#4 奴隷にはなりたくない世話係
一体なんで、こんなことになったのだろうか。
「くっ……!」
「ああ、恥じらう姿も最高だ……! いいぞ、もっとその歪んだ顔をワシに見せるんだ……!」
小太り親父に奴隷として買われてしまった私たちは、馬車に乗せられて移動中だった。その時に見た空はまだ暗く、まだ1日と経っていなさそうなのが救いと言えば救いだろうか。
本当に買われてしまったのは想定外だが、地上にさえ戻ってしまえばこちらのものだと思っていた。どこか適当なタイミングで親父を振り切り馬車から飛び降りて、どこかの役所にでも助けを求めればそれで解決だと踏んでいたのだ。しかし現実はそう甘くなかった。
「ふふふ、本番は屋敷に戻ってからだからな。精々今夜は楽しませて貰おうか、なぁお姉ちゃん……!」
「っっっ…………!」
私たちを買った小太り親父は何故か、姫様ではなく従者である私の方にお熱だったのだ。やめろ、スリスリしてくるな。あと私を姉と呼ぶな。
「身を挺して妹を守った、その姉足らんとする態度が最高だ! そうなんだ、ワシもこんな姉が欲しかったんだ……!」
「ええ……」
どうやら姫様が皇女である事を隠す為にでっち上げた姉妹設定が、この親父にはクリティカルヒットだったらしい。なんでだよ。
「そうだ、ワシの事は弟くんと呼べ! そして敬語も外して姉として話せ! いいな、これは主としての命令だ!」
「……ワカッタヨ、オトウトクン」
「素晴らしい、素晴らしいぞお姉ちゃん!」
その呼び名を使う奴は大体偽物ではという疑問を飲み込みつつ、とりあえず命令には逆らわずに姉モードへと切り替えておく。カタコトかつ死んだ目だが、小太り親父は気にしていないらしい。
「お姉ちゃん……?」
そんな偽姉と化した私を蔑むような、羨むような冷めたい目で見つめてくるのが向かいに座る姫様だ。横でべたついてくる小太り親父より、真っ正面からその視線をぶつけてくる姫様のが正直キツかった。というか怖かった。
「これはもうお前の姉ではない。ワシのお姉ちゃんだ! 残念だったなぁワハハハハ!」
「やっ、止めて! お姉ちゃんを返して! 代わりに私を、私を好きにしていいからっ!」
「レイ、それは――」
「断る。お姉ちゃんはお前を守る為に、こうしてワシに身を委ねているんだ。お前はその尊い姉妹愛を無駄にするつもりか?」
「そ、そんなぁ……!」
絶望に打ちひしがれて床に膝をつく妹、じゃない姫様。多分演技ではなく本心からショックを受けているのだろうと、私には分かってしまった。
「なんで、なんでお姉ちゃんだけなの……? 私だって、
「レイ、そんな事は言わないでください。……いやホントに」
ほらね、漏れてる漏れてる。そういう意味では私はちゃんと姫様の身代わりになれているようで良かった。いや全然良くない。
「……私は大丈夫ですから。心配しないで、レイ」
「お、お姉ちゃんはいいの?! その男の人がご主人様で、ホントにいいの?! やっぱりそういうのが好きなの?!」
「……………………………………あなたを、守る為だから」
危うく演技を忘れて叩きに行く所を、どうにか堪えて笑顔を作る。そういうのってなんだ。よく分からないけど好きなわけないだろ。
「素晴らしい……! やはりワシが見込んだだけはある! これからもお姉ちゃんを遂行するのなら、ワシは妹に手を出さないと誓おうじゃないか!」
「……ありがとう、オトウトくん。私、嬉しいな」
一連のやり取りを見ていた
こんな感じで地上に出てからずっと、身体を小太り親父に抑えられてしまっているのだ。抜け出そうにも意外に力が強く、己の無力さを今更ながらに感じざるを得ない結果となっていた。
「もう止めてよ……こんなの、あんまりだよ……!」
あとこの状態の姫様を置いて抜け出すと本当にマズそうだなというのも理由の一つだった。流石に走る馬車から姫様を抱いて降りるのは無理があるし、だからといって今の姫様を放置すると自ら奴隷として売り込みを始めかねない。やっぱりこの方は私の敵なのでは?
