第6話 君の笑顔がわたしのものだったら
「あ、そうだ」
と言って、ニシザーは自分の持っていたトートバッグを漁り出した。
「これ着て」と渡されたのは、白とライトグリーンの太いストライプのTシャツ、ではなく、レプリカのユニフォームだった。
「大きいからパーカーの上からでも着れると思う」
そう言いながら、ニシザーは長袖Tシャツの上に、レプリカユニフォームを着込んだ。
「ニシザーってガチなんだ」
「子供の頃からだからね!」
ニシザーは親指を立てて歯を見せて笑った。
「じゃ、着るわ」
わたしは、ばっとパーカーのジッパーを下げて勢いよく脱ぐと、渡されたユニフォームを着て、それから裾をデニムにたくしこんだ。
パーカーを脱いだ瞬間、ニシザーの大きな目が丸くなったことに、その時は気付かなかった。
「……ハセガー、あと帽子とタオルマフラー」
ライトグリーンのキャップとタオルマフラーも渡された。
「こういう帽子、小学校以来かも」
わたしはキャップを後ろ向きに被る。
「ハセガー、可愛いけど、ちゃんとツバを前にして被っとかないと顔が日焼けでひどいことになるよ」
そう言ってニシザーは同じような色合いのキャップを被り、首にタオルマフラーを掛けた。
それは、初めて見るプロのサッカーの生の試合だった。
広いグラウンドを縦横無尽に20人の選手が走り回る。ただボールを追い掛けてるように見えて、作戦やフォーメーションがあるらしい。足だけでボールをコントロールするなんて面倒臭い。でも、そのもどかしさが魅力なのは分かる。
そして、
「上がれえええ、なんでそこで止まるん!走れえぇ!!」
「ッたあぁ、そのまま行けええ」
「下げんなや!」
「また、ふかしたああ、入れてよ、もお!」
「よおぉしゃ、ナイスカット!」
最初は、その変貌っぷりにびっくりして声が出なかった。しかし、周りの観客にも大声を出している人たちがたくさんいて、ああ、サポーターってそういうものなんだ、と納得した。大声を出して目一杯応援している人たちを妨げるのは無粋だ。
ニシザーの応援の大きな声を聞いていると、わたしも何か声を出したくなる。
誰かを思い切り応援してみたくなる。
ニシザーの勢いが涼に感染する。
わたしはカメラをディバックから出して、応援の声を聞きながらファインダーを覗いてみた。
「うわ、はっや!」
ボールが小さくて速すぎて追えない。
「そうだと思った。私もスマホで撮ろうとしてみて諦めたことあったから」
ニシザーがそんなわたしに気付いて言った。
「でも、コーナーキックなら撮れると思うよ、あそこ」
ニシザーが白い枠線の角を指差した。
言っているそばから、敵の白いユニフォームの人のコーナーキックになった。角からボールを蹴るらしい。
ニシザーの応援しているチームはピンチということになる。
わたしがコーナーにいる人にピントを合わせようとしているうちに、ボールは蹴られてしまい、シャッターを切ることはできなかった。ただ、蹴られたボールはゴールに決まらず、反対側のコーナーの方へ転がっていき、雅が応援しているチームの選手がボールを奪い返した。
「あああ、撮れなかった」
「あはは、失敗したん?」
「うっさい!次を待つもん」
「そんなに敵にコーナーキック取られたら困る。後半になれば、そこのコーナーからうちのチームがコーナーキック蹴るから、その時を本番にして撮ってよ」
「おし、分かった」
そう返事をして、コーナー辺りでどのくらいの距離でどんな構図で撮るか考え始めた。
イメージしろ。
想像を現実にする前に、その手順をしっかり想像する。イメージをするのとしないのとでは、した方が成功率は高い。深呼吸して目を瞑る。
シュートをイメージする。
すると、無意識に、コートから305cm上にあるオレンジ色の円が目に一瞬浮かぶ。
違う、それじゃない。
目を開けて、コーナーをじっと見て、もう1度目を瞑った。
「え?前半後半45分ずつ?」
「とれやあ、ぼけえ!……うん。1試合90分」
「ファール2回で退場?え、そしたら10人のまま?厳しすぎない?」
「レッドカードが出ると1回で退場っ……ああっ、なんで今の入んないん!!」
「一回交代したら、もう出れないの?」
「だあぁ、え?何?」
「なに今の?オフサイドって何?」
「今のどこがオフサイド!審判、目ぇどうなってん!?……えーっとオフサイドっていうのはね、うん、口で説明するのが難しいんだけど、ああ!今の何?」
ニシザーは、わたしの質問に答えるのと喚くのとで忙しい。落ち着いて試合を見せられなくて申し訳ないと思いながらも、つい質問してしまう。それでもニシザーは嫌がらずにわたしの質問に頑張って答えようとしてくれる。どっちにも一生懸命だ。
審判のホイッスルが競技場に響いた。前半終了の合図だ。
ハーフタイムは前半と後半の間の15分の休憩時間だ。ニシザーは、徐にトートバッグから水筒と紙コップを出して、紙コップに水筒の中身を移し替えた。
「ただの麦茶でごめん」
ペットボトルはマナー違反になるからと付け加えながら紙コップを渡してくれた。さっきまでのハイテンションで吠えていた姿は消えて、いつもの落ち着いた声が戻ってきている。
観戦慣れしてるなぁ。
ニシザーが麦茶をぐいっと飲み干して、何か言いたげにわたしの顔を上目遣いで見た。ニシザーにしては珍しい顔だった。わたし何か変なことしたかな、と焦る。
「ハセガー」
ニシザーは少しだけ、わたしから目を逸らした。
「……私の応援してるとこ見て引いた?」
恥ずかしそうな声で尋ねてくるその顔が、なんだか可愛らしくて笑ってしまった。
「引いた」
わたしのその言葉に、一瞬、ニシザーの顔にたて線が入ったように歪んだ。
「もう、引いて引いて、どん引いて」
ニヤッと笑う。
「一周して戻ってきた。ニシザー面白すぎ」
「……ハセガーを観戦に誘ったのはいいけど、サッカーになると自分が人格変わるの忘れてたん」
ニシザーは、胸を押さえてため息を吐く。
「でもま、こっちの大声出してる私の方が、素の私だから」
「え、マジ?」
「そうそう、ふだんは意識して大人しくしてる。本当は、ただのサッカー子猿」
あはは、とニシザーが人懐こく笑った。目が三日月になる。
「ニシザー、笑うと可愛い」
また、わたしの口が勝手に喋る。言ったわたしも言われたニシザーも顔を赤くして一瞬黙った。ハーフタイムの休憩の間、観客席は落ち着きなくざわめいている。二人とも黙りこんでしまうと、ざわめきが言葉になって聞こえてくる。試合のこと、選手のこと、J2昇格が難しいこと、試合の後の予定のこと…。観客はそれぞれに好きなことを話している。
「……そんなん、初めて言われた」
ニシザーが照れ笑いで、その沈黙を破った。
わたしが一番最初に気付いたってことだ。なんだかニシザーの笑顔が自分のものみたいに思えた。
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