【4】
時計屋から修理完了の電話があった。もう何回目かのF駅。日差しが強く、帽子が必要だった。
「昔の帳簿にありました。現金でお買い上げです、月賦じゃなくて。きれいでしたよ、やっぱり普段はしまって使わなかったのかな」
さぐるように店主が言った。
「お客様が使うんですか」
「ええ、まあ」
店主が、金属のベルトの具合を確かめる。
「ちょうどいい長さだ。お父さんと背格好が同じですか?」
店主は時計を布で拭い、箱に収めた。
「飾り物じゃないんだから、使ってやったほうがいい。若者向きの普及品なんだし」
店を出ようとすると、店主が後ろから声をかけ、腕を振ってみせた。
「毎日、昼間ずっとつけていれば大丈夫ですよ。それと、歩くこと。昔はみんな歩いたから」
「ちょうどその頃、工場の誘致で急に開発が進んだらしいわ。オリンピックの直前、大きな自動車会社が来て、下請けの工場も来て、人口が増えて、住宅団地ができて」
妻は続ける。
「でも、叔父さんもずいぶん贅沢したものね。だって、当時の工員の給料でしょう?オリンピックの直前で、活気があったとしても、給料のほとんどを腕時計に使うなんて。でも、叔父さん、もったいないわね、大学を出たのに。大学への進学率が一割とか二割とかの頃よ」
「そういえば、この間会った人は、工場は中卒ばかりだったと言っていたな」
「中学を卒業して就職して、会社が作った専門学校で勉強しながら働いたりしたのよ」
「地方では、働き口がなかったのかな」
「でも、若者文化の中心みたいな場所の近くの工場に就職して。失われた青春を取り戻そう、という感じだったのかも」
「そうなのか」
「地方の若者たちにとっては、あこがれの土地だったに違いないわ」
妻が思いついたように続けた。
「そうだ、お義父さん、叔父さんの事故でここに来て。悲しい事故だったけれど、それがきっかけでイルカのいる水族館のこと知ったんじゃない?それで、お母さんとあなたに見せたくなったんだわ。きっと、そうよ」
妻は、ひとりで納得をしている。でも、そんな家族思いで無邪気な父は、私の知る父とは別人に思えた。
「実感がわかないな」
私にとっての父は、母の病院と学校を往復して家にいない「赤の他人」だった。受験勉強の邪魔になるから、と母への見舞いを禁止されている中で、母が死んだ。地元の進学校から、関東の有名大学に合格した。父の希望にそった進路だったことをいいことに、当然な顔で仕送りを受け取った。
「素直になれないのは知っているわ。結婚する時、帰省をしぶってなかなかお義父さんに会わせてくれなかったものね」
「でも、時代はちがうけれど、お義父さんのこと、なんとなく分かる。高校の先生って、大変だったのよ。その頃、学校によっては校内が大荒れだった。そんな時に、お母さんの病気が悪化する。お義父さんは、とても忙しかったんじゃないかな。両立はできなかったと思うわ。その上、反抗期の気難しい一人息子に、優しくしてあげることなんて、無理よ」
妻の言葉に、若干の皮肉が交じる。
「見てきたようだな」
「これでも、私も教師だからね。荒れた学校がどんな感じだったのかな、というのは分かる気がする。昔の先生は、自分の時間なんてなかったのよ」
しばらく間をおいて、妻がいった。
「今だからいうけど、あなたとのお話が来たとき、あの家はやめろ、と母と姉に言われたの」
「え?」
「お母さんは病気で亡くなって、父子家庭で、お義父さんはヒラの教員、そしてあなたは、聞いたこともない外国の会社」
「初めて聞いたな」
「田舎の人って、そういう事を言うの」
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