#5 奴隷に夢見た皇女さま
もし私のようにこの声が聞こえる人がいるのなら、自己紹介をしておきましょう。
私はスレヴィア・グラン・オベイル。この帝国に生を受けた、第三皇女と呼ばれる者です。
お時間は取らせません。聞き流してもらっても構いません。これはただ■■になりたいだけの、よくある一人の少女の話なのですから。
☆
「きゃっ!」
お姉ちゃん、じゃないサーシャからも引き離され、身も心も軽薄そうな殿方に連れられて来たのは別の部屋。恐らくこの方の私室なのでしょう。
「さて、これで部屋の鍵も閉めたから、もう邪魔が入る事はねえ。精々楽しませてくれよ、妹ちゃん?」
「っ……!」
私をベッドの上に乱暴に倒した軽薄男は、先ほどからずっとニヤニヤしていました。
私には分かります。サーシャの記憶で幾度となく見た欲に染まった瞳。私に劣情を催す殿方の目です。
「おいおい、何顔背けてんだよ。その可愛い泣き顔をさっさとこちらに見せてみなって?」
「いや……いや……!」
私は必死に抵抗します。だって今の私の顔はきっと――
「(まだです、まだ駄目なのよスレヴィア! 堕ちるのはちゃんと段階を経てからと決めていたではないですか!)」
破顔しているに違いないからです。主に期待で。
「(こんな顔を見られたら早々にバレてしまいます……! この方にはちゃんと、己の手で屈服させたと思っていただかないと!)」
「……へぇ、ホントに顔整ってんじゃん。ひっでぇ泣き顔だけどさぁ?」
顎先を指で掴まれ、クイッとされて軽薄男を見つめるような形になりました。よかった、間に合ったみたい。
ここでようやくこの方の顔をしっかりと認識出来ました。一見荒れているようでそう整えられているはずの銀髪。少々肌荒れが見て取れる顔も、その造形自体は綺麗な方と言えるでしょう。つまりはアリです。
「ていうかマジで皇女さまみたいだな……。ホント、こんな女今までどこにいたんだか」
今日の昼まで普通にお城にいたのですが、ここでそれを伝えるような野暮な真似はしません。最初は無垢な少女に悦びを教えるポップ、次に皇女だと知った上で行うステップ、最後に全てを失って堕落するジャンピングを予定していますから。本当に楽しみです。
「といっても俺だって鬼じゃない。俺の言う事をしっかり聞くなら、後で姉の方にも会わせてやるよ」
「ほ、ホント……?」
「ああ、もちろんだ」
私には分かりますが、彼は嘘を言っていません。ただその頃には私もサーシャもまとまな状態ではないだろうという事を隠しているだけ。それがホントにサーシャの記憶で見た話をなぞっているようで、いよいよ興奮が抑えきれなくなりそうでした。
「じゃあ手始めに宣言でもしてもらおうか。お前は、俺に、絶対服従だとな? お姉ちゃんが大事なら言えるよな?」
「い、言う! 言うから!」
上がりそうな口角を宥めながら、涙目で彼の言葉を復唱しようとします。それは皇女であるなら言ってはいけないはずの宣言。それを止めたがるサーシャもいない今、私を突き動かすのは大きな背徳感でした。
「私はあなたに逆らいません、私は、あなたの言いなりです……! だから私を好きにしてください、使ってください、お願いします! 私をお姉ちゃんの代わりにしてくださいっ!」
「お、おういいねぇいいねぇ! ちょっとスラスラ出てきすぎて怖いくらいだが、よく言えたじゃねぇか!」
「え? ち、ちが……!」
いけません、逸りすぎて本来ステップで言う台詞も混ざってしまいました。良くない女だと思われるのはまだ早いのに。
「そこまで言われたら仕方ねぇ。俺がお前のご主人様になってやるさ! じゃあ早速、その胸から確かめさせて貰おうか!」
けれど軽薄男は私の失言など意にも介さない態度のまま、ベッドに横たわる私の上に来ました。そのまま覆い被さるような形になりながら、私の胸元へと手を伸ばして――。
「っ――!」
ビクリと、その刺激が私の中に響きました。
☆
帝国の第三皇女である私が生まれ持った力の名は、
