第18話 未恋

 電話からの返答は恋人一歩手前の相手が使う有名な誘い文句だった。在り得ない申し出に多少心が揺れてしまう。自分を叱ってくれることを期待して胡桃に視線を送る。


「真百合ちゃん、夢路君に会ってみたら?」


「え? だって……今は恋愛に現を抜かしている場合じゃ――」


「タイムリープの最初の切っ掛けは誠也君に振られたことだったんでしょ? もしかしたらタイムリープ出来るヒントが見つかるかもしれないよ」


胡桃の助言に納得した真百合は彼の申し出を受けることにした。

根拠はないが、真百合は誠也に会わなければならない確信があったのだ。

胡桃に見送られながら真百合は誠也がいる学校へと走った。


 二人が邂逅したのは学校の屋上だった。


「ごめんね。急に呼び出して」


「ううん、それはいいけど……珍しいね。誠也君から呼び出すなんて」


「園崎さん、最近学校に来てなかったし、悩んでないか心配になってね」


 どうやらリリィティアの死を間近で見て不登校になった真百合を心配していたらしい。

 学校に誘ったのも不登校脱出の切っ掛けを作りたかったからのようだ。


「リリィティアの件は残念だったけど……園崎さんのせいじゃないよ」


「うん、ありがと。胡桃に励まされてそこは立ち直ったんだ。悩んでることは別件でのことで……」


「別件? 悩みがあるなら相談に乗るよ?」


「でも……」


 真百合の身に起きていることは非科学的なことだ。人に話すのは躊躇してしまう。胡桃に話せたのは彼女とは気の知れた仲であるためだ。誠也は片思いの相手ではあるが、オカルト的な話を信じてくれるかは微妙だった。頭がおかしい子と思われてしまうかもしれない。

 どうしようかと真百合が悩んでいると誠也は微笑みながら言った。


「一人で抱えるよりも話してしまった方が突破口が開けるよ」


「……そう、かなぁ」


 黙っていても話が進まないので真百合は誠也にタイムリープの件を話すことにした。

 勿論そのまま彼に伝えるわけにはいかない。少し真実を暈す感じで話をまとめた。


自分はある人物に恋をしてその人と結ばれなかったときからタイムリープができるようになったこと。それから意図せず様々な女の子に告白されるようになってしまったこと。それを回避するために何度もタイムリープしてきたこと。


 馬鹿げた話のはずだが、真百合の話を全て聞いた誠也は納得したように頷いた。


「……なるほど、そうだったんだ」


「信じてくれるの?」


「園崎さんは嘘を言っているようには見えないからね」


 文乃が孤立しないように振舞ったり、香織が実家の会社のために縁談を受け入れようとしていたこと等、未来の情報を知らなければ分からないを真百合が知っていたために色々と腑に落ちたらしい。


「ありがとう。秘密を打ち明けてくれて。今度は俺の秘密を打ち明けるよ」


「誠也君の秘密……? そういえば、リリィも貴方が何か隠し事をしてるって」


「彼女は薄々気づいていたかもね。俺はさ……長くは生きられないんだ」


「病気……なの?」


「世界に症例がない未知の病だよ。だから治療法はない」


 難しい病のようだ。思い返せばアリアンナと彼は病院で出会ったと言っていた。そしてリリィティアが誠也は途中で退院したとも語っていた。それは病気から治ったからではなく、医者が匙を投げたからに他ならなかったのだ。

