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憂葉 4
山の麓にある美工大行きのバスが一日一回だけ、それより奥へ進む。それを利用して私達は〈アンフィテアタ〉へ向かった。それは山の傾斜に水平方向に半ば突き刺さった古代ローマのコロッセオといった外観をしていた。
〈アンフィテアタ〉はしかし、彼らの団体名でもあり、特定の場所や施設とは限らない。それは山間部の村だったり、高波打ち付ける要塞のような人工島だったり、オートロックつきのタワーマンションの形をしていたり、あるいは単にその一室という小規模なものもある。大学として認可を取っていたり、ネット上のコミュニティということもある。
要するに彼らの目標は壁を築いてAIアートを締め出したいという点で一致しており、その壁の材質は様々、物質でないことさえある。そして、その聖域は世界中に散在している。
迷花は絵師たちのディスコードで招待されたそうだ。
巨大な外観が近づくにつれ、いよいよ資金源が何処なのか疑問が大きくなる。AI企業がその肥大し続ける計算資源の要求を満たすために、巨大な海上発電所やデータセンターに投資するというのはわかるが、AIを拒否する側にそんな動機や資金があるだろうか?
受付で迷花は、LoRA被害にあった相談で来たと言った。法的な相談も請け負っていると聞いたけれど、迷花は別に相手を訴えることは考えていない。そう伝えると、単に〝常設展〟の開始時刻の書かれたチケットをくれただけだった。
私のほうも、事前に観覧目的をフォームに入力していたから、その通りのことを言った。大学の研究で絵画習得を言語習得の研究ノウハウを使って理解するというテーマを扱いたいから、というようなことを書いたら認可された。すると受付は私にも同様のチケットをくれた。
私達の困惑顔に対して、受付は「その展示の企画者が会場にいますので、まずは彼女に会いに行ってみては」と言った。そして、QRコードから私達のスマホにAI検閲ソフトをインストールさせた。
私と迷花は、常設展を見る前に〈アンフィテアタ〉の環状囲壁のような外周部分の歩廊を歩いて全体像を見ることにした。
扇形の区画の各種ブロックに展示会場や宿泊施設などが収まっており、中央には円形の舞台と観客席が見下ろせる。舞台上では演劇のようなものに興じる男女の姿があったが、古代風の大道具に反して、彼らの恰好はアニメかゲームのキャラクターを模しているように見えた。ここはディープフェイクの被害者も訪れるというが、あのコスプレイヤーの中にもいるのだろうか?
施設のあちこちのベンチには迷花がいつもするように、タブレットにペンでデジタル絵画を描いているらしい若い人たちがいた。隔絶されたゲーテッドコミュニティということで、イーゼルに乗ったカンバスに向かう古代風のチュニックを着た人々を想像していたが、道具は現在流通しているものと変わらないようだ。考えてみれば当然だ。彼らが創作の場から排除するのはデジタルツールではなく、あくまで生成AIだけなのだから。
城壁を一周して、私達は展覧会場に着いた。インスタレーションのある部屋に続く暗い入口の前では、アーティストトークが行われており、団体客に向かって自作の説明をする作者らしき女性がいた。チケットには〝忍枝〟とだけ紹介してある。たしか迷花はシノエさんというアーティストを尊敬していると言っていたが、この人のことだったようだ。
私達はまばらな人垣の後ろから、聴講に途中参加した。〈アンフィテアタ〉のリーダーの一人でもある彼女が聴衆に語りかけている内容は、自作の説明から施設の理念に話題を移していた。
「......現行の主流モデルと我々のモデルは、その目的において大きく異なります。NeurIPS2024というAI開発の国際会議でSF作家のテッド・チャンが果敢にも指摘してみせたように、現状の生成AIのビジネスモデルは追跡不可能性に立脚しています。学習元データとの直接的な関連性を破断することで、独創性を模倣しているのです。対して、我々の生成AIを使ったビジネスモデルは逆に、追跡可能性を商品とします。アートから価値だけを抽出し、その来歴を、それに対する敬意と共に破却した現行モデルとは真逆の方向を、我々のモデルは目指します。あらゆる芸術の起源への遡行を。それが、このプロジェクトがアートの擁護者たちからの莫大な支援を集めることができた理由です」
どうやら彼女は私の疑問だった資金源の謎を、同様の疑問を持った観客へ説明しているらしかった。とても抽象的な言い回しで。だが私にとって〈アンフィテアタ〉という施設あるいは団体は、絵師たちが〝ネット上に作品をあげる限りAI学習からの逃げ場はない〟という絶望感からの逃避場所として夢想された聖域が具現化された、現実味のない蜃気楼のようなイメージになっていた。不思議なことに、訪れてからのほうがその感覚は強くなった。だから、もはや資金源についてはどうでもよかった。それは、デジタルアーティストたちが望んだから現れた。それでよいのではないか?
