最後の夜

@pefeik

第1話

最後の夜


2025年2月21日、空は燃えるような赤に染まり、遠くで地響きが鳴り響いていた。科学者たちは数か月前、小惑星「エレボス」が地球に衝突すると警告していた。回避する技術も時間もなく、人類はただその瞬間を待つしかなかった。そして今夜がその最後だった。


東京の片隅、小さなアパートに住む彩花(あやか)は、窓辺に座って空を見上げていた。彼女の手には、幼い頃に母がくれた小さな貝殻のペンダントが握られていた。テレビはもう放送を終え、街は異様な静けさに包まれていた。避難所へ向かう人々もいたが、彩花はここに残ることを選んだ。何か大きなことをする気力はなく、ただ自分の人生を振り返りたかった。


彼女はスマホを取り出し、友達にメッセージを送った。「ねえ、最後に何してる?」返信はすぐに来た。「家族とご飯食べてるよ。あやかは?」彩花は微笑んで、「昔の写真見てた」と打った。送信ボタンを押した瞬間、電気が消え、スマホの画面も暗くなった。停電だ。もう誰も繋がらないだろう。


外では、誰かがギターを弾き始めた。粗削りな音色が夜空に響き、彩花は窓を開けた。隣のビルの屋上では、若い男が一人、弦をかき鳴らしていた。彼は叫ぶように歌い、時折笑っていた。通りでは、子供たちが親と一緒に花火を上げていた。爆音が空に響き、赤や青の光が一瞬だけ終末の空を彩った。


彩花は部屋の中を見回し、古い日記を取り出した。そこには、喧嘩した友達のこと、初恋の人の名前、叶わなかった夢が綴られていた。彼女はペンを手に取り、最後のページにこう書いた。「結局、人間って、最後に大事なものを思い出すんだね。」


遠くで地平線が光り始め、衝突の瞬間が近づいていた。彩花は立ち上がり、冷蔵庫から半分残ったアイスクリームを取り出した。スプーンで一口食べながら、彼女は呟いた。「美味しい。生きてて良かった。」


空が割れるような轟音とともに、光がすべてを飲み込んだ。その瞬間、彩花は目を閉じ、母の笑顔を思い浮かべた。地球が終わる時、人間は英雄的な行動よりも、ただ自分らしく生きようとするのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最後の夜 @pefeik

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る