第22話 嫌われているのが分かるから嫌だった

「ちゅぉっとストップ」

 ニシザーが両手をエックスの形にして大声を出した。

「ごめん、刺激強い」

 ニシザーは真っ赤に煮え上がった顔を隠すように、交差させた自分の両手で目を多い、さらに、そのまま頭を抱えて縮こまってしまったので、腕で頭部全体が隠れてしまった。

「なんだよ、ちゅぉっとって」

 話してるわたしよりも聞いているニシザーの方が随分と恥ずかしそうで、なんだかおかしかった。

「…ニシザー、あれはさ、本当に気持ちいいよ」

「わあああ」

「体がそういう風にできているから、仕方ないんだ」


「でも、心は違う」



 _____



 セックスはその人たちによって、それぞれに意味があるだろう。わたしは、みどりが好きだから、翠が自分にしようとすることを受け入れた。そうしたら、もっと翠が自分のことを好きになってくれると思っていた。

 翠に服を脱がされて、翠がに触る。

「大人っぽくなったと思ってたけど、違うね。手触りが子供だ」

 翠のその言葉は、今思えば、わたし以外のわたしより年上の誰かと翠がそういうことをしていたという意味だったけれど、頭が恥ずかしさでいっぱいだったその時のわたしには分からなかった。

「肌がすべすべ…。でも、固い」

 翠は、そう言いながら、わたしの胸をまさぐる。それから、その手が下に下がっていく。お腹から腰へ、その下へ。

 翠の手が自分のからだの中から、自分の知らない感覚を呼び覚ましていた。からだが感じてしまう気持ち良さが恐ろしかった。ずっと怖くて震えていた。震えるのも、びくつくのも、自分のからだなのに自分では全然コントロールできなかった。


すず、声、声を出して。声を聞かせて」

 喉が詰まって、息しか出ない。

「どうして?声出さないの、涼?」

 翠に問い詰められる。

「どうして泣いてるの?嫌なの?」

 わたしは首を振ることしかできなかった。




 _____




 さすがに思い出していること全て事細かに話すことはできない。ニシザーは、じっとわたしを見ている。頬はまだ赤いけれど、その大きな目はわたしのことを案じているのが分かった。


「言えなかった。翠に嫌われているのが分かるから嫌だったって」



 _____



「ねえ、ハセガー、そういうので、嫌われてるとかって分かるもん?」

 ニシザーの好奇心からの疑問はもっともだ。

「うーん。他の人とは、したことないから分かんないけど、何だか、そんな風に感じてた」

 二人で首を傾げる。

「まあ、実際、後で本当に嫌われてたって分かっちゃったから、余計にそう思ってるだけかも」

「ハセガー……」

 ニシザーは体を起こしてわたしを見た。



 _____



「涼は変わらないんだね」

 ベッドの上で翠が言った。

 翠が言う「変わらない」は、バスケをしているときとか、ふだんのわたしが表面上は何もないかのように振る舞っていることだろう。

 翠はそう言うけど、わたしと翠との関係は大きく変わった。

 2年生の終わりから始まって、何回したのか回数は覚えてない。翠が「したい」と言えば、わたしは翠に付いていき、言われるままに体を任せて、言われるままに体を動かした。声を出さないことに翠が腹を立てることがあったけど、出ないものは出なかった。

 どうしても、喉が詰まって、枯れたような息を吐くことしか。


 中学校最後の夏が近付いてくるにつれ、バカなわたしでも分かっていた。

 わたしのなりたかった翠は、もういなくなってしまった。

 わたしのことが嫌いなくせに、わたしのからだを好きに弄っている、このきれいな女の人は、翠であって翠じゃない。でも、これを断ってしまったら、完全に自分から翠がいなくなってしまう。

 翠とこうしていても怖いし、しなかったら翠が消えてしまいそうで怖い。

 だから嫌で仕方ないのに、抱かれると反応してしまう自分のからだも怖かった。


 翠は、大学生になっても、毎週1回は中等部にコーチに来てくれていたけれど、わたしは自分から翠に話し掛けることはなくなっていた。どうせ話し掛けても何も教えてはくれないし、それに、何かが壊れてしまいそうで、翠の名を呼ぶにも勇気が必要だったから。

 そんな風に3年になったわたしは、知らず、翠の後を追わない、長谷川涼の、自分だけのバスケットボールをしていた。翠のことを考えないで、ただボールを手に取り、運び、渡し、またもらって、シュートする。ひたすらそれを繰り返す。

 監督からは、肉が削げ落ちたな、と言われた。前よりシンプルになったっていう意味らしい。

 なんだ、そりゃって、笑うしかなかった。

 ずっと翠のようになりたい、そう思って走っていたわたしは、目標を失くして、何のためにバスケをやっているのか、よく分からなくなってもいて、それを考えたくなくて無心にボールを触っていただけだったのに。

 皮肉なことに、そんなわたしを絶好調だと周りは見ていた上、仲間も翠のコーチで上達していたこともあり、長谷川涼率いる陽湘大付属中等部は全国大会優勝の筆頭候補とまで言われてしまっていた。


 だから、県大会は余裕で勝ち抜けると思っていた。


 ところが、大会が始まって、レギュラーのうちの何人かが、いきなり調子を崩した。

 あきらかにメンタル面で。

 ぼんやりしていたり、情緒不安定で気分が一定していなかったり。とにかくバスケに集中できなくなっていた。

 地区大会レベルでは、それはどうってことなかったけれど、県大会が始まる頃には明らかに影響し始め、1回戦から苦戦が続いて、ギリギリなんとか準決勝にたどり着いた。



 _____



「ハセガー。私、嫌なこと思い付いちゃったんだけど」

 ニシザーが珍しく口を挟んだ。

「ニシザーは勘がいいの?」

「いや、勘がいいか知らんし。でも、言っていい?」

 どうぞと促した。

「ミドリさん、何かしたんだね?」

 正解、という代わりに涼は雅を鉄砲で撃つような手真似をした。


 ばぁん!!



 _____



 翠が、誰に、誰と誰と誰と誰に、何をしたのか。

 わたしには、詳しくは分からない。


 それが起きたのは、準決勝の前日か、その前の日の練習用コートだった。

「涼、翠先輩と付き合ってるってホント?」

 誰かが、突然、それをわたしに問い詰めてきたとき、何人かが顔を上げてわたしを見た。

 誰かが、狡い、と呟いた。

 誰かが、泣き出した。

 誰かが、怒ってその場を立ち去った。

「……付き合ってるってマジ?」

 他の誰かがわたしに言った。

「だって、1年のとき、涼を苛めろって指示したの、翠先輩じゃん」


 足元が崩れるような気がした。

 頑丈が取り柄のわたしが、初めて目眩という体験をした。




 ……でも、内心には、どこか「やっぱり」という言葉が浮かんでた。

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