「〝記号化への抵抗〟、私の活動テーマを一言で表すとそうなります」
シノエさんはそう締めくくった。
拍手ののちに 団体客が去ってから、私はおずおずと彼女に話しかけた。
「あの、もう終わってしまいましたか?」
「いいえ、むしろあなた達を待っていました」
私と迷花は顔を見合わせた。
「私達を?なぜです?」
「創作において、言語を扱う人と絵を扱う人が友人であること、それは私の理念の一部をすでに体現しているからです」
小説と絵の関係は、たしかに私の興味の在処だ。でも、それがAIとどう結びつくのかはわからない。私は質問した。
「さっきあなたは、〝我々のモデルは〟と言っていましたが、あなたの作品には生成AIが使われているのですか?」
「その通りです」
私の心に先輩から与えられた不信感が再び膨れ上がった。迷花も警戒するように表情を強張らせた。この施設が結局、単にモデル崩壊を防ぐために純粋に人間産の作品を収集するためのシステムだったとしたら?そして、この部屋は生体情報までも要求するのだったら?(先輩が私を怖がらせるために出した噂には、そんなバージョンもあった)だとしたら、私は迷花を連れてこなければよかった。ずっと私の元に置いておけばよかった。
「安心してください。このAIはあなた方を傷つけることも、なり替わることもありません。イラストサイトを読み込んでそのバリエーションを出力するような、競合物は生成しません。私達のモデルは商品価値の抽出と来歴の棄捨ではなく、その逆を目的にしています。来歴の理解を」
つまり、この人はAIを手懐けたのだろうか?まるであの映画のように、殺人ロボットの群れから一体を鹵獲して、その牙を抜き、自分たちに尽くすように再教育した?そんなことが可能なのだろうか?
「ここからは、インスタレーションの――私の作品の中でお話しできたらと思います」
その部屋は洞窟のような暗がりに続いていた。その内部では、部屋全体がディスプレイであることを示すわずかな標識が、燭台の光のように揺らめいている。私はまだ躊躇していた。
「この作品は、憂葉さん、あなたの疑問――〝なぜアートの形式によってAIに対する態度が違うのか〟に対しての返答になりうると私は思っています。もっと卑近に言い換えれば、〝なぜある種の作家は引用やサンプリングの同等物と見做してAI利用を受け入れるのに、絵師は拒絶するのか?〟ということですね」
彼女は私が書いた訪問目的を読んだようだった。そして、私達の警戒を解くための説明を始めた。
「〝記号化〟というキーワードについて考えてみてください。アートは各ジャンルによって、扱う情報の記号化の度合いが違います。例えば、音楽や小説はすでにある程度記号化された表象を使います。音階は離散的で、それを象徴するのが楽譜です。しかし、全てが楽譜に乗るわけではありません。例えば歌声。それは記号化の外にあります。だから、声優や歌手の無断生成は批判されるのです。
世界は言語によって分節されると言うように、小説も言語という記号を使います。小説は構成素としてはほぼ記号のみで成り立っており、情報を文脈に外注します。
しかし絵は違います。それは非記号的なアートの一種です。すべてを記号化し、記号体系に取り込もうとする働きの外にあります」
〝記号化への抵抗〟。さきほどの演説でも、彼女はそれがテーマだと言っていた。先に作品のテーマを説明してしまっていいのだろうかと思ったけれど、それは意図を余すところなく理解したい私向きの計らいだった。
「憂葉、私は大丈夫だよ」
隣に立った迷花の言葉を聞いた私は、自然と暗闇に足を踏み出していた。
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