第17話 タイムリープできない
――数日後、西洋式の葬式が行われた。
突然の訃報にも関わらずクラスメイトは元より海外在住のリリィティアの親戚まで大勢の人間が集まった。リリィティアは生前、友達付き合いが苦手という趣旨の発言をしていたが彼女は自分が思っている以上に人に愛されていたようだ。
遺影にはこれかの幸福を思わせるようなとびきり笑顔のリリィティアの姿があった。その場違いな笑顔が殊更に悲壮感を増幅させる。
若すぎる少女の死に参加者は悲しみを隠せない。特にリリィティアの両親と妹は終始涙を流していた。
「私の手術で日本に来たせいでお姉ちゃんは……」
「アリアンナのせいじゃないさ」
父親がアリアンナを抱きしめる。人目を憚らずに号泣しないのは喪主を務めている責任感からだろう。時折声が震えているが、残った家族のメンタルケアに努めているようだ。
――そうアリアンナのせいではない。リリィティアが交通事故にあったのは、あの日町にいたことが原因だ。さらに言うなら――。
「私と一緒にいたせい……」
リリィティアの葬儀後、真百合は家に引きこもっていた。
学校に行くとリリィティアのことを思い出して胸が苦しくなるからだ。
「お姉ちゃん、今日も休むの?」
百合菜は葬儀から一週間経っても立ち直れない姉が心配なようで毎日声をかけてくれる。だが真百合は気力が沸いてこなかった。
「アリアンナちゃんは……どうしてる?」
「落ち込んでるけど……学校には来ているよ」
「……そう」
百合菜は部屋を出て行った。
一人になった真百合はベッドに体を預けて頭を抱えた。
リリィティアがあの日自分と遊ばなければ、あの場所にいなければ、死ななかったかもしれない。近くにいたのに助けられなかった自責の念が心を蝕み続けている。
枕が涙で濡れる。胸に広がる後悔の感情。
瞼に焼き付くのは自分に告白してくるリリィティアの姿だった。
彼女との最期の記憶だけが鮮明に残っている。
――ピンポーン
思い出の中に埋もれた真百合を現実に引き戻したのはインターホンの音だった。
家族が対応したらしく来客はまっすぐに階段を上ってくる。
「真百合ちゃん」
聞き慣れた声に顔を上げると心配そうな胡桃の顔が目の前にあった。いつの間にか日も傾いている。もう学校が終わったようだ。
「みんな心配してるよ。文乃ちゃんと宮部先生は特に」
二人が心配しているのは知っていた。電話やメッセージアプリで精神状態を気遣うメッセージが送られていたからだ。最初こそ差し障りのない文面で返していたが、ここ二、三日前からは返信を送っていなかった。力のない瞳で携帯を確認する真百合は夥しいメッセージが未読のままであることに初めて気が付いた。
「今日は夢路君も真百合ちゃんのこと聞いてきたし……。とても心配してたよ」
想い人から心配されているという情報でさえ真百合の心を癒さなかった。
目の前で友人が死んだショックが大きすぎて恋愛しようという気力さえ湧いてこないのだ。
胡桃は鞄を置いて真百合が眠るベッドに腰かけた。
「まだリリィティアさんのこと気にしてるの?」
「……助けられなかった」
「真百合ちゃんのせいじゃないよ。ドライバーが飲酒運転してたって話だし」
「加害者がどうとか関係ないよ。私はあの場にいたのに助けられなかった」
真百合は自分を責め続けていた。自分が少しでも動けていればリリィティアは軽傷で済んだかもしれない。そもそも事故自体を回避できたかもしれない。
もし時間を巻き戻せたらと何度も考えてしまう。
「そうだ、真百合ちゃんのタイムリープ能力なら――」
「もう試したの……」
「へ?」
「何度も過去に飛ぼうと思った! でもタイムリープは発動しなかったの!」
リリィティアが轢かれたとき真百合は泣かなかった。心のどこかで「自分にはタイムリープ能力がある」という余裕があったためである。
彼女が搬送される救急車の中で、彼女の手術室の前で、そして葬式中も過去に飛ぶように祈り続けた。リリィティアが交通事故に合う前に戻ろう―と。しかし駄目だったのだ。何度祈っても、願っても真百合の意識が過去に飛ぶことはなかった。
「どうして……?」
「分からない。思えば今までも自分の意志で飛んだことはないし……もう飛べないかも。ううん、今までのことだって私の妄想かもしれない。夢でも見ていたのかもしれない」
何度もタイムリープに失敗する内に真百合は自分の能力の有無にすら自信が持てなくなっていた。初めからそんな能力など持っていなかったと仮定すればタイムリープできない理由に説明が付くからだ。真百合の精神は限界が来ていた。
「私は真百合ちゃんに相談された時の記憶があるよ?」
