接着剤乱用社会は仕事だらけ

加賀倉 創作【FÅ¢(¡<i)TΛ§】

何かと何かを繋ぎ過ぎることは自滅の道

【注意1】本作は、「もしも人類が文明を捨てることができたなら」という妄想的仮定に基づいて進められる。

【注意2】私は〈少なくとも現状においては自分が愛国者であると自覚しているが、「もしも国や国に類する各種共同体コミュニティのような枠組み的存在を否定する立場を取れたなら」という仮定を積極的肯定する立場に自分を置いたとしたら〉という仮定に基づいて本作を進める。

【注意3】「((((( )))))」によって示された声は、より高次から俯瞰する自分自身あいぼうの分身の声、すなわち第二の自分もうひとりのボクの声である。




▽▽▽




 人類の誕生。


 地球全土に散らばった人類。


 人類は、各地で共同体コミュニティを築いた。


 共同体コミュニティは、際限なく膨張する風船のようだった。


 一つの家族に過ぎなかった者たちは、纏まって村を成し、町となり、市となり、県や省や州となり、国となり、連合や連邦となり、やがて、統一世界グローブとなった。


 赤道周長四万キロメートルの壮大な球──地球──。


 共同体コミュニティの黎明期において、人々が関わり合うのは、隣の家、隣の隣の家、せいぜい数十数百メートル先の顔見知り同士だったはずだ。


 だがそれがじきに隣の村となり、隣町となり、村や町程度なら、移動手段は歩きでも済んだところが、隣の市となれば馬車を駆るようになり、隣の県となればもっと大層な乗り物を走らせ、やがて隣国へ、国々を股にかけるようになると、自ずと山々を越え、海をも越え、空という途方もなく幅広の道を自由という名の不自由の下で往来さえするようになれば、愛も情もなき一期一会をおびただしく重ねるようになり、できることが一見増えたようで、かつては濃密だった峡間きょうかんの時流が空虚な瞬間の五月雨さみだれに成り果てただけという始末である。


 かつては大藍玉の表面に、極めて矮小な共同体コミュニティが点在するのみだったが、共同体コミュニティの点を拡張して線や広い広がりへと変化させるならば、点と点を繋ぐ何か、すなわち接着剤が必需となる。


 接着剤は錚々そうそうたる顔ぶれである。


 村には村役場、町には町役場、市には市役所、県には県庁、それらを包括する政府(今や、政府でさえ世界の接着剤である)。


 共同体コミュニティを、より大きく纏め上げていくに従って、〈仕事〉も増える。


 やたらに都市開発や道の整備を進めると、建設のための〈仕事〉も資材の要求量もますます増える。


 資材は誰がどうやって調達するのか、それもまた〈仕事〉である。


 町があれば、道があれば、そこかしこに店ができる、店があるすなわち〈仕事〉が増える。


 物品を売る店、飲食料品を提供する店、寝泊まりする店、行楽の店など、店は様々であるが、全て〈仕事〉なのであり、店は独りでに機能しない。


 それら営みには当然、水が要るし、火が要るし、電気が要るが、店を持ち、各々の〈仕事〉に手一杯の労働者は、自給自足という原始的かつ神秘的な生物にとっての最適手段を放棄する。


 極度な人工的専門化が加速した先にあるのは、平時や標準状態にあっても単独では自分の身の回りの世話を満足にすることの叶わない者たちの巣窟(これは性差や得手不得手などの自然発生的能力差を活かした生物的分業に対する否定論ではない)。


 人類は、人類自身の手で野生的生存手段を失い、なんだかよくわからないものについてばかり明らかになり、地上を虚飾で彩り、動物としての生存にはあってもなくても大差ないような種類の〈仕事〉を無尽蔵に背負う(無論、能動的に背負うというよりむしろ受動強制的に背負わ可能性もある)。それら捏造的に創出された〈仕事〉は手枷であり、足枷であり、覆面であり、眼鏡であり、猿轡さるぐつわであり、貞操帯であり、磔柱はっつけばしらである。

 

 要約するならば、人類は誤って広げ過ぎた文明世界の構成要素の数々を継ぎ接ぎすることを余儀なくされたばかりに〈仕事〉地獄を自作し自ら地獄に身を投げ自滅し悶え苦しんでいる、とでも言えよう。

 

 高い利便性の追求の裏で優れた野生性は森や海へと遺棄されたが、野生性を遺棄した森や海を汚し壊すことさえしてのけたが故に、人類は残念ながら現状としては動物的故郷ふるさとを欠いている。


 動物的故郷ふるさとの回復は、一朝一夕にはいかないわけで、段階的に進められるべきである。




(((((そのような物言いでは文明を捨てる覚悟が完了していない)))))




 第一手として人類に必要なのは、分散による地方再生と適度な文明浄化デジタルデトックスであろう。


 積み上げた山がいつかは自重と不均衡により崩れてしまうように、また陽子と中性子の過畜積あるいは誤配分の問題を抱えた原子核が一定周期で崩壊するように、大都市に集合してしまった人類は離散しなければならない。


