【6】

夕方、部屋の中は暗く静まり返っていた。私は窓の外をぼんやりと見つめていた。カチャカチャと鍵の音がして、玄関のドアが開く音が聞こえた。静かだった室内が急に活気づく。

「どうしたの、電気もつけないで」

リビングが明るくなり、妻がカーテンを引いた。

「研修、眠かったわ。せっかくの夏休みなのに、レポートを出さなければいけないわ」

スーツをジーンズとTシャツに着替えた。

「ところで、どうだったの?ナカタさんの件は?」

妻の問いには答えずに。

「夕食、今日は外へ行こうか」

「え、いいけど」

「それで、ヨットハーバーも見に行こう」

「ヨット、買うの?」

「まさか」

「急にどうしたの、観光地には行きたくないんじゃないの?オリンピックの工事も始まっているし、金曜日だからライトアップで混んでいるわ」

私の真意をさぐるような眼差し。

「何度さそっても、乗り気じゃなかったのに」

「行ってみたくなったんだ」

どのように説明しようか。

「叔父さんたちのかわりにね」

「叔父さん、たち?」

「うん」

椅子から立ち上がりながら、つぶやく。

「後で話すよ」


「そうそう、ノートによると、事故の後で、会社の人たちにはお盆とか花瓶とか。それから、退職金や見舞金は、全部寄付に回したらしいわ。善意銀行というのがあったらしくて、そこに、全額身体障害者の施設にって」

「善意銀行?」

「当時、全国的に流行ったらしいの。助け合い運動。自分が『寄付』したいお金やらサービスを何でも、市役所に届け出る。T市では、今でもその活動が細々と続いていて。何か分かるかもしれないと思って、問い合わせをしたの」

妻が続ける。

「でも、そんな昔に、誰がどこへ寄付をしたのかは分からないって。でもね、活動の初期の理解者ですね、ありがとうございます、と感謝されたわ」

「ふうん」

「どこでも、昔のことは分からなくなっているのね」

「でも、施設へ寄付って。お義父さんは、それできっと叔父さんが喜ぶ、と思ったのかしらね」

「叔父さんみたいになるな、って昔父が言ったことがあるんだ」

妻が振り返る。

「落第するな、という意味だと思っていた」

「あら」

「ちゃんといい大学に入って、大企業で人を使うようになれ、と。でも、違うのかな」

「そんなことも、分からなかったの?そうね、お義父さん。弟さんが愛おしくてたまらなかったのよ」

「どうして?」

「そして、あなたのこともね」


2024年6月

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湘南の記憶 末座タカ @mzwt

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