第2話 「サッカー、大好きなん」 そう言えるのが羨ましい

 長谷川はせがわすず  15歳


 半年と少し前に、盛大に失恋した。子供の頃から大好きだった人だった。

 しかも、そのせいで色々と大切なモノを失ったので、自分にとってはあまりに過酷な出来事だったように思う。


 もう、動けない。何もしたくない。 

 ……と思ったけれど、お腹が空いたらご飯を食べてしまうように、わたしは、大人しく止まってはいられない性質たちで、半年経って少しだけ痛みが和らいで、高校に入学すると、さて、これから何をしようかと顔を上げた。


 ただ、恋愛だけはもう御免だと本気でそう思っていた


 のだけれど




 高校に入学して1週間。

 新しい制服に身を包んでバスに乗って高校に向かうことに、まだ慣れない。

 乗り口近くの一人掛けの座席に腰掛けてバスの窓から見る風景をぼんやりと見ていた。桜はそろそろ散ってしまうようで葉っぱの緑の方が多い。

 わたしの家は街外れにあって、高校まで10箇所以上のバス停がある。

 その一つの停留所で、松葉杖を片手に抱えた女子高生がバスに乗り込んだ。同じ制服だ。ただし、履いてるローファーは左足だけで、右足はショートブーツのような形状に白い包帯が巻かれている。


「ぃよっ」

 彼女は小さく声を上げ、片足跳びでぴょんっとバスに乗り、それから松葉杖を付いた。なんのための松葉杖なのか思い出したように。ただ片足でもバランスを崩していない。

 固定されている右足首以外は元気が溢れ出てしまっている。


 体幹強そう。


 こっそり彼女を頭から爪先まで眺めてみる。取り立てて大きいわけではない。全体的に細めなものの、ひ弱さはまるでなく、スカートからはみ出た素足の部分の足は引き締まってる。顔と足は日焼けしているようだ。

 負傷中の運動部員か。何部かな?

 バスの中は混んではいないが、座席は空いていない。


 ふと彼女が顔を上げたので目が合った。


 目、大きい。

 前髪で隠しきれない広めの額の下に、小学生みたいに日焼けした顔、そこに穴が空いたような、やんちゃそうな大きな丸い黒目がきょろんとわたしを一瞬見た。目が合ったが、目を逸らそうとしたので反射的に声を掛けた。


「……ここ!座って下さい」


 うわ、声掛けちゃったよ。

 恥ずかしくて、じわじわと体が熱くなってくる。わたしは、人付き合いが苦手で、高校では、まだ友達らしい友達がいない。

 余計なお世話だっただろうかと、戸惑う。


「え、あ、ありがとう……ございます」

 彼女はわたしを見て、小さく頭を下げた。申し出を拒否されなかったことに心の中で胸を撫で下ろした。そして、言った通り、彼女に席を譲ろうと立ち上がった。

 わたしが立ち上がると、彼女が目を丸くした。

 わたしは、かなり背が高い。だから、いきなり立ち上がると急に背が伸びたように見える。

 彼女の口が小さくポカンと開いた。そんな顔をされることにもう慣れてる。驚かれた後に、大抵「大きい」とか「でかっ」とか呟かれる。不躾な者になると、いきなり「身長何cmあるの?」と尋ねてくることもある。

 しかし、彼女は、「ども」と小声で会釈して、そのまま涼の譲った座席にちょこんと腰掛けた。

 いい子だなと思った。

 わたしの身長に驚いたのに何も言わなかったからだ。

 しかも、

「荷物、持たせて下さい」

 彼女は、わたしの顔を見上げながら、手を伸ばしてきたのだ。

「いや、いいですよ」

「遠慮しないで下さい。バッグ重そうですよ」

 確かに、この鞄には教科書とノート以外に少しだけ重い荷物が入っている。

「学校に着くまでの間だけ、私の膝の上に荷物を置かせて下さい」

 彼女は、そのやんちゃ坊主のような見た目に反して丁寧で落ち着いたしゃべり口調だった。話すと外見よりも大人っぽい。

 ちょっと悩んでから鞄を彼女に預けることにした。

「じゃ、お言葉に甘えて」

「どうぞ」

 にこっと彼女が笑うと、大きな目が半円のラインのようになった。


 あ、かわいい

 胸がとくんと鳴る。

 

 制服のネクタイは基本紺色だが、学年色で緑と赤と黄色の斜めのラインが入っていて、彼女はわたしは黄色で、二人とも入学したばかりの1年生だと分かる。

「1年ですよね。敬語、やめませんか? や、やめよ」

 わたしとしては珍しく、少しだけ勇気を出して話し掛けた。口調は少しぎこちなくて、不自然とか不審とか思われないか不安になる。しかし、彼女のきょろんとした目は、そんな不安を跳ね返すかのようにきらっとした。 

「あ、はい、じゃなくって、うん」

 わたしの申し出に彼女が頷いた。


「わたし、長谷川はせがわすず。2組」

西澤にしざわまさ、5組。よろしく」


「聞いていいかな?足、どうしたの?」

「サッカー部なんだけど練習で捻挫しちゃって」

 どおりで日焼けしているわけだ。

「結構、ひどい捻挫したんだね」

 わたしも捻挫の経験が何度かあるが、湿布しただけで済んだ。

「怪我しちゃうのも実力不足のうちだから」

 西澤さんの丸い目が少しだけ泳ぐ。

「えっと長谷川さんは部活入った?」

「ハセガーって呼び捨てでいいよ」

「じゃ、私はニシザーで」


 二人とも「わ」が「ー」。

 

 にやっと笑うと、にこっとニシザーが微笑んだ。笑うと目が三日月のように弧を描く。

「わたし、写真部」

 ニシザーはキョトンとする。

「……この身長だから、文化部なんて意外だった?」

「はあ。絶対運動部だと思ったんで」

 悲しいかな、わたしはでかい。この身長なら運動部に見えるだろう。キョトンとした顔のままニシザーが続ける。

「だって、ハセガーの足、筋肉ついてるから」

「げっ?」

 慌てて首を回し、自分のふくらはぎを見下ろした。

 高校の制服は、紺のブレザーにグレーを基調としたチェック柄のスカートだ。わたしはスカート丈を膝丈くらいにして紺のハイソックスを履いている。雅の言うとおり、足には結構な筋肉が付いていて、腿の筋肉をスカートで隠し、ふくらはぎの筋肉を靴下でごまかそうとしていたのだが、どうやらごまかし切れていないらしい。

「……足太いんだよね」

「そんなことないよ、足長いし、カッコいい」

 率直な誉め言葉にちょっと恥ずかしくなる。

 それに、ニシザーは大きな目でじっとわたしの目を見て話す。その遠慮のない視線にたじろいでしまうくらい。照れながら答えた。

「中学では運動部だったんだ」

「じゃ、写真は高校からなん」

 わたしがあえて何部だったのか言わなかったことに気付いて、それを追求してこないようだ。短いやり取りの中で気を遣ってくれる子だと気付いて、印象は良くなる。

「うん、写真は始めたばっか。ニシザーはいつからサッカー?」

「小2」

「長いね」



「サッカー、大好きなん」



 自分の好きなことをさらっと恥ずかしがらずに言えることが羨ましいと思った。



 

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