 村から国へそして世界を一つに、というような世界統一主義グローバリズム的かつ詐欺的標語は、今、クニからムラへ、というふうに、陽電子ポジトロン的転換──逆行──を迎えるべきである。


 具体的方策としては、現代人類には、ロシアのダーチャのようなもの、簡潔に換言すれば滞在型市民農園クラインガルテン、それが必要である。


 それは都市住民が週末や休暇に利用する地方の菜園付き別荘を意味し、そこでの滞在は喧騒からの脱出と、自然への擬似的回帰を可能にする。


 滞在を少しずつ伸ばせば、滞在者が一定量の塊となれば、新たなるムラの誕生も期待できるはずだ。


 この日本という国に焦点を当てるならば、特に以下のような着手方法アプローチが効果的であると考える。




(((((そのような物言いは国への執着を意味する)))))




 高次の産業の縮小と低次(「低」というのは決して貴賤の軸の上の話ではない)の産業の拡大。


 例えば、徴兵復活の嚆矢となりうる非道徳的改憲がなされるくらいなら、むしろ「徴農」「徴漁」「徴畜・徴酪」「徴鉱」「徴樵」というような制度がある方が遥かに望ましいはずだ。


 農・漁・畜・酪・鉱・樵など第一次産業は、つまるところ国防である。


 日本の問題点を忌憚なく指摘するならば、輸入依存が年々悪化し生殺与奪権を他者に握られ、梯子はしごを外されれば衣食住を失う状況下にあり、第一次産業的国防が働いていない、と言う他ない。




(((((そのような物言いでは国という過大な共同体コミュニティを解体する覚悟が完了していない)))))




 いや、それでは足りない。もっと思い切って舵を切らなければならない。


 中抜きばかりが得意な仲介組織や既得権益層を解体して、何者にも、地産地消や自給自足への望まざる介入を、させぬ環境が必要である。


 もっと言えば、税は財源などという詭弁を垂れ流し続けて不必要な徴税を強行する政府も解体すべきである。


 そこまでこれば、無論、無政府主義アナキズムである。




(((((それは、可能性のある選択肢だ)))))




 だが考えて欲しい、人類以外の尊い動物たちには、政府などない。


 他の動物ではなくむしろ人類の方が異端なのである。


 人類は野生動物と等しく、枷、檻、飼い主、支配組織から解放され、散り散りになるべき、つまりは自由を得るべきである。

 

 人と人は、共同体コミュニティ共同体コミュニティは、はたまた人と共同体コミュニティは、融合し過ぎた。


 あまりに巨大化した共同体コミュニティは、制御できず、混沌とするが、共同体コミュニティという一つの括りに縛り付けられた個人は、そこに属しているというだけの理由で、共同体コミュニティ角錐型階級組織構造ヒエラルキーの頂点に君臨する人によって、都合よく利用される。


 ピラミッドというのは、なるほど豪壮で壮観だが、その建設は、世の点と点を、愛玩動物生産のための交雑──高次元の支配者の義手で低次元の弱者に強要される双方向の強姦──の如く非道徳的かつ非倫理的に繋ぎ合わせることに他ならない。


 混じり合わぬ者同士を強引に継ぎ接ぎして肥大化した世界は、決して調和の美になり得ず、醜悪な魔改造の異質同体キマイラとなることを免れない。


 不完全で脆弱なそれは、ほんの一瞬目を離した隙に、組織コンポーネントを乖離し、容易く崩れ落ち、不具合まみれであるため、御者の駆る馬車馬は不眠不休での修理を余儀なくされる。


 この、不眠不休の修理、が〈仕事〉である、が、必要なもあることは承知している、が、前者と後者は、虚構(ここでは共同体自体と共同体に付随する〈仕事〉のことを指す)の創造及び信仰の奴隷となった人類によって生み出されたかそうでないかという点で、本質的に異なる。


 修理はいつも接着剤によって、応急処置的に、対症療法的に施されるのみである。


 不具合の根治は、ない。


 接着剤は一利九十九害の、つかつばさやまでもが薄く鋭利な諸刃の刀であり、乱用してはならない。


 いや、そもそも、乱用せざるを得なくなるほどの、強欲かつ貪欲にも自己肥大し続ける一部の金満なる愚者の跋扈が、大問題である。


 世界には、多極化と、細分化と、ひいては野生化が、必要であろう。


 もっとも、野生化の先の先には、再度一極化が訪れるだろう。


 が、忘れてはならないのは、宇宙が循環であり円環であり輪廻であり、曼茶羅である、ということだ。


 少なくとも言えるのは、ごく少数による世界の寡占機構を解体することが、曼荼羅の三六〇度の中で人類が非野生的な血と涙の激流に呑まれる割合が一度でも二度でも下げる、すなわち我々が日々喘いでいる不毛で不可解な時間を一分一秒でも削減することに繋がる、ということである。

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