迷花 5
言葉を排除したいと思ったことがある。
絵師が言葉で説明するのは甘えみたいな感覚を持ってるのは私だけではないと思う。絵は絵だけで伝えなければならない。絵だけで完結していなければならない。だからキャプションやタイトルは最低限に。絵師はほとんど文字ツイートしないし私もそれがかっこいいと思っていた。もちろん、例外的に創作について詳細に言語化してくれる絵師もいて、助かるのでフォローしているけれど。講座系コンテンツに関わるなら、言語化は避けて通れない行為だ。
それでも私は、私の第一言語は絵だと思っているから、第二言語では十分にコミュニケートできないと思っている。
画像生成AIが現れてから2年後、2024年後半から、絵師たちは自作品にウォーターマークを入れるようになった。趣味レベルの人からプロまで、無断転載とAI学習の禁止の旨が書かれたものが多い。十数年平和に続いてきたインターネットお絵かき文化にもたらされた影響は、ついに絵の中に現れるようになった。
学習阻害加工を入れるという対策もあるが、やはりノイズが酷く、これを入れて今まで通りの評価が得られるとは思えない。
私はウォーターマークを自作することにしたが、その作業に苦痛を感じた。私がわざわざ排除してきたものを、自ら絵に混入させなければならない。除去しにくくするためには白背景にポン置きするだけではダメで、ある程度大きく不透明度の高いものを、絵の複雑な部分に被せる必要がある。もちろん、AI学習がそれらを除去する方法はあるが、自動では難しいだろうし、無断転載への牽制になるという見込みで皆は入れている。(さっき確認したら、ウォーターマークを入れた私の絵はやはり転載されてしまっていた。逃げ場はない)
あの洞窟で、絵画は文字から逃げるようだった。たしかに言語は文明の基礎で、世界を認識するための、最も強力な手段なのだと思う。でもそれは自然を理解して取り込もうとするだけではなく、文明の内部にあるアートにまでその手を伸ばす。そのこと自体は悪くないのだけれど、その手が数値による解析という新しい武器を持って、絵画を、声を、肖像を共有しようとして侵食してきている。
結局私がウォーターマークを入れることに成功したのは、妥協でもあり、プラスの側面を見たからだ。
QRコードや自分のサインを、絵に溶け込むようにお洒落に入れている絵師さんもいて、デザインと宣伝の一部にしてしまう機転に感銘を受けた。
思えば西洋絵画のサインや浮世絵の落款印のように、記名はイラストが払わなければならないコストであり、ブランドなのかもしれない。社会契約。それも言葉を使ってなされる約定だ。ウォーターマークは、契約の不在を警告する標識だ。絵には不在を表す機能がないのだから。
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