「……私の
「レイ!? 私はあなたの元に帰りますから必ずええ絶対に! なのでちょっと大人しくしてくださいね!?!?」
そして余計な扉を開きかけている姫様に釘を刺している内に、馬車は目的地へと到着しようとしているのだった。
☆
「え、何ですかコレ」
「何と言われましても、恐らくこれを着ろという事ではないでしょうか」
到着してしまった目的地、もとい小太り親父の屋敷に入った私たちは、中央にキングベッドが置かれた部屋に通されていた。その上に置かれた露出多めのネグリジェから、この後私たちがどうなるかが容易に想像できた。
「とうとう殿方と夜を過ごすのですね……。なんだか実感が湧かないです」
「そんな実感はなくていいです。そもそも過ごしませんから、ほら手に持ったソレ置いてください」
「そう、ですよね。あの方と寝るのはサーシャですもんね。私はただそれを指を咥えて見る事しか出来ないなんて、そんなの……!」
「姫様……」
両手で顔を押さえる姫様に、私はかける言葉が見つからない。さて、これはどっちだろうか。
「……いえ、先程の馬車での感覚があれば、それはそれでイケる気がしてきました。私、どうやら成長できたみたいです」
「だからその扉は開くなと言ったはずなのですが?」
何かに気付いてハッとしながら顔を上げる姫様。どこまでも平常運転なようで何よりだ。
そんな別の愉しみ方を見出し始めた姫様をぺしっとはたきつつ、部屋のドアの方をチラリと見る。姫様と作戦会議が出来るのは恐らくここが最後だろう。
「さて姫様。ようやく拘束具も外れましたので、こんな所からはとっとと脱出しましょう。いいですね?」
「……サーシャは、本当にいいのですか? こんなチャンスは二度とないかもしれません。このまま身を委ねれば、本当に奴隷になれるのに」
「だからこそ駄目です。何度も言っていますが、貴女を奴隷になんてさせませんから」
おずおずと尋ねる姫様だが、私の返答は変わらない。別に私の方が被害が多そうだから嫌だとかそういう意味では勿論ないが、それでも姫様は不服そうだった。
「でも、あの馬車の中でサーシャも喜んでいたではないですか。私の目は、いいえ耳は誤魔化せません」
「え、そんな事は全く微塵もありま――」
バッサリ切り捨てようとした私は、姫様の真剣な目で言葉を止めた。
今の姫様は嘘を言っていない。揺るぎない事実として、私はあの時喜んでいたのだろう。そして彼女はそれを、文字通り感じていたのだろう。姫様の力を知る者として、私はそれを否定してはいけない。
「……いいえ、それは貴女の代わりになれたと思ったからです。不本意な形ではありますが、それでも貴女を守れたという喜びですよ、アレは」
でもそれは多分こっちだ。決して、そう決して姫様と同じ趣味嗜好だったからではない。そこは従者であっても譲らない。譲ってはならない。
「そう、ですか。そこまで言うのなら、仕方ありません。私も、諦めて、脱出を、目指そうと、思います……」
「ものすごく歯切れが悪い決心でしたね……」
とんでもなく煮え切らなくてぐぬぬとしていた姫様だが、最終的にはどうにか私の提案を呑んでくれたようだ。それにはホッとするが、やはりそんなに奴隷になりたかったのか。或いはそれほどにあの親父が、いやこの境遇が魅力的だったのか。
「ですが、もし抜け出すのに失敗したその時はいいですよね? 再び捕まった後に二人であの殿方を慰めて許しを請うて、それで■■になってもいいですよね?」
「……もういいです、それで。そうならなければいいだけの話ですし」
全然諦めてなかった事に頭が痛くなってきたが、元より姫様はこんな感じなので仕方ない。むしろその条件で前向きになってくれる方がずっといいかもしれない。
「というか最後何と言ったのですか、ひめさ――」
