第21話 はじめての

「ハセガー、えーと私、ハセガーがバスケを辞めた話、ではなくて、ハセガーの中学校時代の恋バナを聞かされている気がするんだけど」


 胃の中の大量の夕御飯が消化されてきたニシザーは、仰向けに寝転がったままぼやいた。

 座椅子に座って、膝を抱えたまま、わたしは、ふんっと鼻を鳴らした。

「確かに、恋バナだね」

「……もしかして、ハセガーがバスケを辞めたのってミドリさんに失恋しただけだったりする?」


 一瞬部屋の中が沈黙する。


「あー。ぶっちゃけ、話をまとめるとそうなる」

 沈黙を破ると、ニシザーの口がへの字に曲がった。その顔を見て苦笑いをする。

「……ニシザー、もう、わたしの話、聞くの嫌になった?」

「嫌じゃないよ、話したいだけ話して。まだ眠くないから」

 ニシザーは両手両足をうーんと唸りながら伸ばした。

 それから上半身を起こすと、足を伸ばしたまま大きく広げ、足の間に胸が付くようにぺちゃんと体を倒して、両方の爪先を手で持って足の裏を伸ばす。

 やっぱり体柔らかいね、と言うと、まあね、と当然だというようにニシザーは頷いた。


「さあ、じゃあ、エッチな話に進もうか」

「!!」

 ニシザーをからかうように言うと、また「ぼんっ」と音が出るくらい急速にニシザーが頬を赤くした。




 _____




 中等部は県大会で優勝し、1年生で一人だけ全試合にスタメンで出て活躍したわたしは、ご褒美だと言われて、みどりに抱き締められてキスされた。そこは学校の近くの夜の公園で、周りには誰もいなかった。

 その頃にはもう、わたしの方が翠より少しだけ背が高かった。

 自分と同じ高さの目線に翠の目があって、その顔がぐっと近付いてきたときは驚いてたじろいだけど、既に抱き締められていたので避けることができず、顔を背けることも頭になく、そのまま翠の唇を受け入れた。

 あ、こういうの目つぶるんだっけ。

 と思ってから目をぎゅっと瞑った。唇に柔らかいものが当たってる、それしか分からなかった。それよりもぎゅっと抱き締められて動けなくて、恥ずかしいのもあって、とにかく胸が苦しかった。

 付き合うって、そういうことだった。

 翠が好きだ、という思いで一杯で、それがどこにつながっていくのか、私には何も分かっていなかった。

すずは、からだは大きいけど、まだ子供だね」

 少しだけ顔を話した翠に、からかわれるように言われ、かーっと体が火照り出すのを感じた。

 キスをしたことも、子供扱いされたことも、とにかく恥ずかしかった。

 わたしは逃げるように数歩後ろに下がって翠と距離を取ると、話を逸らすように翠に尋ねた。

「翠、翠は高等部のキャプテンにならないの?」

 その頃には、二人きりのときは翠のことを呼び捨てにしていて、敬語も使わなくなっていた。

 翠は、夏の県大会前に膝の靭帯を痛めてから調子を崩していて、もうすぐ3年生になるのにベンチに入るか入らないかギリギリのところで、キャプテンになるどころではなかったと、そのときのわたしは知らなかった。わたしが翠に抱いていたイメージは、いつだってキャプテンで不動のエースだったから。

 わたしの不遠慮な質問に答えず、ふーっと翠は息を吐いて、拳の裏でわたしのおでこを軽く叩いた。

「こういうときに、そんな話をするから子供だって言うんだよ」

「だって…」

「大丈夫、まずは、ちゃんとレギュラーに戻ってみせるから」

 そう言って、翠はわたしの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


 少し経って、わたしは中2、翠は高3になった。

 翠にとっては高校バスケの最後の年だった。

 夏になり、高等部はインターハイで当たり前のように全国大会に出場したけれど、翠の出番はほとんどなかった。

 一方、わたしたち中等部の方も全国大会に出場して、準決勝まで進んだ。そのときも私は全試合にスタメンで出場して、ポイントゲッターになっていた。

 翠も全国大会に出ていたから、自分もそうなるのが当然だと思っていて、そこに疑問はなかった。


 そして、2年生になったわたしに嫌がらせをする者はいなくなっていた。

 かと言って特に親しいと言えるほどの仲間もいなくて、みんなから何となく遠巻きにされていたと思う。

 シュートを決めれば、みんな笑顔でハイタッチをしてくれるけれど、他の子が決めたときの方が楽しそうに見えたし、どの先輩もわたしをかわいい後輩とは見てくれず、3年生たちが、わたし以外の2年生や1年生を後輩としてかわいがっているところを見ると、ちょっと羨ましかった。

 1年のときにわたしに嫌がらせをしていた子たちとも、その頃にはチームメイトとして普通に接していた。けれど、どうしても心から許すことはできなかった。

 今思うと、わたしは、翠ばかりを追い掛けすぎて、他の人たちのことを見てなかった。だから、他の人たちがわたしのことを受け入れてくれなかったのは、ある意味当然だったし、だからこそ余計に自分には翠しかいないという気持ちに囚われていたんだと思う。


 全国大会を終えて、部活動を引退した翠は、高等部からそのまま陽湘大学への推薦入学が決まり、時間ができたのか、ときどき、中等部のコーチをしに来るようになった。高校最後の大会で、そんなに活躍できなかったとはいえ、かつて中等部で大活躍していた翠は、わたしだけでなくてみんなの憧れでもあり、中等部の人気者に返り咲いた。


「涼には教えることはないよ」

「え?」

 ただ翠は、わたしだけにはコーチをしてくれなかった。わたしは翠に突き放されたように感じて不満だった。翠からのアドバイスで周囲のみんなは上達している。だから、余計に悔しかった。

「涼は、私より才能も実力もあるから、もう私なんかに教わらなくてもいいんだよ」

 練習帰り、いつもキスをしていた公園で、わたしにもバスケを教えてくれと翠に頼んだら断られた。断られたことだけでなく、初めて聞く、卑屈な言葉に驚いた。「私なんか」、翠は、いつだってそんな言い方をしなかったのに。そんな翠にそれ以上は何も言えなかった。

「でも、私は涼が好きだよ。他のどの子よりも」

 そう言って、翠はにっこり笑った。

 その笑顔が綺麗で、でも、とても怖かった。何を考えているのか全く分からない。翠の目が何を映しているのか見えなかった。

 そして、そのまま絡みつくように抱き締められた。


「ずっと、私の腕の中にいてよ」

「翠?」


 その数日後に、わたしは翠にラブホテルに連れていかれた。

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