「それだって私の夢だったのかもしれないじゃないっ! どうして信じられるのよ!」
「幼馴染だからだよ!」
普段の穏やかさからは考えられない声量だった。
驚く真百合を胡桃は優しく抱き寄せた。
「私はずっと真百合ちゃんを観てきたから、嘘ついてるかどうかくらい分かるよ」
「胡桃……」
「もし自分が信じられなくなったら私の言葉を信じて」
一週間ぶりに触れた人肌の温もりが冷めた心まで温めてくれる。
優しく撫でられる間に麻痺していた感情が動きだした。
真百合は溢れだす涙を抑えられず胡桃の胸元が濡らしてしまう。だが彼女は自分の服が汚れるなどお構いなしに真百合が落ち着くまで頭を撫で続けてくれた。
真百合はリリィティアが死んだときの哀しみをも吐き出す勢いでひたすら泣き続けた。
涙が枯れるまで泣いた真百合の心に残ったのは「リリィティアを救いたい」という想いだった。タイムリープさえ発動できれば彼女の死を回避できるのだ。
「胡桃、どうしてタイムリープできないんだろう? 私、リリィを助けたいのに」
「タイムリープについてもう一回考えてみよっか。回数制限とかはないよね?」
「それは……分からない。あったらもう終わりだよ」
「じゃあポジティブに考えよう。発動条件が違うのかも。真百合ちゃん、今までタイムリープしたときのことをもう一回思い出してみて」
見落としがないか過去に記憶を手繰り寄せる。
「確か、一度目は誠也君に振られたとき、二度目は文乃に告白されたとき、三度目は先生に勘違いされたときかな……」
「どれも真百合ちゃんが恋愛に失敗して後悔した時だね」
「恋愛に失敗?」
胡桃が何気なく呟いたワードが引っかかった。
確かに今までは失敗したからこそやり直しができたのだろう。だが今回は誠也に振られたわけではない。好意を寄せられ告白されたリリィティアは死んでいる。そして彼女はつい最近まで恋敵だったのだ。誠也攻略に最も邪魔な存在だった。
彼女が既に誠也を恋愛対象とみていない。とっくに身を引いている。もう恋敵ではないのだ。だがその容姿とプロポーションへの嫉妬は残っていた。
「――私がリリィティアを疎ましく思っている?」
「それは違うよ! 真百合ちゃん!」
「だってそうでしょ! リリィティアは恋敵だったし、いなくなってしまえばいいって思った時もあるし! だから私は本心ではリリィを……」
「真百合ちゃんがそんな嫌な子じゃないよ! 今までだって身体を張って文乃ちゃんをイジメから助けたじゃない! 先生のお見合い会場に乗り込んで大人相手に啖呵を切っていたじゃない! 真百合ちゃん」
「……ちょっと待って。どうしてそれを〝今の胡桃〟が知ってるの?」
確かに真百合はタイムリープ前の出来事を胡桃に相談していた。
失敗を回避するために聡明な彼女の知恵を借りていた。その際、漠然的に状況を説明することもあった。
しかし彼女は知りすぎているのだ。
文乃の時は「苛めから助けたら好意を寄せられた」程度にしか話していない。宮部香織の件も縁談相手に啖呵を切った」と話したことは一度もなかった。
明らかにその場にいなければ知るはずもないことをまるで見てきたかのように話している。
追求すると胡桃は観念したようで躊躇いながら口を開いた。
「……最近ね、夢を見るの」
「夢?」
「うん、真百合ちゃんが何かをする夢。その夢の中の出来事が、私が体験した真百合ちゃんとの思い出と若干ズレてることがあって……。最初は変な夢だと思ってたんだけど、真百合ちゃんからタイムリープの話を聞いて、もしかしたら私は違う世界を夢で見ているのかもしれないって思ったの」
真百合から語られるタイムリープ前の時間軸で起こった出来事は胡桃が見た夢の内容と奇妙なほど一致していた。故に自分が並行世界の記憶を垣間見ていると確信したのだ。
「だから私の話を簡単に信じてくれたんだね」
胡桃は真剣な眼で頷いた。
「夢の中で見る真百合ちゃんは、リリィティアさんのために頑張ってたよ? アリアンナちゃんの手術を説得してたし……」
それはまだタイムリープしていない現在の時間軸において起こった出来事だ。
あの場には胡桃はいなかったはずだが夢の中では関係がないようだ。真百合が他者から好意を持たれる経緯の出来事は夢として認識できるようである。
「リリィティアさんのために必死になってる真百合ちゃんが彼女を疎ましく思ってるはずがないよ。だから馬鹿な考えは捨てて」
「……うん、分かったよ。でもさ、何で胡桃が違う世界で起こった過去のことを認識できるの?」
「それは……」
胡桃は言い辛そうに視線を泳がせている。
夢を使って並行世界の記憶を垣間見る以上の秘密をまだ持っているようだ。
「胡桃、この際隠し事はなしだよ」
