第10話 妹の説得
「あれ? 園崎さんに北野さん?」
「二人もお見舞いに来たの?」
振り返ると、花束を握る誠也と文乃が立っていた。
真百合は思わぬ事態に硬直する。
「げっ……ど、どどど、どうしてここに?」
「ああ、アリアンナちゃんの御見舞いに来たんだよ。顔馴染なんだ。キミ達も御見舞いに来たなら部屋の入口に留まってないで入ったら?」
爽やかな笑顔で促されれば拒否はできない。
真百合とリリィティアが友人同士だと思っているのだろう。香織のために一緒に奔走していたこともあったためそう勘違いするのも無理はない。
悪意のない文乃に背中を押され室内に踏み入れてしまう。
「リリィティア、アリアンナのお見舞いに来たよ」
「わー、お兄ちゃん来てくれたの?」
アリアンナという少女は満面の笑みで誠也を出迎えた。
彼から手渡される見舞いの品よりも彼自身の来訪の方が嬉しいらしい。
妹の見舞いに来てくれた客人を歓迎しようとリリィティアが腰を上げた時、招かれざる客の存在に気づいた。
「なぜあなたがここに?」
「あはは……お見舞いに来たよ!」
真百合は努めて明るく笑った。
その場の雰囲気で乗り切ってやろうという腹だが、勿論リリィティアには通じなかった。
「アナタ、ワタシの妹と初対面じゃないの」
「ぐふっ!」
「で? 本当は何しに来たんデスカ?」
真百合に尋ねてもしらばっくれると思ったリリィティアは常識人の胡桃に話を振った。整った顔立ちの外国人からの威圧に耐えきれなくなった胡桃はとうとう白状してしまった。
「ちょっとリリィティアさんの後をつけてて……」
「胡桃! 裏切るの!?」
「やっぱりそうデシタカ……」
その態度が胡桃の言葉が真実であることを確証づけてしまった。
非常にまずい状況である。リリィティアに尾行がばれたこともまずいが、現場に真百合の想い人の誠也がいるのが最悪だった。下手を打てばリリィティアに吊し上げられて誠也の前で株を落とすことになる。
(私の命運はライバルのリリィティアに握られてしまっている……!)
一触即発の事態を回避したのは一人の少女の言葉だった。
「お姉ちゃん、その人達は?」
「クラスメイトですよ。誠也君、文乃ちゃん、ちょっとアリアンナと話していてクレマス?」
修道女のような笑みで誠也たちに手を振るリリィティアは物凄い力で真百合の腕を掴むと部屋の外へと連れ出した。真百合を放っておけなかった胡桃もその後に続く。
そして扉を閉めた瞬間、リリィティアの眼はつり上がった。
「大方私の弱みを握ろうとつけたんでしょうけど、妹の前で変なことはしないでよ」
「流石に病人の女の子前で姉と揉めるようなことはしないよ」
釘を刺されるまでもなく常識は弁えているつもりだった。恋敵とはいえ身内は関係ないのだ。だが正式な恋人同士でもないクラスメイトの妹の見舞いをするのはいささか不自然だった。真百合の表情からその疑問を察したリリィティアがその疑問に答えた。
「誠也は以前この病院に入院してたの。そのときに妹と親しくなってね」
「え? 誠也君入院してたの?」
「一年生の時は半年以上ね。リモート授業とかで単位は辛うじて取ってたみたい」
驚きの事実だった。
しかし考えてみれば真百合が誠也に惚れたのは二年に進級したときだった。そのときに初めて彼の存在を知ったくらいだ。
眼を引くイケメンなのに一年生の頃に話題に上らなかったのは彼が殆ど学校に来ていなかったからと考えれば説明がつく。
気になるのは長期入院の理由であるがリリィティアもよく知らないようだった。病人の身内がいる身としては根掘り葉掘り聞くのは気が引けたのかもしれない。
「誠也君は退院した後もアリアンナのためにお見舞いに来てくれるの。文乃ちゃんも連れだってね」
文乃は派手なリリィティアに苦手意識があったようだが、妹のアリアンナとは親しいらしい。本人が人見知りなので波長が合ったのかもしれない。
「夢路君も文乃ちゃんも優しいのね」
「そうね。私がお見舞いを頼まなくても定期的に来てくれるんだけど、今日は妹が彼に会いたがってね」
誠也が入院してた頃からずっと病院にいるということは相当難病なのかもしれない。無神経かもしれないが真百合はリリィティアに尋ねてみた。
「アリアンナちゃんだっけ? そんなに悪いの?」
「まぁ、難しい病気ではあるわ。けれどあの子の手術が出来るお医者様が日本にいると聞いてね。私達が来日したのは妹の手術のためよ」
「……そうなんだ。手術の日取りは決まってないの?」
「お医者様はいつでもいいって」
「「え?」」
真百合と胡桃は顔を見合わせた。
「ふふ、まぁ手術するために日本に来たのに何でさっさと受けないんだって思うよね。でもあの子はまだ手術する決心がつかないの」
「難しい手術なの?」
「成功確率は80%以上よ」
「じゃあ何で……?」
「僅かでも失敗する可能性があることはあの子にとって恐ろしいことなのよ。健康体で生きてきた私達には分からない苦しみがあるの」
リリィティアは本人の意思を尊重して妹の決断を待っているようだ。
それ以上何も言えなかった。
「そういうわけだから、今だけは話を合わせて私の友達ってことで妹を励ましてあげて。それでストーキングの件はチャラにしてあげる」
「……分かった。病人の前に身内を貶すような真似はしないよ」
三人が戻ってくると、文乃がアリアンナに本を読み聞かせていた。誠也の方はリンゴの皮向きをしているようだ。皮を繋げたままキレイに向いていく技能から相当高い家事能力がうかがえる。
「……何の話をしてたの?」
朗読の区切りが付いたタイミングで文乃が尋ねてきた。
まさか話を合わせていたと正直に話せるはずもない。
「ん? ちょっと友情を確かめてただけよ」
「お姉ちゃん友達できたの!?」
アリアンナの発言にジト目でリリィティアを見つめる。
「リリィティア……アンタ、寂しい人だったんだね」
「そんな憐れむような目で見ないで。私は外国人だし! 日本人の友達が少なくても仕方ないでしょ!」
「お姉ちゃん、故郷でもあんまり友達いなかったよね……」
アリアンナの追い打ちによりその場の空気が死んでしまった。
目立つ外見であるが故に周囲から浮いていたようである。日本では金髪美少女が浮くのは仕方ないが、母国においても浮いていたというのは意外である。もしかしたら執拗に誠也に話しかけていたのは唯一顔見知りだったからなのかもしれない。そう考えると真百合はリリィティアの振る舞いに憐れみを感じてしまった。そっと彼女の肩に手を置いて努めて優しく語りかける。
「今度一緒に遊園地でも行く?」
「え? 遊園地? ……行きたい! いつにする!?」
揶揄い半分で聞いたつもりがリリィティアは乗り気だった。
友達との交友に飢えていたのか単に遊園地が好きなのかは不明だったが、あまりに純真な反応をされたことに真百合は面食らってしまった。
金髪美少女の輝く笑顔は破壊力が凄まじい。抱きしめたい衝動に駆られたが彼女が恋敵であることを思いだして何とか自制する。女の子と恋仲になる出来事が続いたので空気に当てられたのかもしれない。
頭を振っていつもの調子を取り戻した真百合は意地悪な冗談で返すことにした。
「よし、じゃあ交通費、入場料、お土産代、全部アンタの奢りね」
「調子乗らないで! 普通自己負担でしょうが!」
リリィティアがチョップをかましたことを発端に、二人は互いに軽いプロレス技をかけ合いだしてしまう。病人の前ということを忘れてしまっている。
しかしアリアンナは何故か嬉しそうに微笑んでいた。
「よかったぁ。お姉ちゃんにそんなにふざけ合える友達ができたんだね……。病気の私のことばかりに気にかけて自分のことは疎かだったから」
彼女なりに姉の交友関係を心配をしていたようである。命にかかわる手術が控えているというのに姉想いなできた妹だった。
それから簡単な自己紹介と病人に対する当たり障りのない励ましの言葉を述べて真百合達は帰宅することになった。
帰路の最中、真百合はいつになく真剣な様子で物思いに耽っていた。
「真百合ちゃん? どうかした?」
(リリィティアは妹の手術のために日本に来たのよね……。それなら妹の手術が成功すればもう日本に留まる理由はない。恋敵を蹴落とす絶好のチャンス!)
