第12話 姉妹の和解
観覧車に待ち時間はなかった。夕暮れ時はカップルに人気であるが、まだ若干時間が早かったらしい。すんなりと乗りこむことができた。
二人の乗ったゴンドラはゆっくりと上っていく。
高度が上がるにつれて遊園地敷地内のアトラクションが一望できるようになる。絶叫マシンやお化け屋敷、お昼を食べたお店など思い出を振り返ることができるのだ。
(どうせなら誠也君と来たかったけど、まぁこいつと来るのも悪くはなかったかな)
そんなことを考えていると、リリィティアと目が合った。
随分顔色がよくなったので真面に会話ができるくらい回復したのだろう。
真剣な眼差しから察するに「大事な話」とやらが聞けそうである。
「あなた、深夜に妹を訪ねてきたよね?」
沈黙する真百合に髪留めをつきつけられる。
失くしたと思っていたものだったので咄嗟に「私の」と呟いてしまった。
慌てて口を塞いでも後の祭りである。
「これはアリアンナの病室に落ちていたものよ」
「ゆ、夕方お見舞いに行ったときに落としたんじゃないかなぁ」
「私が帰る時に一通り掃除したので夕方にあなたが落としたものじゃないわ。コレを見つけたのは昨日の朝だもの」
真百合は観念したように肩を落とした。決定的な証拠品を出されれば言い訳は思いつかない。真百合が妹に会ったことを証明したリリィティアは本題を切り出した。
「――妹に何と言ったの?」
「別に。早く手術を受けるようにって言っただけだよ……」
「部外者が口を挟む問題じゃない。あの子自身が決めることよ。私達家族だってあの子の意思を尊重してずっと待っているのに勝手なことしないで」
身内のデリケートな問題に赤の他人が首を突っ込めば怒りを覚えるのは当然である。
しかし彼女の言葉はいささか不自然だった。まるで手術を受けること自体を遅らせたいような口ぶりだ。
そこで思い出すのはアリアンナの言葉である。
聡い彼女が「病気がなくなれば愛情もなくなるのではないか」と家族の情を疑っていた。今のリリィティアの態度を見ればその疑心を抱くには十分だろう。
「確かに家族の了承を取らずに勝手に先走ったことは謝るよ。けど、家族の眼があったらあの子は本音で話してくれないと思ってね」
「どういうこと?」
「手術から逃げてるのはアリアンナちゃんだけど、あなた達家族もなんじゃない?」
明らかに動揺するリリィティアの態度は妹とそっくりだった。やはり家族だけあって同じ懸念を抱いていたようだ。
自分の仮説に確証を得た真百合は一気に畳みかける。
「今までは病室にいる妹にお見舞いに行くだけで良かった。けど、あの子が退院したら当然家に戻る。今更どう向き合ったらいいかわからないんじゃないの?」
「そんなことは……ないわ。ちゃんと歓迎するし、私達はいつだって!」
「じゃあ何で手術を受けさせなかったの? そのために日本に来たんでしょ? 姉であるリリィティアが背中を押してあげるべきだったんじゃないの?」
リリィティアはゴンドラの壁際まで追い込まれた。
密室空間で追及を受ければ逃げだすことはできない。互いの吐息が掛かる程の至近距離で真っ直ぐ見つめられれば答えをはぐらかすこともできない。
逃げ場を失ったリリィティアは自身の隠していた気持ちに向き合わざるを得なくなった。
――幼少期、リリィティアはアリアンナと一緒に遊びたがった。
しかし病気を患っていた妹を外に連れ出すことができなかった。
「アリアンナは病気だから家で休んでなきゃダメなの」
「じゃあマミィかダディが遊んでよ」
「悪いね、お父さん達はアリアンナのことで忙しいんだ。一人で遊んでおいで」
両親は病弱な次女を気遣うばかりに長女の扱いを疎かにしてしまった。仕方のないことなのだが幼いリリィティアは我慢できなかった。
「ダディもマミィもアリアンナのことばっかり! ホントは私と遊びたくないのでしょ!」
「そんなことないよ。今が重要な時期なんだ」
「いつもそう言ってるじゃない! 私はいつまで待ってればいいの! もうっ! ダディ達を独り占めにするアリアンナなんていなくなっちゃえばいいんだ!」
ありふれた子供の無配慮な我儘だった。しかし、当時命が脅かされていた次女を抱えているオルドリッジ家においてその言葉は禁句だった。