故に誠也は誰に告白されても断り続けて他者と深い関係になることを拒んでいたらしい。恋人になってしまえば死んだときに悲しませるからである。

 誠也の語ったことは真実なのだろう。しかしあまりにも本人があっけらかんとしているので、真百合も涙を流せない。


「じ、じゃあ何で学校に来てたの? 残された時間をもっと大切にしたら――」


「俺が両親に頼んだんだ。せめて生きている間に学校で思い出を作って、人の役に立ちたいってね。……そして今がその時だ」


 誠也は真剣な目で真百合を見つめた。

 夕日の残照が彼の表情を隠していく。


「園崎さん、過去に戻ってリリィティアを助けてあげるんだ」


「私も助けたいよ。でも……何でか過去に飛べないんだよ」


「君の想いが本物なら不幸な未来を変えられるはずだ。それでも過去に飛べないのだとしたら……何かが錘(おもり)になっているからだと思う」 


「錘(おもり)? それって一体?」


「キミはこの世界に未練があるんじゃないかな?」


 真百合には覚えがなかった。胡桃や家族とはまた過去で会えるし、リリィティアの死を回避することを躊躇ってまでやり残したことなどないはずだ。

 返答に困った真百合は素直にそう答えようと誠也を直視したとき、自分の中に残った未練の正体に気づいてしまった。


 答えは既に見つけていたのだ。――この時間軸ではまだ恋愛に失敗していない。

 無意識の内に彼と結ばれる可能性を考えてしまっていたのが足枷になっていたのである。

 過去に飛ぶためには余計な想いを捨てなければならない。

 覚悟を決めた真百合は未練を断ち切るべく、自分が大事にしていた思いを告白する。


「誠也君! 私は貴方のことが好き! ……でした!」


「うん、ありがとう。キミの気持ちが聴けて良かったよ」


 最後に彼の笑顔を目に焼き付けてから真百合は屋上の扉に手をかける。


「良い恋だった!」


 屋上の扉を開けた瞬間、真百合の意識は過去に飛ぶ。

 真百合が初めて自分の意志でタイムリープを行った瞬間だった。



「ここは……?」


 意識が覚醒したのは教室だった。見渡してみると、そこにはもう会えないはずの人物が存在していた。金髪碧眼で整った顔立ちの少女リリィティアである。

彼女は変わらぬ笑顔を真百合に向けてきた。

 あまりの嬉しさにリリィティアを押し倒すように抱きついた。


「あら? 最近避けられてると思ったけど……勘違いだったかしら」


「リリィ! ちゃんと生きてる! まだ死んでないよね!?」


「おかしなジョークを言うのね。私は生きてるわよ」


 クラスメイトの目も憚らず、固く抱擁し頬ずりまでしてしまう。

 驚きつつもリリィティアは抗おうとはしなかった。


「真百合ってそんなにスキンシップしてたっけ?」


「あぁ、ごめん」


「真百合ちゃん、熱でもあるの?」


 背後から声をかけてきたのは胡桃だった。

真百合らしからぬ行動を不審に思ったようだ。

 リリィティアから離れた真百合は今度は胡桃にも熱い抱擁を交わした。


「ま、真百合ちゃん!? ちょっ、どうしちゃったの?」


「ありがと。胡桃が励ましてくれたおかげだよ」


 よく分かっていない胡桃に「後で説明する」と告げた。

 落ち着いてカレンダーや時刻を確認した真百合は現在がリリィティアの命日だと気づいた。無事に戻ってきたようだ。あの日は真百合がリリィティアを避けていたことで彼女と衝突してしまい、お詫びを兼ねて遊びに誘うことになっていた。


 幸い先程のスキンシップでリリィティアとの衝突という出来事は回避されたようだ。

 このまま彼女を遊びに誘わなければ悲劇的な未来は訪れないはずだ。

 しかし、楽観的な予測を裏切る出来事が放課後に起きてしまった。


「真百合、この後カフェに行かない? ちょっと気になる所見つけちゃって」


なんとのリリィティアの方から誘ってきたのだ。断ることは簡単であるが、それが最善だという保証はない。不貞腐れた彼女が一人で出かけて事故に遭うという可能性は残っている。――ならば一人で残すより自分が見張った方がまだ安全だと言えた。


「リリィ、カフェはまた今度にしない? その代わり今日一日私に付き合って」


「え!? うん。分かった。元々真百合と仲直りしようと思って誘っただけだし、場所はどこでもいいよ」


 胡桃と文乃が用事で一緒に遊べないことも分かっていた。

 リリィティアを守れるのは真百合一人だけだ。既定路線であるならば自分がその手綱を握って死の運命を遠ざけようと覚悟を決めた。


「……どこに行くつもりなの?」


「……隣町に行こう」


 リリィティアが死んでしまう場所から少しでも遠くへ行きたかったという心理だった。物理的に離れれば死も遠ざかるだろうと考えたのだ。単に自分が安心したかったのかもしれない。


「隣町かぁ……」


「リリィは行ったことないでしょ?」


 観光スポットが多いからと説得すると興味を持ってくれているようだ。真百合はリリィティアの手をしっかり握って電車に乗った。手を離してしまえば神様に連れ去られてしまいそうだと感じたからだ。


(真百合の手……あったかい……)


 横目で見ると彼女は真剣な眼差しだった。

 何かを成し遂げようとする覚悟を感じさせる目である。

 未来を知る真百合は友人の死を回避するために必死だった。だが、リリィティア目線で見ると最近冷たくなっていた真百合がいきなり自分に優しくしてきたように映った。

 そのギャップがリリィティアの心を大きく揺さぶったのである。


(何で今日ばかりは私に構ってくれたんだろう? 不自然に優しいし、さっきから眼が合ったら情熱的な視線を送ってくるし。まるで誠也を見ている時と同じ……)

 リリィティアの心の揺れに真百合は一切気づかない。彼女の頭はリリィティアの死の運命に抗うことでいっぱいだったのだ。


 友人を助けたいという気持ちと覚悟は本物だ。しかし真百合の心は不安で満ちていた。本当にリリィを助けられるのだろうか。もっと遠くに離れるべきだったのでは、と心が警鐘を鳴らしてくる。


「真百合? 真百合! ここ降りる駅じゃないの?」


「あぁごめん、何?」


 考えすぎてリリィティアの呼びかけも聞き流していたようだ。折角誘ったのにこれでは本末転倒である。既に扉が閉まる警笛が鳴っていたので急いで電車から降りた。


「……ひょっとして無理して私を誘ってくれたんじゃ……」


「ううん、ちょっと考え事してただけだよ!」


 今日貴女が死にますとは伝えられない。タイムリープ能力も知らないリリィティアに打ち明けることはできない。今更話した所で本気にはされないだろう。仮に信じてもらえても変に不安を煽ればそれこそ取り返しがつかなくなるかもしれない。本人に感づかれないように真百合は必死にごまかした。

 リリィティアが退屈しないように町の歴史や由来について説明する。


「ここは戦国時代にね……落ち武者を村人が匿ったことがあってね」


「へーだから侍守って言うんだね」


 話している最中に視界の端に自動車が近づいてくるのが見えた。

 リリィティアが撥ね飛ばされる光景がフラッシュバックした真百合は、大袈裟に彼女を庇った。何も知らないリリィティアからすれば友人にいきなり抱きつかれた形である。


「ど、どうしたの真百合?」


「いや、車が来たら危ないからさ」


「気にしすぎよ。一々車を気にしてたら生活なんてできないわよ?」


 普段の真百合ならそう思うが、彼女が轢き殺される光景を見てしまった後では懸念を祓うことはできなかった。


(どこか車の通りのない所は……)


 そこで真百合が見つけたのは動物園だった。

 動物園なら園内に入ってしまえば業者の自動車以外は入れない。真百合は迷うことなくリリィティアの手を引いて動物園のゲートに入っていく。


「行こうよ。たまにはゆっくり動物を見るのもいいと思うし」


「私は構わないケド……」


平日にもかかわらずカップルや親子が沢山いた。鳥の囀りや獣の咆哮、それを観て喜ぶ子供達の声。危険らしいものは全く見当たらない。

平和な風景を見た真百合もようやく胸を撫で下ろした。


「見て真百合! アルパカよ! 日本にもいるのね」


 子供のようにはしゃぐリリィティアを見て真百合もほくそ笑む。

 妹想いで不器用であるが、とても優しい女の子。彼女の純粋な笑顔を見ていると危機意識が薄まってしまうが、まだ油断はできない。

 死の運命が待ち受ける時刻まで守り抜かなければならない。


「この子は今日死ぬべきじゃないのよ」


「真百合? どうかした?」


「ううん、なんでもない! あっちに行こう! 猿の楽園だって!」


 不安を悟られないように精一杯明るく振舞った。


 南国の猿を抜けた後もリリィティアは次々に動物を観回った。

お馴染のゾウやサイ、キリンといった子供に人気の種類からアイドル級の扱いを受けて大勢の見物客に囲まれるパンダ等々。動物園を隅から隅まで堪能した。おかげで足が棒になってしまった。


「……結構歩いたわね」


「そうだね。リリィ、カフェいきたがってたしお茶にしない?」


 真百合は動物園内のフードコートを指さた。

 極度に緊張状態を保ち続けたために喉の渇きには抗えなかったのだ。また、飲食店への入店が彼女の死に直結するとは思えなかった。リリィティアも疲労を感じていたようで素二つ返事で入店することになった。


「私は何を頼もうかなぁ」


「私のお勧めは抹茶オレだよ。リリィ絶対気に入るから……」


「え~私の故郷では日本の抹茶は苦いと聞いたけど……?」


「そりゃ本当の抹茶わね。でも抹茶味の食べ物は風味が変わってるだけで苦くないよ。騙されたと思って頼んでみて」


「そう? じゃあ頼んでみる」


 抹茶のやり取りまでは楽しい思い出として残っていた。問題はその後に起こる出来事を回避できるかどうかだ。いつもは隙間時間にスマホを弄るだけだが今日は何度も時刻を確認してしまう。


「さっき頼んだばかりでしょう? そんなにすぐには来ないわ」


「え? あ、うん。そうだね」


 警戒心を解けない真百合とは正反対に嬉しそうに品を待つリリィティア。

 やがてウェイトレスに運ばれてきた抹茶オレを不思議そうに見つめる。そんな彼女の態度がタイムリープする前と全く同じことに気づいて真百合は小さく笑った。


「お、おいしい」


「でしょ? リリィは絶対気に入ると思ったの。でも飲みすぎは駄目よ」


 前の時間軸では二杯目を頼んでトイレが近くなってしまった。そして立ち寄った場所で男に絡まれるというアクシデントが起きたのだ。同じ轍を踏むことはないだろう。

 ゆっくり一杯を飲みながら真百合達はこれからのことを話し合った。


「この後どうする予定とか決まってる? 行きたいところとか」


「そうね……リリィの好きなところでいいよ」


 真百合としてもリリィティアとの思い出を沢山作っておきたかった。彼女に会えなかったのは数日だけだが、もう何年も会っていない感じがしていた。だからこそ彼女の命を救うという目的の他に一緒に過ごしたいという思いもあった。


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