真百合は善意からではなく私利私欲のためにアリアンナの手術を成功させるために彼女を口説き落とすことに決めた。
「私、アリアンナを説得してみる!」
「へ? でも実のお姉さんでも説得できなかったんだよ?」
「こういうのは部外者が出しゃばった方がいいのよ」
その夜、アリアンナは寝付けなかった。
いつまでも家族の厚意に甘えている訳にもいかない。この病院には手術しても助からない患者も入院している。自分は恵まれている方だという自覚もあった。
それでも一歩踏み出す勇気がなかったのである。
「私が決心できずにみんなに迷惑かけちゃってるなぁ……」
「手術を受ければその悩みは解決するよ」
自分一人しかいないと思っていたので闖入者に驚くアリアンナ。
しかし相手が真百合だと分かるとほっと胸を撫で下ろした。
「脅かさないでください。どこから侵入したんですか?」
「換気してる一階の窓からね。ここまで来るのに危うく看護師さんに見つかりかけたわ。中々スリリングだったよ」
「忘れ物なら姉に言ってもらえればお渡ししますよ?」
「いいえ。ちょっとあなたと二人きりでお話したかったの」
「私とですか?」
「ええ。あなたが手術に踏み切らない理由を知りたくてね」
「それは……怖いからで……。だって20%で死んじゃうんですよ?」
アリアンナは俯きながら言った。死の恐怖が隣にあることは少女には耐え難いのだ。今では落ち着いているが、何度も命の危機を味わった幼少期の経験が恐怖心に拍車をかけていたのである。だが真百合は別の方面からも彼女が手術を拒む理由を考えていた。
「ねぇ、あなた……病気が怖いんじゃなくて病気がなくなるのが怖いんじゃないの?」
アリアンナの顔から血の気が引いていた。唇まで真っ青で小刻みに震えている。その反応から真百合の指摘が的外れでない証だった。
やがて絞り出すように「どうして」と呟いた彼女の目線に合うように真百合は屈んで答えを述べた。
「貴方、やたらめったら自分が病気であることを強調してたでしょ? そして見舞いに来てくれた人、世話を焼いてくれた人を見て凄く嬉しそうだった。その姿を観てたらなんとなくね。どうしてそんなに病気である自分に拘るの?」
アリアンナが人の善意に胡坐をかく甘ちゃんとは思えなかった。寧ろ相手の善意に深く感謝している素振りを見せている。それでいて病人としての身分を捨てたがらない矛盾した言動をとる動機が真百合には分からなかったのだ。
「……私、幼い頃から病人であることが当たり前でした。アリアンナは病気だから仕方ない。病気だから無理しなくていい。病気だから心配だって。皆からそう言われて育ちました。そこでふと考えてしまったんです。私から病気をとったら何が残るんだろうって」
病気じゃなかったら勉強や運動ができないと見捨てられるのではないか。失敗は許されないのではないか。病気でなければ誰も自分に会いに来てくれないのではないか。自分を愛してくれないのではないか。そんな脅迫観念が幼い少女の中に生まれていた。
怯える少女の額に真百合は指でトンとつついた。
「病気じゃなければ見捨てられる? 愛情が枯れる? 構ってもらえない? そんなことないわ。病気だから特別心配してるだけよ。普段から愛情がある。愛情がなければわざわざ娘の手術のために異国に引っ越したりしないもの」
「でも、お姉ちゃんもお母さんもお父さんも、誰も手術をしろって背中を押してこないんですよ! きっと私から病気が消えたら価値がなくなるって思って――」
「家族が背中を押してこないのは貴女の心を尊重してるからよ。だから手術を受けてみな。それでまだ怖ければ仮病使えばいいのよ」
「仮病?」
「お腹が痛い、頭が痛い、身体の調子が悪いって嘘つくのよ。元病人なら説得力十分でしょう?」
「そんな卑怯なことできませんよ!」
「今手術から逃げている状況は卑怯じゃないとでも?」
言い負かされた少女は押し黙った。自分でも境遇に甘えている罪悪感を自覚していたようだ。小さくなるアリアンナに真百合は優し気に語りかける。
「断言するわ。貴女の家族は病気が消えても貴女を愛してくれる」
「……もし家族の扱いが変わったら?」
「その時は私の家に来なさい。私は今と変わらない態度で接してあげるし、あなたと同い年の妹もいるから過ごしやすいと思うわ」
戸惑うアリアンナに自分の住所と電話番号を描いたメモを握らせて部屋から出て行く真百合は髪留を落としたことに気づいていなかった。
――朝になると、リリィティアが病室にやってきた。
学校に行く前にアリアンナの様子を見に立ち寄ってくれたらしい。
「アリアンナ、おはよう……アリアンナ?」
いつもなら笑顔で出迎えてくれる妹が無言で考え事をしている。不審に思ったリリィティアが部屋に踏みこんだとき、靴に固いものが当たる。
「髪留め? 一体誰の?」
昨日来訪した客の中に女子は三人いた。
その中で同じ髪留めをしていたのはたった一人だけである。
思い悩む妹と髪留めの落とし物から不穏な想像をしてしまったリリィティアは本人に確かめるべく学校へと走った。
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