「……実は真百合ちゃんがタイムリープしちゃう原因を作ったのは私かもしれないの」
衝撃の告白に真百合は言葉を失う。
頭の整理が追いつかない。どんな理由でタイムリープ能力を付加してくれたのか。そしてなぜ胡桃本人ではなく真百合だったのか。聞きたいことが色々あったが脳のキャパシティを超えて言葉が出てこない。
「最初に見た違う世界の夢はね、私が神社で祈る夢だったの」
「神社?」
「ほら、近所にあるでしょ。縁結びの神社とか言われてて子供の頃よく境内で遊んだじゃない?」
胡桃の説明を受けてようやく思い出した。初詣は他の大きな神社に行くので存在を忘れていたが、確かに真百合や胡桃の家の近くに古びた神社があったのだ。
「いつかどこかにいる私が祈ったんだよ。真百合ちゃんの恋が成就しますようにって……。それしか心当たりないし」
縁結びの神様が胡桃の願いを叶えてくれたのかもしれない。
願った本人に結果を見届けさせるために並行世界の夢を見させているのかもしれない。
「きっとその世界の私は真百合ちゃんに後悔してほしくなかったんだと思う……」
「それが何でタイムリープにつながるの?」
「さぁ、私は神様じゃないから分かんないよ。『色んな恋をして納得の行く未来を選びなさい』ってことなんじゃないかな?」
「色んな恋をして納得の行く未来を選ぶ……か。だとしたら私、納得できていないよ。私がたとえ誠也君と結ばれたとしても結ばれなかったとしても、リリィが死んでる未来なんて選びたくないもん」
「うん。じゃあ今から神様にもう一度お願いに行こうよ」
胡桃に手を引かれて寂れた小さな神社まで走る。
子供の頃によく使った懐かしい裏道を通って神社に辿り着いた。
「随分寂れちゃったけど……懐かしいね」
「よくかくれんぼとかしたよね」
二人は思い出に浸りながら本殿まで向かう。おみくじやお守りを買う販売所も無人である。昔は年を取ったおばあさんがそこにいたのを覚えている。
(あのおばあさん引退したのかな……?)
すぐ近くには絵馬の飾り場所がある。『受験に合格』とか『○○大会優勝』とかありきたりなお願いがかかれていた。
その中でも真百合は一つの絵馬が気になった。飾り場所の横にある木の枝に括られていたものだ。字体からして子供が書いたようだ。随分前に書かれたようで雨で文字の一部がかすれてしまっているが、「結婚できますように」という文面だけは読み取れた。
(微笑ましいな……)
真百合は小さな男の子と女の子が二人で書いたんだろうなと思いながらその横を通る。きっとこれを書いた誰かも大人になっているのだろう。名前も知らない誰かの恋愛成就を祈っている内に本殿の前まで辿り着く。
「真百合ちゃん、願ってみて」
「……うん」
賽銭箱に小銭を入れて拝む。
もう一度過去に遡ってやり直したい。リリィティアを救いたい。言葉は違えども心に沸いてくる願望は一つだけだ。
この神社が時間遡行能力をくれたのならば、神頼みも有効かもしれない。
一番やり直したい記憶を思い描いて意識を過去に集中した。
――しかし真百合の意識はハッキリしていた。
時間遡行の予兆である目眩も頭痛も感じない。
「……駄目だ。タイムリープできない」
「……そっか」
諦めきれない真百合は財布から万札を取り出した。
願いが届かないのは神様への供物が足りないのではないかという案直な発想である。
「真百合ちゃん!? それは全財産じゃないの!? 今月ピンチだって言ってたよね!?」
「タイムリープするからいいっ! 諭吉よ! お前の力を見せてくれ!」
躊躇なく万札を賽銭箱に投入した真百合は祈った。
自分の恋愛は二の次で良い。今は友人を助けたい――と。
だが五分待っても変わらなかった。金額の問題ではないようだ。
「……ダメかぁ~」
「考え方は間違ってないはずだよ。ここの神様への祈りから始まって、真百合ちゃんの恋愛に対する後悔、やり直したいって気持ちがタイムリープを引き起こしていたんだと思う」
「確かに、最初は誠也君に振られたときだったからなぁ……」
――その時、真百合に携帯の着信が入った。
意外なことにかけてきた相手は誠也だった。今まで彼から直接電話をかけてくることは滅多になかった。驚きつつも通話状態にして耳に当てる。
片想いの相手からの電話だ。以前の真百合なら泣いて喜んだだろう。だが今はリリィティアやタイムリープができないことに悩んでいる。誠也と恋愛に興じている時間はないのだ。真百合の声音は自然と事務的なものになった。
「もしもし誠也君? どうかしたの?」
『園崎さん、今から会って話せないかな?』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます