プロローグ②
娘が作ってくれた夕食を食べてすぐ、俺は早速情報収集に向かうことにした。御堂は後日資料を送るとは言っていたが、それまで何もしないで待つというのもあんまりだろう。大した資料が手に入らなくとも、腹ごなしの散歩をしたい気分だから丁度いい。
「んじゃ、ちょっと出てくるわ。戸締りちゃんとしとけよ。荷物頼んでないからチャイム鳴ってもドア開けるなよ」
「はいはい。そっちこそ職質されんなよ」
はいはい、と同じ返事をして、ドアを開けて外に出る。陽が沈む時間こそ遅くなったが、顔にあたる風の冷たさで、三月初旬というのはまだまだ冬の範疇だと実感する。
「えーと、此処から一番近いそれっぽいのは……」
この土地に住んで随分と長い筈なのに、同じ場所の往復しかしないせいで近隣に何があるのか、俺は碌に知らない。マップアプリですいすいと調べていくと、徒歩十分ほどの距離に存在する高台のてっぺんに、小さな社があるらしかった。何が祀られているかも気になることだ。上着のポケットに片手を突っ込み、もう片方の手にナビゲートしてくれるスマートフォンを手に持って、俺はのそのそと陽が沈みかけた住宅街の中を歩き始めた。
こうして寒空の下、一人で彷徨っていると様々なことを考えてしまう。どうでもいいことから、あまり気分が良くならないことまで大小様々だ。
わずか二十歳という若さで文壇に足を踏み入れたと思いきや、俺から最優秀賞を掻っ攫っていったのは実は俺より二つも年下の男子高校生だったこと。それでも話題性や若さに負けず作品を生み出し続けたが、デビュー作以上の傑作は結局誕生しなかったこと。しかし優秀な彼の作品は一作書けば即映画化やドラマ化が決まること。最初に受け持ってくれた編集者が挨拶も無く去年唐突に辞めてしまった、というのも、色々と考えてしまうことの一つだ。そして二代目の編集者からは方向転換を命じられる有様である。
「……あぁ、クソ」
ここで俺が巻き返せれば、やり直すことが出来たなら、「ざまぁみろ」とふんぞり返って言っても許されるだろうか。
「まだ中間地点か……ん?」
ふと視界の端の草むらに、何か石のようなものが転がっているのが見えた。
◆◆◆
石のような、というより実際それは石だった。けれど酷く苔むしたそれはなんだか人の顔にも見えたのだ。目と口を一文字に結んだ、何かを耐え忍ぶような表情。まるで今逆境に立ち向かっている俺自身と重なるようで——
「よっこい、せーっと! いや重いな!? 石だから当然だけど! 腰とか背中とか年齢的にもうキツいんだよこちとら!」
気付けば俺は息も絶え絶えになりながら、石を抱えて持ち上げ、正面を向かせて立たせていた。一度自分自身に重ねてしまったらもうおしまいだ。助けなければいけないと思ってしまう。職務質問されないかとヒヤヒヤしたが、結局全て終わるまでに人が通ることは一切無かった。良かった、なんとか娘に馬鹿にされずに済んだ。
「よし、これでいいだろ。……どうか最高なホラー小説が書けますように!」
ぱん、と両手を合わせると反射的に今の願いが口から出た。道祖神かお地蔵様か、はたまた全く違う何かかも分からないが、つい何でも拝んでしまうのが日本人の性だ。悪いものではないだろう。多分。
「さて、——一仕事した気分だけど、本命の社は上なんだよなー……疲れた……」
はぁぁ、と長い溜め息を吐き出して、のそのそと高台の頂上へと登っていく。びゅおおお、と吹き荒ぶ風は、三月とは思えないほど一層冷たさを増していた。
◆◆◆
「で、これが社って話だけど」
高台の頂上にあったのは、これまた社というには酷く荒れ果てた何かだった。屋根は雨風に晒され腐り落ちてしまっているし、土台や柱もめちゃくちゃに折れ曲がっていて最早原型を留めていない。何も知らずに此処まで辿り着いていたら、瓦礫の一部だと思ってしまうだろう。この町の人間に信仰心というのは本当に存在するのだろうか。今までこの場所を知らなかった俺がそう考えるのも変な話だが。
「あんまりこれは動かさない方がいいよな……」
先程の石の時と同じく、ぱん、と手を合わせると、「最高なホラー小説が書けますように!」と全く同じ願いが口から出てくる。思えばこれは神社で行うものかもしれない。神が本当に存在するかも怪しい社に対して手を合わしても良かったのか、と今更になって戸惑いの感情が浮かんできた。
「……さて、じゃあ場所も分かったことだし、明日から——」
「はァァァァいィィィィ」
やけに甲高い女の声が聞こえた。びゅおおおお、と強く吹く風に混じるように、けれどハッキリと、耳の裏に残る嫌な声だ。
「あな、あなた、ねがい、お願い、した。したわよ。ね? うれ、嬉しい、わぁ、すき、すきよ、だって、て、ずっと、ずっとずっとずっとずっと、くる、きてくれる、ひと、だれ、だれも、いない、いなかった、のよ、ォォォォォ」
がりがりがり、と何かを引っ掻く音が加わる。それが社らしきものの扉の内側から聞こえてくると気付くのに、時間はさほどかからなかった。
——逃げなければ。
頭ではそう理解していながらも、足は全く動く素振りすら見せてくれない。足だけではない。腕も、顔も、眼球すらも動きを止めて、がりがりと引っ掻かれてガタガタと動く社に全てが釘付けにされていた。
「わた、わたし、おて、おてつだい、するわよ、よォ。なんでも、でも、してあげる、から、から。わた、わたしの、こ、子供、も。たす、助けて、くれ、くれたから、ね? ね? ね? わた、わたし、あな、あなたが、」
「何、言って」
「だいすきよ」
ぬっ、と巨大な手が社の扉を突き破って飛び出してきた。真っ白い右腕が一本だけ。こんな状況でなければ、掌が俺の三倍の大きさでなければ、純粋に「綺麗だ」という感想が出ていただろう。その手は親指、中指、薬指の先を合わせ、残った指をぴんと上に向けて立てる。
狐だ、と理解したところで、だから何だと思い直す。行動に脈絡が無く動きが読めない。
けれどその後の動作は単純だった。三本合わさった指先をそのまま俺の額へと突き当てた。
否、突き当てたという表現は適切では無い。突進してきた、の方が正しいだろう。ドン、と角材がぶつかったような衝撃が額から伝わり、そのまま俺は遥か後方へと押し出される。高台をぐるりと囲う柵はお世辞にも高いとは言えず、身長百八十センチの俺の腰ほどしか無かった。するとどうなるか。
数十分かけて登ってきた螺旋状の道を、わずか数秒で地上までまっすぐ落ちていくことになるのである。
嗚呼、こんな呆気ない最期だなんて。
せめて頭を打つ前に気を失えたら、と俺はせめてもの悪足掻きで目を瞑ったが、そう上手くはいってくれなかった。
「こんな死に方が、一番ホラーだろ……」
バン、と後頭部に強い衝撃を受け、意識がゆっくりと遠のいていく。
どうか、次の人生は、変なことが起こらない平凡なものでありますように——
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます