第8話 またフラグを踏んでしまった


 だが資料ではなく目の前で縁談相手の黒い部分を見せつけられた身としては黙っていられるわけがない。見送る香織の姿が見えなくなった段階で三人は密談する。


「こうなりゃ縁談の席を潰すしかないよ」


「結局そうなるんデスね」


「なるべくならその手は使いたくなかったんだけど……。仕方ないね」



 週末、真百合達はお見合い場所に侵入した。

 政治家から企業家まで会食に使用するという由緒正しい料亭である。その場所も誠也が仕入れてくれていた。勿論学生がコソコソしていたら目立つため、給仕係に変装して忍び込んでいた。

 既に席についていた黒家一家と香織の家族が談笑している。

大人だけあって香織は暗い表情は一切見せなかった。


「ではこの縁談はまとまったということで。宮部さんの会社には後程資金援助させていただきますよ」


 真百合達は聞き耳を立てた。

 話の内容から察するに先生の実家がやっている会社の経営が思わしくなく、今回の縁談はその資金援助も兼ねているらしい。先生が頑なに破談を拒んだのはそこに理由があった。


「こんなの人身供養じゃない!」


 若い真百合達にはそれが正直な感想だった。

 だが世代が違えば価値観も違うようだ。年配である香織の両親は資金援助ありきの縁談を寧ろ玉の輿だと喜んでいる節さえある。


「香織、先方の家柄は良いしあなたも適齢期でしょ? 他にあてもないし」


「そうだ。一郎さんと結婚すれば会社も安泰だし贅沢な暮らしもできるんだぞ」


 黙って聴いていれば随分な言いようだ。耳障りの言い情報だけ論って好意的に解釈して娘を説得しているだけだ。資金援助を受けられるという甘い誘惑を前に香織の両親は娘の幸せを客観的に考えることができなくなっていた。

 我慢できなくなった真百合達は現場へ突撃を決行する。


「な、なんだね!? 君達!」


「あなた達! どうしてここに!?」


 大人達は面食らっているようだ。

 場違いな少年達に介入を受けたのだから無理もない。

この虚を突いた今が攻め時である。


「こんなお見合いは認められません!」


「この男はとんでもないわ!」


「これをご覧クダサイ!」


 リリィティアは踊るように素行調査のビラを現場にまき散らした。

 内容は縁談相手の不法行為や素行の悪さが克明に記されたものである。

 香織の両親はその内容の酷さに打ち震えている。実の娘の相手が酷い男だと知れば流石に破談にせざるを得ないだろう。

だが自分の素性を白日の下にされたというのに黒家一郎は余裕な態度だった。


「やれやれ仕方ないな。資金援助をさらに増やしましょう。それでどうです?」


「私も若い頃はやんちゃでしたが、息子も大人として成長できたと自負しています。会社でもそれなりのポジションをいただいているのが何よりの証拠です」


 黒家一家はあくまで笑顔を崩さず冷静にことを勧めようとしている。流石に外面だけは良いらしい。さらに巨額の融資をチラつかされたためか香織の親は空に呑まれてしまう。


「そうだね。問題を起こしていたのは学生時代だけのようだし……」


「香織、あなたはどう思うの?」


「せっかくのお話ですので、私は……一郎さんを信じてみたいと……思います」


 黒家一郎は口角を上げた。

 せっかく中断した縁談が再びまとまりかけてしまう。やはり子供が突っ込んではいけない話だったのか。本当は縁談がまとまった方が先生にとって幸せではないのか。そんな思考が頭に溢れてしまう。

 だが真百合は一つ重要なことを思い出した。


「そう言えば、最初にタイムリープする前……先生退職してたっけ。理由は入院したからだとか言ってたけど……」


 寿退職ならおめでたいので告知があるはずだ。それがなく健康的なはずの香織が入院というのはいささかおかしかった。

床に落ちている素行調査のビラには黒家一郎は女性に暴力を振るった旨が記載されている。黒家一郎の暴力性と入院して学校を離れることになる香織。

そこから導き出される答えは一つしかない。真百合の疑心は確信に変わった。


「やっぱり縁談は終わりです」


「何を勝手な。……子供の出る幕じゃない。家に帰りなさい」


 勝利を確信した黒家一家が呆れながら言った。


「学生時代にやんちゃだった? 笑わせないで。学生っつっても小学生じゃなくて大人に片足突っ込んだ大学生だしょ? 人格形成もとっくに終わった時期。そこから数年でどう変わるの?」


 真百合の言葉に黒家一郎の余裕が消えた。

 握った拳から怒りを押し殺しているのが分かる。冷静に考えれば相手はお金があるので嫁など選び放題だったはずだ。しかし敢えて田舎の町工場の娘に目をつけたのは、既に都心では悪評が広まっているからに他ならなかった。

 だが経営が苦しい香織の両親はなおも「会社が……」と歯切れが悪い。

 そんな弱気な両親を見ているために香織は縁談を断れないのだ。親孝行として受け入れてしまっているのだ。こんな絶望的な花嫁がいていいはずがない。

 真百合は香織の父の胸ぐらを掴んでぶち切れた。


「いい加減にしろ! 我が子を不幸にしてまで成し遂げたい事業があんの!?」


 香織の両親にとって真百合の発言は目から鱗だった。

しかし両親も学生にここまで言われたら大人の事情を話さざるを得なかった。


「こ、ここは都会だが、私たちの会社は田舎にあるんだ。会社が潰れれば従業員だって路頭に迷うんだよ!」


「ハァ!? 娘の幸せを考えられない奴が従業員を幸せにできるか!」


「そ、それは……でも娘だって前向きに考えてくれたんだ。あの子の意思で――」


「自分の娘の顔をよく見なよ! こんな葬式みたいな顔の花嫁がいる!? アンタら何年娘を観てきたんだ!? 本音で話し合えないならそれは親子じゃない! 親子の縁がないなら義理立てする必要もない! 実家のために嫁ぐ必要もない!」


 啖呵を切る真百合の気迫に老夫婦は何も言えなくなってしまった。

 年上だろうが大人の席だろうが物怖じせずに自分の主張を通した。


「「か……カッコイイ……」」


 真百合の雄姿にリリィティアも香織も誠也まで感動している。

 ――だが納得のいかない男がその場にいた。


「クソガキ共が! 大人の見合いの席をひっくり返しやがって!」


 黒家一郎に真百合を睨み付けながら言った。やはり素行調査通り昔と変わっていないようである。黒家はそのまま真百合に向かって拳を振り上げ殴り掛かってきた。

 流石に大の男の暴力に即応はできず真百合は咄嗟に目を閉じた。


 ――が、痛みは襲ってこなかった。


誠也が真百合を守るように男の拳を受け止めていたのである。

彼は甘いマスクだけでなく、信念と力を持ち合わせているのだ。


「男の拳は女の子を傷つけるためじゃなくて守るためにあるんだろ?」


 誠也が土壇場で見せた男気に真百合は勿論惚れ直した。

 そうこうしている間に料亭の従業員が集まってくる。流石に騒ぎ過ぎたようだ。大衆の眼がある以上暴力に訴え続けることはできない。

 黒家一郎は悔しそうに舌打つと、香織の両親を見ながら言った。


「宮部さん、これはもう終わりですよ。折角僕ら善意で資金援助を申し出たのに、縁談がまとまらなきゃその話はなかったことにせざるを得ない」


重要な問題が片付いていなかった。そもそも先生が破談を選ばなかったのは実家の会社の問題があるからだ。だからこそ黒家一郎の本性を知っても尚も縁談を進めてきたのだ。

黒家一家は下卑た笑みを浮かべていた。自分たちが有利であることを知っているため強気に出れるのだ。


「ここまでなの……?」


 諦めかけていた真百合だったが、その場には思わぬ救世主がいた。

 金色の長髪を靡かせて豊満な胸を張る美少女である。


「ワタシ、先生のご実家に援助シマスよ?」


「「へ?」」


 全員が素っ頓狂な声を出してしまった。

 場違いな外国人だと思っていた少女が融資の話をし始めたのだから耳を疑うのが当然だった。リリィティアは冗談ではないと強調するように父親の名刺を提示する。


「ワタシの実家ブルジョワです。日本の企業に援助するなんて簡単です」


「そ、それは本当かね?」


 香織の父親藁が縋る想いで尋ねる。

天使のような微笑みを見せたリリィティアは電卓を叩いて見せた。


「取りあえず、ワタシの一存で援助できるのはこのくらいね。あとはダディに頼むから何とも言えないけど……」


「こ、こんなに!? 黒家さんの提示額の倍はするぞ」


「一体どんだけ金持ってんの?」


「さぁ、彼女お嬢様みたいだしね」


 誠也は少し知っていたようだが真百合はリリィティアの経済力に戦慄した。

 思わぬダークホースだったが、これで問題は解決したも同然だ。

 会社の資金繰りさえ目途が立てば娘を評判の悪い男の嫁がせる必要がなくなるのだ。


「すみません。このお話はなかったことに」


「えぇ!? 宮部さんちょっとぉ!」


 黒家一家の面目丸潰れである。大金を餌に嫁を得る計画が頓挫したのだ。

 勿論大人しく引き下がる程彼らは物分かりの良い人間ではなかった。


「所詮は女子供。こうなったら力づくで脅して……」


 大衆の眼はあるが彼らほどの資金力があれば金の力で黙らせることは可能だろう。

 暴力で訴えられれば流石に分が悪い。

 そこで真百合は一計を案じることにした。


「私達がただの女子供だと思ってんですか? リリィティアの経済力、そして先ほど提示した素行調査、誠也君が貴方の拳を簡単に受け止めた事実から何も察せないんですか? あなた達を潰すことなんて簡単ですよ?」


 真百合は鞄からハンドガンを取りだす。これもホッケーマスク同様胡桃に貰ったジョークグッズである。勿論本物ではない。注意深く観察すれば造りの荒い玩具であることはすぐに分かる。しかし追い詰められた小心者を騙すには一定の効果があった。


「ま、まさか……お前たちは……マ、マフィアか?」


 震える黒家の言葉を否定しなかった。それが黒家の恐怖心をさらに煽った。経済力のある外国人のリリィティアと運動神経の良い誠也に素行調査書類まで用意されれば勘違いしてしまうのも無理はなかった。

 黒家一家の自宅近辺を調査した書類を突きだして「住所は把握している」と囁く。

怖気づいた彼らは鞄を持って早々と逃げ去ってしまった。


「アナタ、悪い人ね」


「何よ。向こうが勝手に勘違いしただけでしょ?」


 真百合が脅迫している間に資金援助の話もまとまったようだ。

香織の両親はリリィティアに深々と感謝の言葉を告げていた。


「娘を不幸にせずにすみました」


老夫婦は従業員の生活を確保しようと邁進するあまり目が曇っていたのだろう。

別れ際まで彼らは娘に詫びていた。当の香織は全く気にしていないように両親の謝罪を受け入れていた。


「では改めて近い内にオルドリッジさんのお父様へはお伺いいたします」


「ええ。私からも伝えてオキマス」


 地元行きの電車に乗る両親を見送った香織は腰が抜けてその場に座り込んでしまった。

 家のために嫁がなくて済むことに安堵したらしい。

我慢していた感情が涙となって頬を伝った。


「ごめんなさい。生徒や親の前では気丈に振舞っていたつもりだったけど、ホントはとっても怖かったの……」


 年甲斐もなく号泣してしまう香織を誰も責めなかった。寧ろ実家と自分の幸せを天秤にかけて生徒に不安を隠していた彼女は立派な大人だといえる。

 真百合は恩返しするように香織を抱きしめて労った。


「生徒に模範を示す先生が不幸になっちゃ生徒に示しが尽きませんよ。美人で優しいんですから、ちゃんと自分の幸せを考えてください。今度自分を安売りしたら私が攫いに行きますからね」


 真百合としては場を和ませる冗談のつもりだった。

 しかし傷心の香織には効果が抜群だった。大人相手に啖呵を切った漢気の後に母性的な優しさのギャップを普段面倒を見ている生徒から受けたのである。


「先生ね、……ホントは結婚なんて絶対したくなかったの」


「そりゃあんな暴力的で外面だけの男なんて嫌ですよねー」


「いえ、私……女の子にしか興味が無いの!」


 驚きのカミングアウトに生徒一同は固まってしまった。

 思い返せば香織は美人にも拘わらず浮ついた話題が全くなかった。

 同性しか恋愛対象にならないため男性からのアプローチを全て躱していたのだ。

 問題は何故今のタイミングでカミングアウトしたかである。


「それでね、私、園崎さんにときめいちゃったかもしれない……」 


「いやぁ先生は色々あって疲れてるだけですよー 吊り橋効果的なヤツですって」


 話の流れから嫌な予感がしていたが案の定だ。

 同性愛者だと分かっていれば誤解を受けるような行動は慎んだだろう。

 しかし今となっては後の祭りだ。香織は紅潮する顔を真百合に向けてきている。非常にまずい徴候である。

 このままではフラグを立ててしまう。何とかその結末は回避しようとする真百合だがリリィティアが微笑みながら煽ってきた。


「マユリと香織先生はお似合いだと思いマスね!」


「いやいや先生を好きなのは誠也君でしょ!?」


「ん? 何のことだい?」


「ほら、先生は大事な人だとか言ってたじゃない!」


「ああそれかぁ。先生は俺の恩師なんだよ。昔家庭教師してもらってたんだ」


「私が大学生のときにね」


 香織が補足してくる。答えが分かってみれば単純な人間関係である。

 どうやら盛大な勘違いをしてしまったらしい。

 リリーティアは脂汗を流しながら目を逸らしている。


「ワタシはキヅイテイマシタ……」


「嘘つけ!」


「そんなことより! 先生、園崎さんとの交際を真面目に考えていいかしら?」


 傷心の先生相手にきつく付き返すことができない。

関係がこじれれば今後の学校生活にも支障が出てしまう。

 返答に悩んでいる内に香織はどんどんと距離を詰めてくる。


「今は国際的にも同性婚は認められてきてますし、園崎さんが大人になる頃には日本でも法整備されてるかも!」


「ちょっ! 先生!? 落ち着いて!」


「縁談の席に乗り込んできて親や相手に啖呵切った園崎さん……ううん、真百合さんを見て先生、ビビッと来ちゃったの!!」


 キラキラと目を輝かせる香織は教師ではなく、一人の少女に戻っていた。

 恋に恋する乙女そのものだ。自分の冗談が発端だとはいえ、香織も変な方向に爆走してしまっていた。親の事業のために縁談を進めることに頑なだったことを考えれば、元来燃え上がったら猪突猛進する性質だったのかもしれない。


「どうしてこうなるの~!」


 真百合が後悔したとき、眩暈に襲われて視界がぼやけていく。

再び時間が巻き戻るような感覚に身を任せるしかなかった。



 目覚めたのはちょうど真百合の部屋でお見合いを破断させるミーティングを行っていたときだった。


「で、先生のお見合いをどうしたら破談にできる?」


 真面目な顔で誠也が問いかけてくる。

ここで判断を誤れば香織先生ルートに突入してしまう。だが一度体験した真百合はもう先生がお見合いを破談にしない理由を知っていた。だからシンプルに提案した。


「先生がクズとのお見合いを強行するのは実家の経営が原因だから……リリィティアが資金援助すれば解決するよ」


「へ? なんでそんなこと知ってるの?」


「ちょっと裏ルートでね……ハハハ」


 苦笑いする真百合を胡桃が神妙な顔で見つめていた。

「そんなコトでイイならワタシは協力シマスが……」


 結局タイムリープのおかげで黒家一家と接触することなく、真百合達は香織の縁談を潰すことができた。そして口は災いの元、真百合が余計なことを言うこともなかった。

 おかげで香織から好意を向けられることもなかった。

 誠也とリリィティアは真百合の未来予知のような言動について先見性があるのだと納得していたようだったが幼馴染は違った。


「真百合ちゃん、もしかしてまたタイムリープしちゃった?」


「……うん」


 聡い胡桃は真百合が時間遡行していることを察していたのだ。




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