第19話 助けられない友達
フードコートを出た真百合達が向かったのは「お昼寝エリア」だった。勿論来客が眠る訳ではない。よく眠る動物達が集められた区画である。
日本でも珍しくコアラやナマケモノなどが飼育されているためマニアの間では密かに人気だった。
「かわいいー!」
ちょうどお食事中のようでリリィティアは折に釘付けになった。
携帯で写真を撮りまくっている。
「知ってる? コアラとナマケモノは二十時間以上寝るんだって」
「えー!? そんなに寝てたら人生のほとんどが夢の中だよー?」
「それもいいかも。食っちゃ寝で生きられる人生って理想よね」
「何それー」
微笑むリリィティアとの時間を愛おしく思った真百合は記念に写真を撮ることにした。
二人で身を寄せ合ってシャッターを切る。上手く動物を背景に笑うベストショットが取れたのだが、カメラに驚いたナマケモノは下の池に落ちてしまった。
「あ、溺れちゃう!」
「大丈夫よ。ナマケモノって泳ぎが得意だから。故郷の森が雨と洪水が多いから泳ぎをマスターしたんだってさ」
「へー、真百合って博識なのね」
「たまたま動物番組で見たのを覚えてただけよ」
「じゃあ他の動物の解説もお願いね。次はウォンバットを見に行きましょう!」
テンションが上がっているリリィティアはどんどん先に進んでしまう。
真百合は急いで彼女の手を掴む。
その時、リリィティアのポケットから何かが落ちた。
拾ってみると、それは自分の髪留めのようだ。
「あ、それは真百合に返そうと思ってたんだけど……」
時間遡行を繰り返して忘れかけていたが、リリィティアはアリアンナの病室でそれを拾っていた。観覧車で真百合を追求した際に返しそびれたのを未だ持っていたのだ。
つい数日前の出来事のはずが随分昔のことのように思えてしまう。
真百合は少し笑うとその髪留めをリリィティアの金髪に飾り付けた。
「私より貴女が似合うからあげるよ」
真百合はにっこりと微笑んだ。
その笑顔にあてられたリリィティアは顔が真っ赤になる。
「あ、ありがと……」
動物園を見て回っている間に日が暮れる。以前は映画を見た後の夜にリリィティアが車にはねられてしまった。故に一番警戒するべき時間でもあった。
(夜になったわね。この時間さえ乗り切ればリリィは死なないはず……)
いつまでも動物園に籠っている訳にはいかない。
「真百合、夜行性の動物を見に行きましょう。ふふ、今が閉園時間延長されててよかったわね」
「そうね。でもあんまり離れては駄目よ」
「もう、子ども扱いしすぎよ。私は外国人だけどちゃんと日本語も分かるし、迷っても係りの人に聞けば……」
当たり前だが自分の今後の運命を知らないリリィティアは無邪気に笑っている。
普段なら彼女が迷子になっても話のネタになるだけだが、今日ばかりは自分の眼から彼女が離れている時間があってはならないのだ。
真百合はがっしりとリリィティアの肩を掴んだ。
「ま……ゆり?」
「私はリリィのこと真剣に考えてるの!」
「私のコト……真剣に?」
真百合はリリィティアをどうすれば助けられるか考えていた。車から遠ざけても何か別の要因で死んでしまうかもしれない。そう思うと気が気ではなかった。
だがリリィティアは「真剣に考えている」という言葉の意味をはき違えていた。
(私のコト真剣にって? まさかそういうこと? でも真百合は誠也が好きなはず……)
言葉の意味を咀嚼するリリィティアを真百合は唐突に抱きしめた。
「リリィ、今日は私の家に泊まって」
「へ? で、でも……」
「今日だけはリリィを離したくないの」
とても力強い瞳で見つめてくる。顔が茹蛸のように真っ赤になったリリィティアは真百合を直視できなかった。だが返事がないといつまでもその視線にさらされてしまう。
「うん、わかった。私も真百合が好きだから……」
リリィティアは恥ずかしそうにはにかんだ。
――が、甘い空気を蹴散らすように周囲が騒がしくなる。
「クマが逃げたぞー!!」
遠くからそんな声が聞こえてくる。それと同時に園内放送で避難指示が流れてくる。
『園内のヒグマが脱走しました。係員の指示に従って避難して下さい』
園内の観客達は一気にパニックになった。皆出口の方に集中するので都心の満員電車並の過密度になってしまう。真百合とリリィティアは人波によって遮られてしまった。
流れに逆らって友人の元に近づこうとする。
しかしその手は再び繋がれることはなく、二人の距離は一気に離されてしまう。
ようやく人混みが途切れたかと思ってリリィティアに近づこうとしたとき、彼女の背後に黒い物体が立っているのが見えた。
「リリィ逃げて!」
血の気が引いた真百合は必死に叫ぶ。
リリィティアが振り向いたとき、自分の背後に立つ物体の正体に気づいた。不運にも逃げだしたヒグマが傍まで迫っていたのだ。身体能力は圧倒的に人間より上であり、一度狙われれば絶望的である。
逃げる間もなくその黒い獣は大きな手を振り下ろした。
鮮血に染まる地面。
係員が駆け付けたときには既に手遅れだった。
「……まただ。また死んじゃった……」
次の瞬間、真百合の意識はその日の朝に戻った。
今の自分にはリリィティアを救いたいという明確な想いと彼女を救えなかった後悔がある。だからタイムリープを続けられる確信があった。
問題なのはあの時と違う行動をとっても彼女を救えないことである。場所を変えても違う理由で死んでしまう。次も同じことが起こらない保証はない。
(どうしよう? どうしたらいい?)
「真百合?」
変わらずリリィティアが笑顔を向けてきた。
彼女を守るためにはゴールが見えなくてもとにかく先に進むしかなかった。
道路が近い場所は自動車に轢かれる危険がある。動物園では逃げだした熊に襲われてしまう。そこで考えたのは車道に面しておらず、動物が出没する危険もない商店街だった。
運命の時間まで買い食いして過ごしていれば彼女の死は避けられるのではないか。希望的観測に縋ることしかできなかった。
しかし、運命は変わらなかった。
そこに至るまでの過程は変わっているのに結末は同じなのである。
「真百合、私は貴方のことが……好き」
「リリィ……私は」
どんな風に過ごそうともリリィティアは真百合を好きになる。一緒に遊園地に行ったあの日から観覧車で彼女の感情を受け止めたあの日から仄かな好意があったのだ。
さらにリリィティアの死を回避するために過保護なほど必死になっている態度から真百合に対する好感度がどんどん上がってしまうらしい。
そして必然の如く彼女の命は奪われる。
今度は老朽化した看板が落ちてきてリリィティアを押し潰してしまった。
不幸な事故が最悪のタイミングで起きてしまうのである。
「あぁ……どうして……また……こんな……」
友人が運命に殺される瞬間を間近で見せられてしまう。神様に嘲笑われている気がしてならないが、ここで諦めるわけにはいかない。
真百合は折れそうな心に鞭打ってタイムリープを強行した。
――だが何度やり直しても結果は同じだった。どんな場所に行ってもリリィティアは真百合に告白し、その瞬間に外的要因で死んでしまうのだ。
それでも運命に抗うために真百合は何度も過去に遡った。
町に出かけたらまた交通事故に合ってしまう可能性がある。かといって車の通りがない所なんてもうあまりない。車を回避したとしても、また別の危険があるだろう。獣害に事故、あらゆる要素がリリィティアの命を奪おうとする。
ならばどこにも出かけなければいい。真百合は強引にリリィティアを自宅へ招いた。
「今日はここから一歩も出さないわ」
「え? どうして?」
真百合はリリィティアを強く抱きしめた。唐突な行動に面食らってしまったリリィティアは最初友人同士の冗談だと思っていた。「じゃあ隙を見て外に出ちゃおうかな」などと茶化してみると抱きしめる腕の力が更に強くなった。
真剣な気配を感じ取ったリリィティアは茶化すのを止めた。腕の力は強いはずなのにすぐに砕けてしまいそうな程今の彼女は脆く感じる。普段の勝気な態度がどこにも見えず、何かに怯えているように見えた。
「……一体どうしたの?」
「どこにもいかないで」
泣きそうな声で囁く真百合は子供が母親に縋るような、或いは妹が姉に甘えるような態度だった。母性本能を擽られたリリィティアは真百合の頭を優しく撫でる。
「どこにもいかないわ。だから安心して。不安があるなら話して」
「……私ね、夢を見たの。リリィが死んじゃう夢……」
タイムリープのことを話すか迷ったが、結局夢という形でリリィティアに危険を知らせることにした。コレが現状一番違和感のない警告になるためだ。
しかし真百合を慰めることに徹する彼女には正しいニュアンスが伝わらない。
「悪い夢なのよ……」
「……本当にただの夢ならいいのに……」
真百合はぎゅっとリリィティアを抱きしめる。不思議と今までの彼女との触れ合いが思い出されて涙が流れた。気丈な真百合が人前で泣く姿にリリィティアは困惑した。
「私ね。アンタのこと最初は好きじゃなかった。でも先生のお見合い止めるために共闘したり、遊園地で遊んだりしてる内にこの子は良い子なんだって思うようになった」
「それを言ったら真百合だって最初の印象は悪かったわ。意地悪ばっかりするから」
