第16話 特異点
背後に気配を感じたリリィティアが振り返ると見知らぬ男達が下卑た笑みを浮かべながら立っていた。品定めするような視線を送ってくる男達は善良な一般人には見えない。
「外人のネーちゃん、俺達が日本を案内してあげるっていってるじゃん」
「俺たちと国際交流しなぁい?」
「必要ないデス! 私は人を待ってマス!」
完全に拒絶の意思表示をしているが、頭が悪いのか諦めが悪いのか男達は引き下がる気配はなかった。それどころか強引にリリィティアの腕を掴んで連れていこうとする。
日本は治安が良い場所だと思っていたので完全に油断してしまった。
どこの国だろうと社会から逸脱した不良は存在するのだ。久しく慣れていなかった悪意に晒されたリリィティアは脚が竦んでしまった。女の子の力では男二人には抵抗できない。
(怖い……誰か、誰か助けて!)
「アンタら何やってるの! リリィから手を離しなさい!」
駆け付けてきたのは真百合だった。急いできたようで濡れた手を吹くことさえ忘れている。一瞬男達が怯んだ隙に手を振り払い、リリィティアを背に庇うと、彼らを睨み付けた。
「おやぁ? お友達も参入?」
「いいよいいよ! ちょうど二対二だし遊びに行こうよ!」
「アンタら……それ以上近づかないで」
「へー? 近づいたらどうなっちゃうわけ?」
男二人は結構筋肉質な体系だ。正攻法で喧嘩しても女の真百合では勝てないだろう。障害物が少ないために逃げ切ることも難しい。だが真百合には秘策があった。
「警告に従わなければ、アンタらを末代まで呪う!」
「呪いだぁ?」
「この二十一世紀にそんなもんあるかよ!」
完全にハッタリだと思っている男達は真百合達に近づいてくる。
「真百合……」
心配そうに袖を引っ張るリリィティアに「大丈夫」と笑いかける。
直後、真百合は男の懐に入り込むと思いっきり右足を上げた。彼の股間に向けて。
「くらえ! お母さん直伝の〝末代殺し〟!」
「げふっ!」
股間を押さえて悶絶する男。連れのもう一人が唖然としている間に彼にも同じ技を御見舞いする。奇襲で一度しか使えない護身技であるが、その分威力は高かった。
二人が動けなくなっている間に真百合はリリィティアの手を引いてその場から離れた。
「呪いって言うか物理じゃねーか……」
「畜生……まだ一度も使ってねーのに……」
全力で走って遠くまで離れた真百合達は立ち止まって息を整えた。
「ハァハァ……日本の面汚しめ……。リリィティア大丈夫だった?」
真百合の袖を力強く掴むリリィティアは震えていた。
遠く逃げてもまだ声を出せない程怯えているようだった。
自分が一人にしたからだと責任を感じた真百合は彼女を落ち着かせるため優しく抱きしめ子供をあやすようにその頭を撫でた。
「大丈夫大丈夫。私がいるからね」
「怖かった……。日本は治安が良いと聞いていたので油断してしまって……」
だが恐怖はまだ終わらっていなかった。
先ほどの男達が自分たちを探して追ってきたのだ。
「あのアマどこ行きやがった!?」
「金髪だから目立つ! まだこの辺にいるはずだ!」
殺気だってあたりを見渡している。
まだこちらに気づいていないようだが見つかるのも時間の問題だろう。
「どうしよう……真百合」
「こっち!」
真百合は再びリリィティアの手を引いて狭い路地裏に入った。
そのまま進めば大通りに抜けてしまうため敢えて物陰に隠れて身を潜める。
震えるリリィティアを抱きしめながら男達が去るのを待った。
真百合も緊張しているようで胸の鼓動がリリィティアにも伝わってきた。彼女がつけているほのかな香水の香りが心地いい。
「真百合……」
抱きしめられているリリィティア自身も胸の鼓動が高鳴っているのを自覚する。
脳裏に過るのは自分を守って屈強な男達の前に立ってくれた真百合の背中だった。
体格は真百合よりもリリィティアの方が勝っている。にも拘らず真百合は自分を守るために二人組の男性相手に立ちまわった。守る背中は力強かった。握る手は暖かかった。「大丈夫」と話す声は優しかった。
真百合に抱きしめられ、その胸に頭を預けている間にもリリィティアの心臓の鼓動が速くなる。追われている緊張感からではない。
(私、真百合が好きなんだ……)
リリィティアはここに来て初めて自分の恋心を自覚した。恋心が芽生えたのは文乃や香織先生を助けたのを見た時だろうか。蕾になったのは遊園地で話をした時だろうか。明確な時期は不明である。だがその恋心が今開花したのははっきり今だと分かった。
「もう行ったみたいね……」
「……ソウデスカ」
「リリィったらまた片言になってる。よっぽど怖かったんだね~。でももう大丈夫」
怖がっているリリィティアを不安にさせまいと真百合は笑顔を向ける。恋敵ではなくなったが故に元来の優しさがそのまま向けられたのだ。
その太陽のような笑顔をリリィティアは直視できなかった。
一方、真百合達を見失ったナンパ二人組はまたしても地面に伸びていた。
彼らをのしたのは夢路誠也だった。
「やれやれ女の子なのに無茶するなぁ。俺がたまたま通りかかったからよかったけど。……君達、あの二人に近づいたら駄目だよ」
「……はい」
「もう勘弁してください」
二対一で完膚なきまでに打ちのめされた男達は完全に戦意喪失していた。
二人から反省の色が見えたことを確認した誠也はその場を立ち去った。
真百合が警戒しながら表通りに出たとき、携帯が鳴る。メールの差出人は誠也からだった。文面には『もう安心していいよ。女の子が無茶しすぎ』と書かれていた。周囲を見渡すと一瞬夢路誠也の背中が見えた気がした。
「誠也君……」
そのメールからすべてを察した真百合は「ありがと」とだけ返信した。
「リリィ、もう変な奴に絡まれる心配はしなくていいって」
携帯を仕舞ってリリィティアの方に声をかけると、彼女は真百合の髪留めを自分の髪に着けていた。
「リリィそれ……」
「えへへ、似合う?」
「うん。私より全然似合うよ」
お世辞でも何でもなかった。本当にリリィティアの金髪にその髪飾りは映えていた。
(でもなんで今更つけようと思ったんだろう?)
首を傾げる真百合の手が掴まれる。
「気晴らしにどこか行こう!」
折角の遊びが嫌な思い出で終わってしまうのは真百合としても嫌だった。真百合は近くに楽しめる施設はないかと見渡した。ちょうど映画館があった。
「んじゃあ映画でも見る? 走って疲れたし……」
「そうね。ホラーにしよっか」
「絶対やめてよ!」
怖がりの真百合を揶揄えるくらいには元気を取り戻したようだ。
この温かい雰囲気を維持するため、談笑しんがらポップコーンとチケットを買いに行く。
二人が選んだ映画は恋愛モノだった。別に好きな俳優がいたとか、今流行りだからとかではなく単純に時間が近かったからだ。平日だからか席は結構空いていたので一番見やすい隣通しの席を予約した。
「映画って始まる前の雰囲気が一番楽しいんだよね」
「分かる。何かわくわくするよね」
ポップコーンを頬張りながら、長いCMの時間を潰す。やがて『映画鑑賞に関する注意事項』の告知を合図に二人は沈黙して視聴態勢に入る。
スクリーンを凝視するリリィティアは自然な様子で真百合の手を握る。少し驚いた真百合だったが、男性に絡まれた後だったので不安が残っているのだろうとその手を握り返した。
上映される映画は明治大正くらいが舞台の話で、親の決めた許嫁が気に食わない女性と許嫁に本気で惚れた男性との恋模様を描いた作品だった。
当時は自由恋愛が許されていなかった上に男性の浮気が今より寛容な時代であるため、ヒロインは許嫁が気に入らず、女学校で同性相手に自由恋愛をする。
しかし親元にそれが露見し、ヒロインも相手の女の子も女学校を退学処分になってしまう。軟禁状態のヒロインに元気になってもらおうと尽くす許嫁の主人公。
ヒロインは徐々に態度を改め、許嫁の優しさに惹かれていく。そして家長に「二度と会わせない」と言われて引き離された女学校時代の恋人と密かに会わせてくれたことがきっかけにヒロインは完全に許嫁に心を奪われる。
二人が結ばれてハッピーエンドというお話だった。
映画の内容は皮肉にもリリィティアを取り巻く状況に似ていた。
誠也に恋する真百合と真百合に恋する自分に重なってしまう。
映画と同じ結末ならば、真百合と誠也が結ばれてリリィティアは一人取り残されることになる。友人の恋を応援すると約束したのにその友人本人に惚れてしまったのだ。
孤独感と罪悪感が混ざり合い心を絞めつけられる。
感情の濁流に耐えきれなくなったリリィティアは涙をボロボロと零した。
「どどど、どうしたの?」
「なんでもない……なんでもないの」
涙を拭いながらクライマックスを鑑賞する。
真百合はリリィティアが映画のシーンに感動しているのだろうと勘違いしていた。
「いやぁ~、案外面白かったね。主人公もイケメンだったし」
「……そう、だね」
映画館を出る頃にはすっかり日が暮れていた。
