憂葉 5


 その空間は、実際に山肌の岩盤を穿って作られたものらしかった。それは部屋ではなく洞窟だった。

 側面の壁が松明を模した光で照らされていて、そこには獣や人間の壁画や、手のひらを押し当てたまま塗料をふきつけて出来た跡による手形などが犇めいている。正面の行き止まりの壁の中央が空白になっていて、そこを埋めたい衝動に駆られる。おそらく実際に、そういう参加が求められているのだと思った。


 背後からの光を感じて振り返ると、洞窟の入口の映像が表示されていた。明るい外界が見える。まもなくその縁から、逆光でシルエットとなった動物が歩いて現れた。それは角のない鹿のようだった。獣は横切っていき、次にヒトが現れた。ヒトもしばらくすると去っていった。ちょうど、プラトンの洞窟の比喩におけるイデアのように。そういえば、チョムスキーは、子供が誰にも教えられなくとも文法を持っているように見えることを、イデア論と結びつけてプラトンの問題と呼んだ。

 あの光の中に佇むモチーフを、この壁の空白に写し取ることが求められているのだろう。迷花はその意図を察して、すでに描き始めていた。私もその左隣に、描き始めた。

 岩肌に凹凸があるし、道具は指なので描きづらい。鹿の頭部には、頭頂部から鼻へのラインが直線的であるという特徴があることに気付いたが、再現できたかはわからない。私は差別化できているかわからない獣やヒトのモチーフをいくつか描いた。


 ほどなく洞窟はそれらを完成と認識したようで、赤い顔料が風化して黒ずんでいくというエフェクトによって、周囲の壁画と同列の存在になったことが示された。そこから洞窟からの返答が始まった。まず、それぞれの 絵の隣にコピーが自動的に描かれた。コピーは次世代のコピーを生み出した。線描は複製を繰り返されるごとにディテールを失っていき、単純化されていった。私が鹿に与えたかわいらしさのニュアンスはほぼ失われてしまった。まるで、歳月を超えて人々に伝達されるあいだに複製コストが省力化されていくように。

 迷花が、その流れを先読みして言った。

「象形文字になろうとしてる?」

「そうみたい。でもこれはまだ絵であって、文字ではない」私は言った。

 シノエさんが肯定した。

「そう、それはまだピクトグラムのように、絵と意味が対応している状態です。チャールズ・パースの記号論で言う、アイコン。しかしその対応が乖離して、恣意的になっていくと――」

 私達によって作られた造語ならぬ造字は、壁面上で爆発的に自己複製した。それは無数のバリエーションへの分化だった。それはもはや鹿や人に似ておらず、表す意味もかけ離れたものになっているようだった。

「アイコンからシンボルへ、つまり形から離れた概念を表す記号、文字の誕生です」

 文字は結合して単語となり、分離して表音文字となり、系統樹は分岐し続けた。それは一つの言語体系の発生過程のようだったが、既存のどの言語でもないようだった。私の描線の微妙な個性から、この洞窟は一つの言語を捏造したのだった。そしてそれは存在しない物語を紡いでいた。

 周囲にはいつの間にか実在する言語による様々な文書が現れていて、私の捏造した言語による物語はその系統樹の一部に位置づけられた。

〝存在しない言語と書字体系そのものを捏造する生成AI〟――これなら、既存の作品を侵害することもない。


 しかし私は、自分が迷花から――絵から、離れたところにいることに気づいた。言語から見ると効率化と、形に縛られずに抽象的な概念を表すことが出来る進歩であり進化なのだけれど、絵から見るとそうではない。それは単純化による美の喪失であり、形と対象の乖離だった。

 シノエさんは言った。

「記号は複製され、引用され、共有されるために生まれ、そのために最適化されてきました。今、憂葉さんにはそのことを体験していただきました。しかし、絵はそうではありません。絵はそれとは逆方向に進むことを選んだのです」