思い返してみれば苛めっ子まがいの敵意を常に向けていた。それすらもう随分昔のことのように感じる。だが改めて自分の行動を顧みてその酷さに自嘲した。
「……あの時はごめん」
「もう気にしてないよ。それに話してみたら真百合はカッコいいし面白い子だった」
「何それ……」
「だから私が死んじゃう悪夢を見て真剣に悩んでくれてるってのは分かる」
リリィティアは、真百合が悪夢が正夢になることをを心配していると思っているようだが、それでも真百合が自分を本気で心配しているという熱意は伝わったようだ。
「真百合がこんなに取り乱すなんて……貴女の弱さを初めて見た気がするわ」
「私はみんなが思っているより弱いんだよ……」
時間遡行を繰り返して何度も友人の死を見た真百合の心はボロボロだった。意地と使命感だけで過去に戻っていたのだ。もう心が半分壊れかけていた。リリィティアの死を回避するためだけに同じ時間を繰り返す。
絶望的な死に分かれの前に体感する逢瀬の時間だけが安らぎだった。
「大丈夫。私は死なないわ。だから安心して」
どんな時間を過ごしてもどこへ行っても、リリィティアが向けてくる言動全てがとても優しかった。言葉も目つきも抱きしめる腕も全てが温かかった。真百合が求める温もりがあった。安堵感からか気が付いたときには口から感情が出てしまっていた。
「私、リリィのコト好き……」
リリィティアは赤面しながら「私も」と小さく返してきた。
真百合はリリィティアが好きだから彼女を助けたいと思っていた。だが友達としての好意なのか恋愛感情としてのものなのか真百合本人も分かっていなかった。
しばらく抱き合ったままの態勢だったが、外からアリアンナと百合菜の声が聞こえてきて現実に引き戻された。
「妹達が帰ってきたみたい」
百合菜は今日もアリアンナと遊ぶようで一緒に仲良く帰ってきたようだ。リリィティアを今日一日引き留めておくためにも妹達を巻きこんで四人で遊ぼうかと漠然的に考えを巡らせる。――が平和的な幻想は少女の悲鳴でかき消された。
「キャ――!!」
叫んだのはアリアンナのようだ。
同時に百合菜の緊迫した声が鼓膜に響く。
「一体何!?」
窓から見ると明らかに危ない目つきをした男が刃物を持ち、アリアンナに迫っていた。傍にいる百合菜も腰が抜けてしまっている。
「アリアンナ!」
リリィティアは急いで玄関に走った。姉として妹を全力で助けに行くだろう。美しい姉妹愛だ。だが今日は彼女にとって命運を分ける日なのだ。そんな日に命を懸けることをするのは危険だった。真百合は嫌な予感がして叫ぶ。
「駄目よ! リリィ! 戻って!」
真百合の叫びも空しく、リリィティアは靴も履かずにアリアンナを守るように彼女の前に立った。
「アリアンナなら私が助けるからリリィは戻って!」
「薬をよこせぇ!」
虚ろな目で叫ぶ男性は麻薬中毒者のようだ。
涎を垂らし鼻息も荒い彼は妄想と現実の区別がついていないように見えた。
駆け出す真百合の眼には男がアリアンナに襲い掛かるのが映った。それと同時にリリィティアが前に出ようとする。このままでは同じ結末になってしまう。
間に合え! 間に合え! 間に合え!
心の中で叫びながら走った。
だが真百合が男を蹴飛ばした時には彼女の腹に刃物が深々突き刺さっていた。吐血しながら弱弱しい声で「ごめん」と詫びる彼女はゆっくり目を閉じてしまう。
「うわぁぁぁあああああ!!」
アリアンナが叫ぶ声も百合菜が救急車を呼ぶ声もだんだんと遠ざかっていく。
「どうしてリリィは……助けられないの?」
真百合は諦めにも似た気持ちを抱いたまま何度目か分からない過去に戻った。
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