一時間半の映画といっても放課後に観ればいい時間になってしまうだろう。
夜空には星々が瞬いていた。
「綺麗だね」
「……そうだね」
真百合は夜空を観ていたが、リリィティアの瞳には真百合が映っていた。
「私も映画みたいに恋が成就できればなぁ」
「……うん、応援……してるよ」
真百合の呟きから先ほどの映画を思い出したリリィティアは焦燥感にかられていた。
どんなに強く想っても所詮は同性同士。魅力的な異性に奪われてしまうだろう。まして真百合が恋慕するのは一度はリリィティア自身が惚れた少年である。
相手がどれだけ強敵かは自分の経験上よく分かっていた。
(真百合はいつか誠也に告白してしまう。根は良い子だから誠也も好きになっちゃうかも。そうなる前に……)
「リリィ、今日は楽しかったね」
無邪気に微笑みかける想い人。遠からずその笑顔が別の誰かのモノになってしまうと考えるとリリィティアは胸が張り裂けそうになった。
「早く歩かないと置いてっちゃうよー」
真百合はリリィティアの心の葛藤に気づかずどんどん先に進んでいってしまう。
そのまま恋を成就させて手の届かない所に行ってしまう気がしてリリィティアは感情のままに想い人の名を呼んだ。
「真百合! 行かないで!」
「何? まだ遊び足りないの? 明日があるじゃん」
「そうじゃなくてっ! 私はっ……!」
声が詰まった彼女は大きく深呼吸する。
時間を置けば真百合は誠也との恋愛を成就させてしまう。その焦りがリリィティアの背中を押したのだ。赤面しながら思いの丈をぶつけたのである。
「私は貴女のことが好きなの!」
そよ風が二人の髪を撫でる。
(あぁ……やっぱありこのパターンなのね……)
真百合は動揺しなかった。リリィティアの今日までの行動が真百合への好意を示していたのは何となく気づいていた。彼女は「恋を応援する」と言って真百合への恋心を否定していたが、それは彼女自身に自覚がなかっただけだったようだ。
しかし真百合は誠也を狙っている。リリィティアのことは嫌いではないが恋人として付き合えるかと言われれば微妙である。
女の子に何度も告白されているので同性愛について偏見があるわけではない。付き合ってしまえば考え方が変わるのかもしれない。だが誠也への想い一つで今日まで奮闘していた真百合は彼女の想いに応える気は毛頭なかった。
「リリィ……私は――」
返事をしようとした真百合は視界の端に猛スピードの車が突っ込んでくるのが見えた。この瞬間、世界の時間は遅延したかのように見えた。
『キキィィ――――』
耳に劈く車のブレーキの音。跳ね飛ばされるリリィティア。
統べて目の前で起こった出来事なのにドラマを見ているように現実感がなかった。
リリィティアの身体が地面に叩き落とされると同時に周囲から悲鳴が聞こえてくる。
その悲鳴で我に返った真百合は急いで彼女の元へ駆けつけた。
「リリィ! しっかり! 返事をして!」
頭から血を流しているリリィティアは意識を失っているようだ。
それでも医学の知識もない真百合は必死に彼女に呼びかけるしかなかった。
流血は治まらず、リリィティアを抱く真百合の腕は血に染まっていく。
到着した救急車の担架に乗せられている間も真百合は必死に呼びかけ続けた。
血塗られた髪飾りを現場に残して救急車は病院へと急いだ。
集中治療室に運ばれた後も真百合はひたすらリリィティアが助かることを祈った。
間もなく駆け付けた彼女の両親と共に彼女の無事を待った。
遅れてアリアンナが息を切らせてやってくる。百合菜も一緒だった。
「お姉ちゃん! アリアンナのお姉さんが事故にあったって!?」
「……うん。ごめん。私が付いていながら……」
「真百合さんのせいじゃないです……。きっと、きっと姉は助かります!」
涙をいっぱいに溜めながらアリアンナが健気に慰めてくれる。
誰もがリリィティアの無事を信じていた。つい数時間前まで笑っていた彼女が唐突に死ぬわけがないと考えていた。
しかし一時間後、手術室から出てきた執刀医が残酷な運命を告げる。
手術室からは、顔に布を被せられた少女が運ばれてきた。
母親は娘の骸を抱いて涙を流し、父親は人形の糸が切れるかのようにガックリと床に膝をつく。廊下にはアリアンナは号泣する声がいつまでも響き渡っていた。
「リリィが……死んだ……?」
真百合は目の前が真っ暗になった。
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