けれど後半部分が頭痛でよく聞き取れていなかった。問い返そうとして姫様の方を改めて向くと、その背後のドアがゆっくりと開いていくのが見えた。
そこにいたのは例の小太り親父、ではなかった。
「へぇ? お前らが親父の買ってきた奴隷かよ。確かにずっごい可愛いじゃん」
「ひゃっ!?」
ドアに近かった姫様の肩を抱いたのは、チャラそうな若い男だった。髪色が小太り親父と同じなので、もしかして息子かなにかだろうか。
「レイから離れてください! 何かして欲しい事があるなら、私が代わりますから!」
「は? 何言ってんの? ……ああ、確か親父がそんな事言ってたっけ。お前が身代わりになるから妹は助けて、だっけか」
「は、はわわ……」
軽く上を見て思い出す素振りを見せるチャラ息子。その腕の中で姫様は、突然のスキンシップにあわあわするばかりだ。もしかしなくても喜んでないか、この主。
「いや知らねえよそんな事。そもそもなんで奴隷のいう事なんて聞かなくちゃいけないんだっての。というかこんないい女に手を出さないとか、むしろ失礼だろ?」
「あうっ……!」
「お前っ……!」
へらへらと笑いながら、チャラ息子は姫様の胸に手を当てていた。そのまま指を動かしたことで、姫様が声を出して反応する。やめろ、それで姫様のタガが外れたらどうするつもりだ……!
「怖い顔すんなよ。お前は親父が大事に大事に可愛がってくれるって! その間妹ちゃんが淋しい思いをしないよう、俺が気を利かせてやるだけだからさぁ?」
「お、お姉ちゃ――!」
「おっと逃がさないぜ。さてこっちはこっちで楽しむとしようか。……いいよな、親父?」
「――全くお前って奴は……。お姉ちゃんが悲しまないよう、程々にするんだぞ?」
いつの間にか来ていた小太り親父もチャラ息子を咎めるつもりはないらしい。なら私が声を荒げて糾弾するしかなかった。
「約束が違うじゃない、オトウトくん! 私がいう事を聞けば、レイは助けてくれるって!」
「ああ、間違ってないぞ? ワシは手を出さないと言ったのは確かだな。だからこうして手を出してないじゃないか、ワシはな?」
「なっ!?」
チャラ息子にそっくりな笑みで私の言い分を切り捨てる小太り親父。私の内心で憤りが止まらなくなるが、そもそも私たちを奴隷として買うような奴なのだ。少しでも信じた私の方が愚かだったか。
「ほれ、妹は貸してやるからさっさと出ていけ。ワシはこれからお姉ちゃんと甘いひと時を過ごさなきゃならんからな! ガッハッハ!」
「実の父親の性癖を聞かされる俺の身にもなれよ……。まぁそのオマケでこんな可愛い奴で遊べるならいいけどさ。じゃ、行こうぜ?」
「~! ~~!」
口元を抑えられた状態でそのまま連れていかれる姫様。駄目だ、それだけは絶対ダメだ。どう転んでもその結末は、姫様の為にならないのに……!
「ああ、その目だ! 妹を守ろうとするその強い目だ! ワシはその目が見たかった、ワシはその目に惹かれたんだ!」
「このっ、離して! レイを、返して!」
けれど伸ばした手を掴んだのは、間に割って入った小太り親父だ。最早オークションや馬車で見た時とは比べ物にならない位に興奮している。掴んでくるその手には尋常じゃない力が込められていた。
「もう我慢できん、さぁやるぞ! それを着てないのは残念だがもう構わん! ワシの、ワシだけのお姉ちゃんだ! 揉んでやる、壊してやる、甘えちゃうからなお姉ちゃああああああ――!!」
血走った目が近づく。身の危険を察知した本能が警笛を鳴らす。
もしこれが姫様の好きな薄い本なら、私はこの後良いようにされてしまうのだろう。身も心も汚されて、まさしく奴隷のようにされてしまうのかもしれない。
でもこれはそういう話じゃない。
私は、奴隷になんてなるものか――!