けれどその力の名を自覚したのは、サーシャの記憶を覗いてからの事。それまでの私はずっと、他者の記憶と感情が氾濫するこの世界で生きていたのです。
だって私の手は常に空気に触れています。その空気には、周囲の人間から漏れ出た感情が漂っているのです。サーシャに言わせれば、私は常に場の雰囲気に触れているのでした。
そして皇女である私は物心つく前から、多くの人物と顔を合わせてきました。その時の彼らが抱く感情や思惑にも、私はずっと触れてきたのです。
優しい人がいました。温もりを感じました。
悪辣な人がいました。粘つきを感じました。
喜ぶ人がいました。柔らかさを感じました。
妬む人がいました。刺々しさを感じました。
いつしかその感触が目に見えるようにも、耳で聞こえるようにもなりました。サーシャはそれを共感覚ではないかと言っていましたが、私の主観でしかないので詳しくは分かりません。
温もりや柔らかさはその人に暖色のオーラを与え、その声の響きに心地よさを。
反対に悪辣さや妬みはその人を暗く染め上げ、声にもどこかノイズが走るような違和感を付与していました。
それがうるさいだけならいいのです。
目の毒なだけならいいのです。
落ち着かないのは、その矛先が私に向いていたから。
ああ可愛らしい皇女さま。
ああ憎らしい皇女さま。
皇女さまならこの国を変えてくれる。
皇女さまなら丁度いい使い途がある。
同じだけの善意と悪意を私は常に感じていました。
それを受けて好かれようとしても、嫌われようとしても、それを発する他者が入れ替わるだけ。人なら大小の差はあれど皆そうでしょうし、皇女である私なら尚更の事。ただその全てを直に感じてきただけなのです。
けれどその負担を捨てる事も出来ませんでした。皇族に生まれた者として、その義務と宿命を受け入れなければならない事は理解していましたから。ただそれに、私の心が追いつかなかっただけの話です。
この年齢であればそう珍しくはない、アイデンティティの揺らぎ。けれどそうして皇女さまという社会装置になるのなら、私はどうやって■■になればいいのか。それが分からないままに、15歳の誕生日を迎えて。
私は、サーシャの記憶の扉を開いたのです。
『サーシャ? もしかして、寝てるの?』
幼い頃から一緒だった彼女が、珍しく船を漕いでいた夜。私が手を触れる事で更に深く記憶や感情を掬えると気付いたばかりの頃でもありました。
今後の為に力の具合を色々と確かめていた私は、初めてその力を意識して人に使う事にしました。サーシャの事ならよく知ってるし、イタズラをしても少しのお説教で許してくれるだろうと、そんな軽い気持ちで。
『なに……? サーシャ、何なのですか、これは……?』
けれどそこにあったのは深淵とでも呼ぶべき混沌。サーシャの魂が経験した坩堝の中を、私も落ちていくような感覚。痛々しい死と離別の記憶に、ぐらつく身体を必死に抱くのが精々でした。
『姫様、お気を確かに! それはただの夢です。私もここにいますから、どうか落ち着いてください!』
そんな私をサーシャも抱き締めてくれました。その温かさに身を委ねようとした私は、無意識にもまた力を使ってしまって。
そして、その淫靡な世界の存在を知ったのです。
『どうして……女の人が、は、はだかで、捕まっているのですか……?』
とてつもなく鮮明に描かれた、所謂濡れ場の数々。そういった知識を最低限しか持っていなかった私にとって、ソレは価値観を根底から覆すような衝撃をもたらしました。
だってそれは夫婦の愛から始まる営みのはずで、或いは世継ぎを為すための大切な行為であって、そんな、ええ? えええ? えええええ?!
『綺麗な女の人が……沢山の殿方に……ああっ、そんな乱暴な……!』
『待ってください姫様?! 今何を見ているんですか?!』
慌てるサーシャの声が聞こえないくらい、私はその記憶に意識を割いていました。もとい、のめり込んでいました。
イケない事なのは直感で分かります。けれど脳内でページを捲る手が何故か止まりません。なんでだろう、どうしてだろう。何故私は、こんなに身体を熱くしているのでしょう……?
