくやった」「頑張ったね」

 ゴール前にいたDFディフェンダーの先輩たちが、背中を優しく叩いたり、さすったりしながら、労わるように声を掛けてくれた。その優しい声に安心して上半身を起こした。満面の笑顔の先輩たちに囲まれていることに気付く。

 その先輩たちの中に割り込むようにニシザーが飛び込んで来た。

「ハセガーああ」

 わたしの頭をニシザーががしっと抱き抱えた。

「わぷ」

 変な声が出た。

「頑張ったね、頑張ったね、ハセガー」

「うん、頑張ったよ、わたし」

 ニシザーの背中に手を回し、ユニフォームの布地を掴もうとして、グローブを着けた手ではニシザーの背中の布地を掴めず、ずるっと滑り落ちて腰のところにひっかかった。ニシザーの胸にちょっとだけ頭を預けると、汗の匂いがして、なぜか、その匂いに安心して、手足の震えは静まり始めた。

 それから、ゴトゥーがちょこちょこっと近付いてきて、わたしと視線の高さに合わせるようにしゃがみこんだ。

「ハセガー、ごめんね。ハセガーを少しでも楽にしたくて、追加点入れたかったけど、できなかったよ」

 ゴトゥーに神妙な顔で謝られてびっくりする。

 そのゴトゥーの頭を上からぎゅっと押さえながら主将の原先輩がわたしの前に立った。

「よく頑張ったね、ありがとね、ハセガー」

 あと、お前焦って空回りしすぎ、っと原先輩がごんっとゴトゥーの頭にゲンコツを落として、ぎゃんっとゴトゥーが鳴いた。そんな、いつもの雰囲気に空気が和らぐ。


 でも、ニシザーがわたしを離してくれない。

「ニシザー?」

「あ、ごめん…」

 名前を呼ぶと、ようやくニシザーが離れた。その表情は見たことがなかった。



____



 一回、全員で学校に戻って片付けとミーティングをした。

 そこに病院から宮本先輩が戻って来て、軽い脳震盪を起こしたけれど、特に問題はなさそうであること、たんこぶができてしまい、触ると痛いことを笑いながら報告してくれた。そんな様子を見て、みんなようやく安心した。

 一人、前の試合で足を負傷していた林先輩だけは宮本先輩の前で泣き出してしまった。宮本先輩をチームで一番案じていたのは林先輩だったようだった。

 そこでようやく、チーム悲願のベスト4に入れたことを率直に喜べる雰囲気になった。これで秋からの選手権の県予選はシードされて決勝トーナメントに確実に出場できる。

 そして、来週の日曜日は準決勝。

 もし勝てば、再来週は決勝。

 つまり、あと2回、勝つことができれば全国大会につながる地区エリアトーナメントに出ることになる。

 初めて全国大会が近付いた。

 全員が、じわっと心地良い緊張感に包まれていたと思う。



____



 帰りのバス。

 一番後ろの広い座席にニシザー並んで座った。ニシザーが少し元気がなくて心配になる。

「どうかしたの?ニシザー」

「……負けたら、ハセガーがサッカー部やめちゃうんじゃないかって思うと、怖かったん」

 ニシザーが呟くように言った。

 そして、手を伸ばしてわたしの手を取った。

 え?


「私が、ハセガーをサッカー部に入れちゃったのに。たまたま今日は、勝てたからいいけど、キーパーって負けると一番自分の責任みたいに感じる、しんどいポジションだってこと、私、忘れてた。もちろん、今日、負けたとしても、それがハセガーの責任だなんて誰も思わないけど」

「ニシザー」

「ハセガーがサッカーで嫌な気持ちになったら、それは、私が悪いん」

「違うよ、ニシザー」

 ニシザーの手をキュッと握り返して言葉を遮る。

「わたし、自分でサッカーやるって決めたから、今日、負けていたら、きっと滅茶苦茶きつかったと思うけど、そりゃあ自分のせいだって思って落ち込んだと思うけど、ニシザーは絶対に何にも悪くないよ」

 ニシザーの顔を覗き込むようにして目を合わせる。

「……どっちかっていうと、ありがとう」

 軽く頭を下げた。お礼を言われたニシザーはきょとんとした顔になった。

「試合の、なんだっけ、こうよ……かん?」

「高揚感?」

「そう、それ。バスケ辞めて、もうそういうの感じられないと思ってたから」

 わたしは前を向き、バスの背もたれに背中をどんっと打ち付けるように寄りかかり、天井を見上げた。

「あの、緊張した感じ、お腹から持ち上がってくる熱い感じ。わたし、試合が好きなんだなあ、って今日改めて思った」

 背もたれに頭を押し付けたまま、横目でニシザーを見ると、ニシザーもわたしを見ていた。

 

 あ

 その顔、撮っておきたい


 頭の中をそんな気持ちが横切っていく。

「ありがとう、ニシザー。今日、すごく怖かったけど、勝ったから言えるけど」

 目を閉じた。


「楽しかった」


「うん……!」


 目を開けると、わたしの大好きな三日月の目のニシザーがいた。

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