第17話 優しい人たちに会うとどうしていいか分からない
わたしは、ゴールの前で膝を緩く曲げて軽く腰を落とし、ニシザーから借りているグローブを付けた両手をぽんっと合わせた。手を合わせる癖はバスケをやっている頃からだ。ジャンプボールで試合が始まる直前のルーティーン。
そして、羽のように手を1度大きく広げた。
「わ」
なぜかゴトゥーが一瞬ひるんだ。それを見てニシザーがにやっと笑った。
「女子で175cmも身長があるキーパーは少ない。その高さに加えてリーチが長い。だから、ゴールに立ったハセガーは大きく見えるん。それだけじゃないんだ。ゴトゥー、ちょっと高めを狙って蹴ってみてよ」
「おうけえい♪」
たんっという音がしてボールがゴールに向かっていく。少し左寄りの高めのシュートだった。わたしは、右足を一歩横に踏み出して、体を捻るようにジャンプし、そのボールを両手でキャッチして左足から地面に降りた。
「うえええ、たっかーい」
ゴトゥーが変な声を出した。見ている部員たちも軽くざわめくのも聞こえた。なんだろ?普通にボールを捕っただけじゃん。
その後、ゴトゥーが10本くらいシュートを蹴った。もちろん、そのシュートを全てキャッチできるわけがない。
ああ、ダメだ。
キーパーになりたいというわけではないけれど、捕れないというのは悔しい。ちっと舌打ちしながら袖で額の汗をぬぐった。
「ハセガー」
ニシザーが駆け寄ってきた。
「ハセガー、全部キャッチしなくていいんだよ。手で弾いても、足で蹴ってもいい。これはバスケじゃない」
あ、そうか。
わたしがきょとんとしたのを見て、ニシザーはにやっと笑った。
「とにかく、ボールをゴールに入れなければいいん」
その笑顔を見て、わたしもにやっと笑って頷く。
「ゴトゥー、もう10本行ってみよう」
ニシザーが元の位置に戻って、大きな声を出してゴトゥーにパスを出す。ゴトゥーはボールを左右上下に分けて蹴ると、今度は、キャッチできなくても、手を伸ばしてボールはたき落としてゴールを許さないようにした。
おお…と見ていた部員たちが唸る声が聞こえた。
バスケで敵の持ってるボールやシュートを叩き落とす要領だ。片手、片足を大きく伸ばすだけで両手でボールを捕るよりも手の届く範囲が一気に広がった。
結果として、ゴトゥーのシュートは2本しか決まらず、ゴトゥーがきーっと歯をむいた。
「ちょっと待って、私に蹴らせて」
主将で3年生の原先輩がゴトゥーをひょいひょいとどかして立った。
うわ、まだ続くのかー、
わたしは原先輩にきちんとお辞儀をしてから、また両手を広げて構えた。
「うーわ、こんな大きなキーパー見たことないなあ」
原先輩もわたしを正面から見て驚いていた。
「大きいだけじゃない、手足が長い、ジャンプが高い、反応も良い、か。逸材じゃん」
そう言って、原先輩はシュートをわたしの真正面に思いきり強く蹴った。
わ!
鋭く速いボール。でも、真正面のど真ん中。ゴールというよりわたしに向かってボールは飛んできた。
どんっという音がして、しっかり両腕でボールを胸に抱えるようにして受け止めた。
「度胸もいい、っと」
原先輩は笑って言った。
「ハセガーをマネージャーにするの、惜しくありませんか」
ニシザーが原先輩に囁く。
「確かに」
「でも、大きな問題もあるんですよ」
原先輩は首を傾げた。
「ハセガー、ちょっとボール思い切り蹴ってみて」
「え、今度は蹴るの?」
わたしは持っていたボールを下に置く。
「よいしょっと」
足を勢い良く後ろに振り上げる。
しかし、見事に足は宙を蹴る。
「あれえ?」
もう一度蹴る。
爪先がボールの上の方をかすってころころと転がった。しかも、バランスを崩してよろけてしまう。
こんな筈じゃない。
不思議だった。サッカー部の人たちもプロの選手も当たり前のように動いているボールを蹴っているのに、わたしは止まっているボールすらまともに蹴ることができなかった。
見ていた部員たちから失笑がもれた。
「……多分、ハセガーは今、人生で初めてサッカーボールを蹴りました」
たはは、とニシザーは苦笑いする。
原先輩は顔を両手で覆って、天を仰いだ。
そういえば、キーパーってゴールを守るだけじゃなかったよね……
わたしはボックスの向こうに立っているニシザーを見た。
わたしの視線に気づいたニシザーは、肩をすくめた。
「西澤、長谷川、ちょっとこっち来て」
大久保先生と、3年生の正ゴールキーパーの宮本先輩と2年生の林先輩のいるところにわたしとニシザーは呼ばれた。最後にボールを蹴った主将の原先輩も一緒に走り出した。
ダッシュで先生の前に向かうわたしを、ニシザーと原先輩もあわてて追い掛けて来て、先生の前で直立不動で気を付けをしているわたしを見て吹き出した。
「そんなに急がなくていいのにー」
宮本先輩が緊張しているわたしを見て笑う。
「西澤の言うとおり、長谷川が凄いキーパーになる、とまでは言わないけれど、長谷川が入部してくれればありがたい。ここにいる原、宮本、林とも相談したんだけど、できれば、長谷川にはマネージャーじゃなくて、ゴールキーパーを目指して入部してほしい」
大久保先生は腕組みをして言った。
今年の新入部員8名の中にはゴールキーパー経験者が誰もいなかったので、いずれ誰かをキーパーとして育てなければならなかったが、まだ、それを誰にするのかは決まっていなかった。だから、わたしが入部してキーパーを目指してくれるのは部としてはありがたい話なのだという。
ニシザーがぱあっと顔を明るくする。
「じゃ、テスト合格ですね」
当のわたしはそれを聞いて驚く。
「えええ? わたし、サッカー全然分かんないですけど、いいんですか?」
3年生の宮本先輩が答える。
「私も1年のときはキーパー初心者だった。その時の私と今のハセガーを比べたら、ハセガーの方が私よりずっと巧くなると思う。まあ、かなり勉強も練習も、つまり経験が必要だけど」
2年生の林先輩も頷く。林先輩は、少しだけ苦い顔をしている。
「今からハセガーが頑張ったら、来年の正キーパーは私じゃなくてハセガーかもしれない。だから正直、焦るけれど、ハセガーが入部してくれたら、……嬉しい」
林先輩は、最後にはにかむように微笑んだ。
主将の原先輩は、おいでおいでと言いながらニコニコ笑っている。さっき、わたしに向かって思いきり強いボールを蹴ってきた人とは思えないにこやかさだった。
キーパーの二人とキャプテンの3人の先輩たちはわたしを歓迎してくれている。
先輩が、わたしを?
それに気付いて鼻がツンとした。
すんっと鼻をすすった。
「ハセガー?」
目に涙が滲んでいるのが、ニシザーにバレた。
「…ぃや、先輩たち、優しいと、思い、ました」
わたしは袖で涙をぬぐう
「…中学のときの先輩たち、みんな、わたしのこと、嫌がったから」
先生も先輩たちも少しだけ眉を寄せた。
体格や技術に恵まれた1年生に上級生がレギュラーを奪われて、嫌がらせをするのはよくあることだ。わたしは、中学校に入学したとき、やっかんだ先輩たちからいじめやしごきの洗礼を受けた。
それだけではなかったけれど。
それだけなら良かったのだけど。
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