「うるっ、さい!」
「がぁっ!?」
掴まれた方とは反対の手で、掴んだ何かを親父にぶん投げる。苦し紛れに掴んでいたのは、一冊の本だった。幸運にもアタリを引いたらしい私の手によって放たれたそれの背表紙が、親父の顔面を揺さぶった。
「こ、この! 奴隷の分際で、一体何しやが――!」
速度はなくてもそこそこな質量をぶつけられた親父が顔を抑えてよろめく。どうにか解放された私はその隙にもう一つ、ベッド近くのサイドテーブルからワインボトルを掴み取った。拘束されていないなら抵抗しない理由はない。姫様がこの場にいないのなら、尚更だ。
「もう一発!」
「そんなものを人に投げ――ぎゃっ!」
投げたワインボトルがごつんと命中。額への痛みで叫ぶ親父がうるさいが、こっちも非常事態なんだ。
あの姫様があんなチャラ息子に連れ去られた以上、一刻どころか数分の猶予もないかもしれない。ならば実力行使くらいするに決まってる――!
「お、大人しくしろ! 妹がどうなってもいいのか? お前たちはワシの奴隷なんだ、いう事を聞けぇ!」
「そんなわけがないでしょうが! いえ買われましたけど! あの方は奴隷になんてならない、私がさせない! だからさっさとそこをどきなさい!」
それでもドアの前からどかない小太り親父から距離を取り、何か適当な武器を探す。
普段から姫様にお菓子を投げているので投擲は得意だが、その前にもう一度捕まってしまえば非力な私では逃げられない。だから次の一撃で決めないと――!
「弟に暴力をふるうなんてお姉ちゃん失格だ! そんなお姉ちゃんなんてワシは認めないぞ! ワシに甘く優しいおっとりお姉ちゃんにしてやるから、さっさとベッドで横になるんだぁーー!!」
「何を言ってるんですかあなたは!?」
支離滅裂に願望をぶつけてくる親父が突撃してくる。その体躯の体当たりを食らっては私ではひとたまりもないだろう。でもここはただの寝室だ。本やワインボトルといった有力物は投げてしまったし、枕やネグリジェでは攻撃力が足りない。手元に投げられそうなものなんてなかった。
「では靴しかありませんね食らえっ!」
「はぐあっ!?」
なので足元にあった己の靴を投げつけた。パコーンと当たった靴が小太り親父の突進を止めるが、それも一瞬だ。やはり靴では軽すぎるようで、もう片方を投げても止まるかどうかは怪しい所で――
「こ、これがお姉ちゃんの靴……! ワシが、責任をもって綺麗にしなければならないが、でもこれも存外……」
「ええ……」
止まってた。何なら後に投げた靴は親父の口に刺さった状態で、彼の動きを止めていた。確かにいつもの癖で顔に向かって投げたのは私だが、だからってこんな展開は予想してなかったよ。
「まぁ変態でよかったです。ならこのうちに――!」
靴を脱いでしまったので少々走りにくくなったが、ようやく来たこのチャンスを不意にするわけにはいかない。小太り親父の横を抜け、ドアを開けて一気に廊下へと飛び出した。
「姫様、一体どこなのですか!?」
逸る心を抑えて廊下を駆け抜け、それらしいドアを探して奔走する。
早く姫様とそれを連れ去ったあのチャラ息子を見つけなくてはならない。そうしないと、あの姫様が――
「あの
従者としてそんな事を許すわけにはいかない。そして姫様にとっての大事な何かを守る為にも、私は近くの部屋の扉に手を掛けるのだった。
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