第5話 君の手は、小さいけど熱い。

 4月下旬の日曜日、少しだけ曇っているけれど概ね晴れ。太平洋岸のこの街にはすぐに蒸し暑い夏が来る。過ごしやすい春はそんなに長く続かない。

 朝起きて、窓から外を覗いて、青空を見て晴れていることを確認した。

 あんまり暑くならなさそうだし、雨も降らなさそうだし、春のお出掛けとしてはベストだ。


 最寄りの中央駅の改札口の前がニシザーとの待ち合わせ場所で、お父さんが駅まで自動車で送ってくれた。お父さんは、わたしが観戦チケットが有料だと知らなかったのを心配して、高校生料金のチケット3枚買ってもお釣りが来る額のお小遣いをくれた。ラッキー。

 ニシザーに何か、美味しいものでも奢らないと!


 ほくほくしてスマホを覗いていると、ニシザーが待ち合わせ時間ほぼぴったりに改札口前までやってきた。

「おすー」

 男の子みたいな挨拶をして手を振りながら駆け寄ってくる。スポーツブランドのロゴが入った長袖Tシャツにデニム半ズボン、腰に巻いたチェックのシャツが後ろから見るとタータンチェックのスカートみたいだった。小学生男子みたいで可愛い。

「もしかして待ってた?」

「そんなことないよ」

「ほんと?」

「ほんとほんと」

 ニシザーの視線が、わたしの頭から爪先を撫でる。

「にしても、ハセガーはかっこいーね」

「何が?」

「ハセガーって私服だと大人っぽい。同い年とは思えない」

「でかいから目立つだけだよ」

 ただの薄手のパーカーとデニムだ。スタジアムに行くのにお洒落はいらないけど、上は薄着になれるようにしてくれと言われていたので、パーカーの下にはノースリーブの薄手のニットを着ている。

 大人っぽいとは昔から言われてる。小学生で既に160cmを軽く越えていたので小学生に見てもらえなくて、バスでも電車でも乗り物料金で大抵もめていた嫌な記憶を思い出した。


「…別に背が高いだけだからじゃないけど」

 ニシザーがごにょごにょっと言った言葉はよく聞こえなかった。


 隣の市に向かう電車は空いていて、二人で並んで座れた。朝のバスと違って並んで座るのは初めてで少し照れ臭い。それに加えて、まだ付き合いの浅い友達と出掛けるのは、少しだけの緊張と何か楽しいことが起きるような予感があってワクワクする。

「ああ、ハセガーのおとーさん、J1の試合のチケットと勘違いしたんだ」

「そうなの?」

「ん、J1の試合だったらもっとチケットは高いん。今日見るのはJ3だし、前売りで買っといたから1000円。ハセガーのサッカーの初観戦だから奢らせて」

 わたしと一緒に観戦するのがまるで記念日かのような言い方だったので、ちょっとだけ照れてしまう。


「そういえばニシザーは、女子サッカーは見に行かないの?」

「うちの県には、女子プロチームないから試合もないよ」

 女子の試合も生で見たいんだけどね、と付け加えた。ニシザーは何も知らないわたしでも分かるように丁寧に教えてくれようとする。だから、わたしは、説明を全て理解できるわけではなくても、ふんふんと頷きながらよく聴いた。端から見れば、真面目に話し合っているみたいだけど、女子高生らしい恋バナじゃないのが笑えるかも。


 着いた隣街の駅からはスタジアム直行の無料シャトルバスに乗り込んだ。バスの乗客のほとんどは、地元チームのチームカラーであるライトグリーンで、それぞれの推しの背番号が付いたTシャツを着ている。試合で使用するようなレプリカのユニフォームを着ている人もそれなりに多い。ニシザーはそういうのを着ていないので、そこまでファンなのではないのかなと思ったけど、目の色がいつもと少し違う。試合を楽しみにしてワクワクしているのは確かで、そんなニシザーを見てるとわたしにもワクワクが感染する。

 スタジアムが近付くにつれて、だんだんワクワクした気分が盛り上がってきた。変なの、わたしサッカーのこと、なんにも知らないのに。


 わたしも、サッカーじゃないけど、中学校時代にプロスポーツの試合を何度か見に行った。だから、試合前の盛り上がる気分は分かる。

 でも、その頃は、推しのチームや選手を応援しに行くのではなく、勉強のために見に行かされてただけで、いつも面倒臭かった。だから、今みたいな気負いのない、ワクワクした気分で試合を見るのは初めてだった。


 会場入り口でチケットの半券を千切られ、宣伝チラシなどが挟まれたクリアフォルダの入ったビニル袋を代わりに受け取り、ゲートをくぐって指定された階段を上った。

 階段を最上段まで上ると風景がばっと開く。

 観客席に立った涼の眼下には濃い緑と明るい緑の縞模様のフィールドが広がっていた。


 初めて見たサッカーの試合場。

 眼下には、芝の緑色のフィールドが広がっていて、それを陸上競技用の赤いトラックが囲んでいる。

 風がふわっと吹いて、わたしの髪を軽く巻き上げた。

 そこは、サッカー専用のスタジアムではなく、サッカー以外にも、陸上競技や大きい運動会にも使われている。

 どこに座るんだろうと観客席を見回していると、ニシザーが声を掛けてきた。

「この辺りは自由席だから、好きなとこ座れるよ。でも、私のいつも座るとこでいい?」

「いいよ、どこでも」

 頷くと、ニシザーは自然にわたしの手を取って引っ張った。

 当然だというように。

 ニシザーの手はわたしの手より一回り小さい。というかわたしは手も大きいからニシザーの手は普通の大きさなんだろうけれど。


 小さいけれど熱い。



 そんなわたしの恥ずかしい気持ちに全く気付かず、ニシザーは自分の座りたいところへとずんずん引っ張っていく。

 そして、コーナー近くの前の方を陣取った。赤いトラックの向こうに、白いラインの角。その向こうにゴールが設置されている。

「ニシザー、ここだとシュートするとこがよく見えないんじゃないの?」

「シュートより、コーナーキックとかライン際のせめぎ合いが見たいん」

 ニシザーの指先がスタンドと平行の白い線をすいーっと動いた。白い線の内側でボールを外に出さないようにしながらもボールを奪い合うことをライン際のせめぎ合いというのだと教わった。

「右ウィングのレギュラー取りたいから」

 ニシザーの言うウィングの意味が分からないけど、まだ入学したばかりの1年生の分際でレギュラー入りを狙っていることは分かった。うちの高校の女子サッカー部は人数こそ少ないが、県内では強い方だと聞いている。まだ入学したばかりの1年生なのにニシザーの目は、まっすぐにレギュラー入りを目指している。まっすぐに。

 もう、捻挫はほぼ治っていて、ニシザーはもうすぐ朝から練習に参加すると言う。一緒に登校できなくなるのは残念だけど、それ以上に走りたいんだろうし、わたしも走ってるニシザーを見てみたくなっていた。

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