普段は怒ったことがない父親がリリィティアの頬を打った。
「あの子は病気なんだ! 何故そんな酷いことが言える! お前は姉として病気の妹を支えることもできないのか!」
父親も日々の多忙に加えてアリアンナの病気のことで余裕がなくなっていたためにリリィティアのことまで気が回らなかったのだ。
リリィティアは懇々と説教されている内に「アリアンナは病気だから両親の愛情を独占して当然」という考えが心に刻まれていく。
その後も日常的に「病気の妹」を理由に「配慮すべき姉」としての立場を求められたリリィティアは自己暗示が働くようになった。
妹の容態が急変して誕生会を中断されたときも、遊園地に行けなくなったときも「仕方がないこと」として受け入れるようになっていった。
しかしアリアンナが長期入院することになった際、リリィティアは初めて両親からの愛情を独占することになる。両親に気にかけてもらえたリリィティアは妹がいない自宅に居心地の良さを覚えてしまう。
それでも自分を姉として慕う妹への愛情が無くなった訳ではなかった。
病院にいる間は妹が優先、家にいる間は自分が優先されるという境界がいつしか出来上がってしまったのである。
故に妹の退院は境界を揺るがす無視できない出来事だった。
気が付くと涙をこぼしながら自身の心境を吐露してしまっていた。
心根を晒しても真百合は責めることなく傍に寄り添い耳を傾けてくれていた。
「……愚かな姉だって軽蔑した?」
「私も妹がいるからね。大なり小なり姉ってのは妹に嫉妬するもんなのよ。アンタが醜いとは思わいし愚かだと思わない。けれどやっぱり腹割って話し合った方がいいと思う」
「今更私が何て言えばいいか……」
「思ったことを伝えればいいよ。これからアリアンナちゃんの所に行こう! 私もついていってあげるし!」
「……ありがとう」
真百合が同行を申し出たのは善意からではなかった。彼女達姉妹が仲直りし、アリアンナの手術が成功すれば二人が日本に留まる理由がなくなるからだ。
一応「誠也から身を引く」という約束はしているが、リリィティアが故郷へ帰るなら誠也が彼女と結ばれる可能性はほぼゼロになる。
即ち恋敵を一人蹴落とせるのである。
二人がゴンドラから降りると、遅れて背後のゴンドラから胡桃たちが出てきた。
疲労が溜まっていたのか隠れることを忘れて鉢合わせてしまったのである。
「偶然だね。真百合ちゃん」
「嘘つけ! 絶対つけてきてたでしょ!」
「尾行ゴッコ楽しかった!」
「文乃ちゃん! バラしちゃだめだよ!」
真百合は頭を抱えた。だが「心配ならついてきて」と言ってしまったのは自分なので強く批判はできなかった。それを分かってか胡桃は盛大に開き直った。
「真百合ちゃんが悪いんだよ! リリィティアさんの目的を探るだけとか言いながら普通に遊園地楽しんでるし!」
「いいじゃない別に! それに目的はもうわかったから」
「へ? そうなの?」
「うん、アリアンナちゃんの病室に忍び込んだ件を怒られてただけ」
胡桃は納得したように胸を撫で下ろした。また女の子との恋愛関係に発展していないか気を揉んでいたらしい。
「私達はこれから謝罪を兼ねてもう一度御見舞いに行くから先帰ってて」
「そういうことなら……うん、分かった。また明日ね」
真百合は敢えて姉妹仲の取り持ちに行くとは言わなかった。
自らピエロを演じてまで自然に病院まで付き添う状況を作り上げてくれたのである。
恋敵を早く故郷に帰したかった真百合が面倒を嫌っただけなのだがリリィティアは配慮してくれたのだと誤解していた。
病院に着くと、アリアンナの病室は騒がしくなっていた。
なんと担当医とリリィティアの両親が集まっていたのだ。
「リリィ、ちょうど良かった。今から呼ぼうと思っていたんだ」
「ダディ? 一体これはどういうことなの?」
「私、手術受けることにしたの。いつまでも逃げてばかりじゃ駄目だから」
先にアリアンナが自分の感情と向き合っていたのだ。
リリィティアは涙を流しながら妹を抱きしめる。
無事に彼女の手術が成功すればリリィティアの隠していた黒い感情は表に出さなくて済む。今まで通り家族想いの姉としての立場を維持できるだろう。
しかしそれでは駄目だと一歩踏み出した。