『人じゃないみたいに、いいように……。ああもう、自ら望んで、そんな事まで……!』
記憶の中にある書物なので、感情や思考が残っていなくて読みやすかったというのもあるかもしれません。
けどそれ以上に惹かれたのはきっと、皇女である私とは正反対にある世界だったからです。
この立場に生まれて以来、表立って悪意をぶつけてくるような人はいませんでした。当然虐めや荒事からも縁遠く、直接傷つくのなんてサーシャの小言が精々といった程度。
そんな私がこの薄い本の女性たちのようにされてしまったらどうなるのか。普通なら絶対にあり得ないからこそ、私の夢想は止まりませんでした。
『でも……皆さん、あんなに、幸せそうな、表情で……』
そして何より天恵だったのは、彼女たちの在り方。
前世のサーシャの趣味だったらしく、彼女らの殆どが快楽に溺れる最期を迎えていました。ただ一つだけの感覚に陶酔していられるその姿に、私は魅了されていたのです。
『ああ……そういうこと、だったのですね……。幸せとは、私の身とは、この為に………………』
その辺りで許容限界を超えた私は意識を失いましたが、得た悟りは決して色褪せません。その日から、私の目指すモノが明確になったのです。それにサーシャが賛同してくれなかった事だけが残念ですが。
すなわち、まずは私の全てを任せられるような主と出会う事。その方の手でそれ以外に何も感じられなくなる程に、あるゆる意味で溺れ果てる事。
そうすれば、私も■■になれるような気がしたのです。例え一瞬で過ぎるモノだとしても、私にとってはそれが暗闇に差した一筋の光に見えたから。
目が眩んだままなら、きっとどこまでも堕ちていける。そんな予感がするからです。
☆
意識が現実に引き戻される。火照った身体をベッドに投げ出したままに、私は軽薄男を見上げていました。
どうやら胸に触れられた時に、力を使ってしまったみたいです。軽薄男の劣情と共に、己の内を見返していたのでしょう。けれどその望みが叶うかもしれないと、私にはそんな直感がありました。
「ホント、とんでもねぇな……! これなら、話に聞いたアレも出来るかもしれねぇ!」
私を玩具のように扱う軽薄男の妄想が、私には手に取るように分かります。実際には胸と手の繋がりからですが。
この方には過去にも同じ経験がある。同じように手に入れた玩具を使って何をしたか、その最期まで知った上で、私は自身が高揚している事に気付きました。
「胸だけでも最高だが、本番はこれからだ! お互いこれで準備万端、精々楽しもうじゃないか?」
「っ……!」
じりじりと事を進める軽薄男に怯える真似、が出来ているかもう自信がありません。もう淫乱と思われてもいいでしょうか。駄目でしょうか。だって、夢にまで見た時間がいよいよやってきたのですから。
いつか国を担う方に捧げるはずだった私の身体をこんな所で浪費する事の背徳感、いえ贅沢感がゾクゾクと身を震わせます。いつの間にか呼吸も荒くなり、片手で自身の大きな胸の中心を押さえつけていました。
「はぁ、はぁ……っ!」
そして自身に触れた時、高まる期待感の中に本能から来る僅かな恐怖も混じっている事が分かってしまいました。それでも目を見開き、深く息を吸い込みます。
だって、これでも良いと思ったから。これで私はきっと■■になれる。サーシャに記憶にある薄い本で散々見たような、ヒロイン達と同じ末路を辿る事が出来る。
諦めるように、身を差し出すように、私は軽く目を瞑って。
「…………サー、シャ」
目蓋の裏に過ぎった彼女の名を、最後に呼びました。
それだけが最後の不満として、口から溢れてしまいました。
こんな私でも■■になれるかもしれないと教えてくれた、私の世話係。
そんな彼女と一緒だったなら、文句なしだったのに――
だから、なのでしょうか。
「姫様!」
いよいよ始まるという絶好のタイミングで、閉じられていた筈の扉が蹴破られて、彼女がやってきてしまったのは。
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