 私が言語の創造に目を奪われている間、迷花は未だ正面の壁から離れていなかった。彼女の絵は、文字の側からの記号化の洗礼を受けていなかった。彼女はまだ描いていたからだ。鹿のような耳と角を備えた女の子のキャラクターは、たくさんの手形を柄にした服を着ていた。現代的にアレンジされていて、ファッション誌あるいはソシャゲのキャラにいてもおかしくない。迷花は洞窟の直感的なインターフェイスから、線の太さの調整方法や、線の消し方、着彩方法も発見してしまったようで、いつものラフと遜色ないものになっていた。

「これ、保存されるんですか?」迷花はシノエさんに訊いた。「このキャラデザ、アイデアとしてストックしておきたい」

「保存されますよ。どんなジャンルでも、ラフや子どもの落書きでさえ、人が描いたものである限り、絵画史のタペストリーの中のどこかに」

 迷花が筆を止めてしばらくしたので、洞窟はそれを完成とみなした。しかし洞窟はそれをもはや文字に圧縮しようとしなかった。もしそうしようとすれば、失われる情報が大きすぎるだろう。言語に翻訳しようとすれば、翻訳喪失が大きすぎる。 

 代わりに、その絵はサムネイルとなって、壁一面に現れた実在する絵画の樹形図の中に位置づけられた。私の文字から捏造された言語体系と同様に、しかし逆方向の壁に。周辺には、迷花がweb上に公開している自身のイラストが見て取れた。このAIは生成よりも分析と分類に特化しているようだった。これならイラストレーターの仕事を奪わないどころか、鑑賞者に対してその人が気に入った絵の来歴を提示し、その作者や似た作風の作者に誘導してくれるだろう。たしかにこれは、学習素材への追跡可能性を排除する現行AIと真逆の思想だ。

「これが、あなた達の提案するアーティストのためのAIなのですか?」私は言った。「創作の作業工程の代替は一切せず、鑑賞者の探索を手助けしてくれる?」

「いいえ」シノエさんは私の推測を否定した。「それは副産物に過ぎません」

「洞窟全体の、記号化の程度に注目してください。壁の左側――言語は複製されシェアされるために単純化し、記号化していきました。より記号へと接近し、対象から離れていきました。

 一方で、絵画はどうでしょうか。象形文字は人の手でコピー可能ですが、絵に回帰するにつれて模倣が難しくなっていきます。壁画の時点で、容易には複製できません。そして美術史における絵画となると、むしろ拡散を拒むために複雑化しています。画家はシェアされないために、記号化の流れを逆行させたのです」

 シノエさんは系統樹の各所を指し示しながら説明を続けた。

「この樹形図の主枝を支える、聖堂の宗教画や貴族の肖像画も、画家が容易な複製を拒むために技術を磨いたものでした。まるでお札の透かしのように、記号化ではなく暗号化されていました。もしそれらの技術が簡単に共有可能だったら、権威や価値を象徴することは出来なかったでしょう」

 複製と共有を拒むのが絵画?それは私にとって心底意外な分類だった。私は言語も絵も、コミュニケーションの道具だと思っていたのだから。伝達を拒絶する芸術などあってよいのだろうか?しかし、確かに言語は自己複製子のようだが、絵は自身を差別化しようとし、その文法は画家の身体の深奥に隠されている。それは歌声や、身体的特徴や、顔と同じ性質に属する、身体的な情報だった。記号によって共有されることがないが、個人の身体という領土の内に所有されてきた私有財産。しかし、今やそれらの情報は守られていない。全ては数値化を経て解析され、復号化され、共有されようとしている。その手綱を握るためのインターフェイスは、やはり言語だ。

「ここで生成AIには、わざわざ進化してまで絵画が拒絶している記号化を強制する暴力性を感じると思います。記号の視点から見れば、絵を記号のように制御・共有可能なものとして扱えるようになった進歩に見えるでしょう。しかし絵の視点から見れば、それは記号への退行です」


 私は言語の樹形図の、迷花は絵の樹形図の先端にいた。私達は遠く離れてしまった。私は迷花を守りたかったが、彼女はすでに抵抗者なのだと言う。私が彼女を助けるための武器と考えていた言語が、彼女の領土を侵略していたのだと言う。

 二つの樹形図は、人間が外界を認識するための二つの異なる様式は、協力し合うべきなのに、資源を奪い合うことしか出来ないのだろうか?

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