「ごめんね、アリアンナ。私、本当は貴女に嫉妬してたの。病気だからって大事にされる貴方に……。だから無理に手術を勧めなかったのよ。貴女が家に帰って来たら私の居場所がなくなるのかと思って……」
リリィティアのカミングアウトにアリアンナばかりでなく同席する両親も驚愕していた。
だが自身が娘を蔑ろにしていた自覚があったためかリリィティアを責めることはしなかった。そしてアリアンナもまた素直に胸中を打ち明けてくれた姉を受け入れた。
「私の方こそごめんなさい。病気を理由にずっとお姉ちゃん達に甘えてたわ」
異なる価値観を持つ人間同士は本音を隠した方が分かり合える時の方が多いだろう。
しかし血の繋がった家族が互いに本心を隠し続けていれば重要な意思決定の場で拗れてしまうことがある。オルドリッジ家にとってそれはアリアンナの手術という形で現れた。誰が悪いということではない。些細な切っ掛けで歯車が狂っていたのだ。
そしてその狂った歯車を正したのは姉妹の決意と絆だった。
抱擁を終えたアリアンナは主治医に促されて手術室に向かっていった。
「真百合は人の心の扉を開くのが上手ね」
「たまたま上手くいっただけよ」
「アリアンナや私だけじゃない。文乃だって私には距離を置いてた」
「そういえば、リリィは誠也君を通じて文乃とも顔見知り……なのよね」
病人のアリアンナが当時入院していた誠也と親しくなり、誠也の見舞いに来ていた文乃とも顔見知りになっていてもおかしくない。
「あの子は貴方にはすぐに心を開いたわ。あなたはそう言う素質があるのかもね」
「素質ね。誠也君の心の扉は未だに開かないんだけど……」
タイムリープ前に誠也に告白したことを思い出して自嘲した。
「誠也……か。真百合は誠也が好きなんだね」
「当然よ。アンタもでしょ?」
「昔はね……」
「昔? 今は違うってこと?」
「彼には一度告白してるの。でも振られちゃった」
「ハァッ!?」
衝撃の告白だった。二人は結構親し気にしているようだったが、既に恋愛関係には成り得ない間柄だったのだ。だから遊園地への誘いに誠也を諦めるという条件をつけていたのである。
「な、何で振られたの? アンタ、ルックスいいじゃないいの」
「ふふ、真百合から褒められるなんてね。……私も自信があったんだけど、誠也には『友達のままでいよう』って断られちゃった」
よくよく思いだしてみれば時間遡行前の時間軸でもリリィティアは誠也と恋仲になっていた訳ではなかった。非常に親しい異性の友人という表現が正しいかもしれない。
スキンシップが多いために勘違いしてしまっていたのである。
しかしリリィティアが恋敵でないとすれば真百合が振られた理由に益々検討がつかなくなる。彼女以外に誠也が親しいと思われる女友達がいないからだ。
(ん~分からない! どうして誠也君は私を振ったの!? リリィティアまで振ってたって一体どういうこと!?)
誠也の真意が掴めず真百合は頭を抱える。
結局アリアンナの手術が終わるまで悩んでしまった。
やがてリリィティア達の喜ぶ声を聴いた真百合はハッと我に返る。
手術は無事に成功したらしい。扉から出てきたアリアンナは麻酔が効いて眠ったままであるが顔色はとても良さそうに見える。彼女の両親は笑顔で執刀医に感謝の言葉を述べていた。妹の無事を確認したリリィティアは喜びの余り真百合に抱き着いてくる。
「ありがとう! 本当はずっと不安だったの! 付き添ってくれて嬉しい!」
「不安な友達に寄り添うのは当然じゃない」
まさか別のことを考えている間に手術終了まで時間が経っていたとは口にできない真百合は咄嗟に誤魔化した。しかし真百合が思っている以上に友達扱いされたことはリリィティアにとって感動的な出来事だったようだ。目を輝かせて懐いてくる。
「真百合、私のことはリリィって呼んで。親しい人からはそういわれてるし」
「まぁその方が呼びやすいかな」
彼女が恋敵でないと判明した今は敵意は全くない。寧ろ一度同じ人物に振られたことがある者同士、妙な仲間意識が芽生えていた。友と形容することにもう抵抗感はなかった。
彼女が故郷に帰ってからも良いメル友になれるだろうと楽観視していた。
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